小学生のとき、自由でのびのび、輝いていた子も、
中学に入ると、にごってしまう(例外もいるが)。
部活動で、個人の時間が奪われ、集団主義=仲間主義になると、のっぺらぼうになる。
紋切型になり、個から発するよろこびと楽しみが消え、それが大人になったこととされる。
受験と校則と部活の三点セットで、身も心も縛られて型ハマリ。
自己が消え、魅力の薄い存在になる。
なんとつまらないことか。
その愚かさを大学生以後に取り消す者もいる。ほんのわずかの人だけだが。
大人になり、型ハマリを窮屈に感じても、自分でそこから脱け出れない人は、
新興宗教や霊の世界に入る。あるいは、右翼=国家主義者になり、国家幻想と自分を一体化させて、自己を慰める。
人間はネオテニーという生物的特徴をもつことを自覚し、やわらかで自由な心を発展させながら生きられたらいい、わたしはいつもそう思っています。
脱学校化・脱病院化の社会へ。豊かな人間性を花開かせるには、学校価値に縛られてはダメです。ぼくは、ぼくだから、という心を失ったらお終いです。
外の価値ではなく、「私」の内から立ち昇る価値を知り、それに従え、内なる景色を見よ、です。
(中3になっても濁らないソクラテス教室の子たちです。濁りが取れて生き生き)
武田康弘