わたしは、一神教であるキリスト教の神は、まったく認めていませんので、神との約束(契約)をすることはありません。
わたし以外の多くの日本人も、超越神の前で神に誓い神との契約を守って結婚するとは意味不明の話でしかないはずです。しかし、それでも結婚式はキリスト教の教会で挙げる人が結構います。その人たちの心はどうなっているのでしょうか。
では、私は誰と契約し、それを誰が保証するのか?
私は私の相手と約束し、その約束の担保は、私の存在それ自体です。
特定の宗教的信念に囚われている人でなければ、誰にとっても私の存在を超える存在はなく、もしあるとすれば、結婚によって生まれる子どもの存在だけです。神という絶対者の概念よりもはるかに価値があるのは、「私の存在それ自体」なのです。
だから、もし儀式が必要ならば、その儀式では、主宰者=結婚の媒介者は、
「あなたの存在にかけて、あなたはその男(女)を配偶者としますか。」と
問い、
「はい、誓います。」と言い合えばよいのです。シンプルにそれだけにするのが最善です。
そのような結婚式は、優れた音楽が鳴り響く美しく輝ける場所で行うのがよいでしょう。新しい結婚式は、人間性の全的肯定という思想に基づいて行われるので、「エロース」が媒介者となります。
名称は、教会でも神式でもないので、『恋知結婚式』としましょう。
わたしの提案を実現するには、恋知による結婚式を行う人が必要です。恋知者(哲学の研究者ではなく、実践と共に主体的に哲学する人)が結婚式を執り行うのですが、そのような人はいまのところとても少数なので、まずは人材育成から(笑)
荒唐無稽な提案と思われるでしょうが、わたしは結構本気です。いかがでしょうか?
武田康弘