官僚が市民の上にたつ官治主義、
守旧的な官僚制度を支える特捜検察、
検察からのリークを流し、市民を欺くマスコミ、
官との癒着で公共性をもたない独占資本・・・
国民を「管理主義」(≒意味を問わない遵法主義)で統制することが善だと信じる愚かなイデオロギーは、人間の息をつまらせ、自由と悦びを奪っています。
こういう「市民の公共」(「市民の公共」以外の「公共」はありません)に反する思想とシステムは変えなければなりませんが、そのためには、権威主義(官僚主義・東大主義)をうむ生き方を改める必要があります。多面的・多層的な情報と開かれた精神の下に、「自分で考え・対話し・決める」という基本を確固としたものにすることが、何よりも大切です。
誰かさんが生きるのではなく、わたしが生きるのです。わたしの思考、わたしの判断、わたしの行為、問題なのは、わたしです。
歪んだ現代思想は、「わたし」の前に「他者」をたてますが、豊かな人間関係をうむための基本は「わたし」にあるという原事実を曖昧にしたのでは、すべては砂上の楼閣に過ぎません。キーは、「わたし」の捉え方にあります。単なるエゴという「小我」ではなく、「大我」としての「わたし」に付くことですが、この点は前のブログに書きましたのでご覧下さい。
わたしに付く「民知」の考え方・生き方が、巨大な管理主義を底から破るのです。権威を支え、惰性態を生む「官僚・マスコミ・独占資本」は、「わたし」の前には無力です。
武田康弘