思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

日本人の宿痾=「東大病」へのコメント

2011-04-22 | 社会批評
下のブログに対するmixiコメントです。


C-moon
2011年04月21日 16:29

「東大病」-タケセンさんが、ずっと言われてきたことが、東電でものの見事に体現していたんですね。
その辺りの考察もしっかりなさっているんでしょうけど。

清水社長ですが、資材部にいた時、東電の全制服を(作業着。今着ているやつです♪)made in japanからmade in chainaして2億円削減したそうです。
経費削減は必要ですが、それを鉈でぶった切るように関連企業に求めてきたことが、彼の評価らしいです。
いわば憎まれ役をずっとやってきて掴んだ社長の椅子。東大閥の圧迫もあったと思います。それに耐えられず、事故後入院したのかもしれませんね。

しかし、震災以降記者会見を見て思うのは歪みです。責任から逃れよう逃れようとするさまは、醜態としか感じません。
憐れ、東大病症候群ですね。本人たちが、また組織としても症状に気づいていないところが怖ろしいです。

そうした組織を、政府が把握しきれていないことは、危機的な現実の中でもっと怖ろしいです。

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タケセン
2011年04月22日 12:21

「そうした組織を、政府が把握しきれていないことは、危機的な現実の中でもっと怖ろしいです。」(Cmoon)

まったくです。
それが「東大病」なのですが、菅首相のように東大卒でない人がしばしば余計に東大病※です。
受験知が知であるという刷り込み(この刷り込みから免れている日本人は極めて稀)によりつくられる「東大病」は、東大に象徴される「受験知大学」を神とする「東大教」信者が罹る精神の病ですが、意味論抜きの単なる事実学によるパターン知が支配する日本社会の中で生きると、みな知らずに東大教の信者になります。権威の前に自己は消え、客観神話の呪縛により豊かな主観性は育ちません。日本に必要なのは、人間性回復の文明転回だとわたしは思っています。

東大という権威による管理主義の日本社会は、主観性の知を抑圧し、個人精神の自由を奪う「人間の管理」を行うために、システムや物の管理に失敗するのです。人間を管理してしまうために、創意工夫・臨機応変・当意即妙の精神=しなやかで自由な頭をもった人間がいなくなります。物やシステムの優れた管理のための最大の障害は、管理主義なのです。

※東大総長経験者の起用希望=復興会議議長、東電との関係で断念-菅首相
 東日本大震災の復興計画を立案する復興構想会議の議長人事で、菅直人首相が当初、元東大総長の佐々木毅学習院大教授の起用で調整していたことが15日、分かった。しかし、佐々木氏が東京電力福島第1原発のプラント建設にかかわった東芝の社外取締役であることがネックとなり、起用を見送ったという。政府関係者が明らかにした。
 同会議メンバーの人選は、首相が枝野幸男官房長官、仙谷由人官房副長官や一部の民主党幹部と相談しながら進めた。首相は、佐々木氏を議長に据えたい意向だったが、東芝取締役であることが判明。震災復興のイメージを損ないかねないとの懸念が出され、断念した。
 次いで白羽の矢を立てたのが、首相とも親交がある前東大総長の小宮山宏氏。だが、小宮山氏は東電の監査役で、放射能漏れ事故を引き起こした企業の役員は議長にふさわしくないと判断。最終的に「第3の候補」だった五百旗頭真防衛大学校長に落ち着いた。(2011/04/15-22:54)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011041500944


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よしくんぱっと2011年04月22日 04:24

私からみると、リーダーシップを発揮できる人がリーダーとして選ばれない状態が日本の問題のように見えます。東大出身であろうが、慶大出身であろうが関係ない。選ばれる側より、選ぶ側により根深い問題があるように見えます。

タケセンさんの草の根型活動が、東電のトップ人事や総理選出プロセスに影響を及ぼすようになればいいですね。だいぶ道は長いようですが、それでも底辺のところから出発するしかないのだと思います。

The good you do today will be forgotten tomorrow.
Do good anyway.
    The Paradoxical Commandments
    Kent M. Keith
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タケセン
2011年04月22日 12:35

よしくんぱっとさん
Paradoxical であることは、深き思考のために必須だとわたしも思っています。

「東大病」は、客観神話に囚われた形式知がもたらす病ですが、単なる事実学、即物主義、パターン知、形式論理・・・による知の退廃ですので、優れたリーダーが育つことはあり得ませんよね。

リーダーを、東大病である東大教信者が選べば、どうなるか(笑)。
現実的な治療法は、根本的な治療法にならざるをえないのです。それ以外の道がないのですから、「底辺のところから出発するしかないのだと思います」は、まったくその通りです。

コメント (2)
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