思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「問われるべきは、意味のない法律の方です」 スバル、日産問題で、大手オーディオ店から正鵠を射るメール。役人天国

2017-10-31 | 社会批評


 最近、日産とスバルが、
「国が定めた方法で完成車の検査を行っていなかったこと」が
大きな問題になっています。

 あらゆるメディアは「日本車の信頼が失墜」などとかき立てていますが、
それは事実ではないと思いませんか?

 なぜなら、国が定めた方法で行っていなかったにもかかわらず
「重大な事故や故障は一度も起きていない」からです。

 「日本車の安全は事実が物語っているのです」から、
問われるべきは「国が定めた法律」でしょう。

 この法令に漏れず、私たちの周りには「無駄な基準」が多すぎます。
そして、その基準を満たすための検査機関は「退職役人の天下り先」になっているのです。

オーディオに関係するのは、電気用品安全法や電波管理法などですが、
無意味な基準や規則が多すぎます。

それをクリアする検査も、めちゃめちゃ高額な上に、
検査を通過していても「裁判では安全性が保証されない」のです。

 意味が分かりません。安全のために行う検査に合格しても、
トラブルが起きれば企業は一から安全性を立証しなければならないのです。

 それなら、何のための基準であり、検査なのでしょう。

 日本は、役人天国。

 事故を起こさなかったメーカーが責任を追及され、

生徒を自殺に追い込んだ教師を見て見ぬふりをしていた管理職に
「法外な退職金」が支払われ、

法の番人であるはずの警官が法や規律を破っても大甘の処分。
「お上の側」と「平民の側」で、こんな不公平がまかり通る。

本当に頭にきます。


以上は、
大手オーディオ店からのメール(メルマガ)。



☆本来、公務員は国民みなの奉仕者なのですが、そうではなく、彼ら独自の論理で動き、組織の利益を優先してしまうのは、ほんとうに困った問題です。

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「国は、」という言い方は、明白な間違えですが、いつまでも訂正されません。怖いことです。

2017-10-31 | 学芸

 主権者を市民・国民とするのが民主政治ですが、民主政社会における国(国家)とは、主権者であるあなたやわたしの意思(「一般意思」)により、つくるシステムのことであり、それ以外ではありません。

 政治レベルの話とは異なる、言語とか歴史とか生活習慣という意味での国は、ネーションであり、それは文化的レベルでの話です。また、故郷という意味での国は、カントリーで、気候風土など自然レベルの話です。

 政治レベルにおては、責任の所在を明確にすることが何より重要ですから、きちんと、政府は、官邸は、〇〇省では、と言わなくてはいけません。国は、という曖昧な言い方は、とても不味いのです。問題の所在を不分明にする詐術になってしまいます。

 政治レベルの話でしかないもの(国のありようについての特定の見方や主張や解釈を含む)に、文化や風土レベルの話ダブらせて、まるで日本という実体(物)が存在するかのように思わせるのは、怖い話です。

 これは、明治の維新政府がつくった日本の悪しき「伝統」で、国家神道ないし国体思想とよびますが、まさにシステムを実体化させてしまうのですから、「国体」です。政治的なレベルの国(政府の思想)が、体になり固定化されて惰性態となるのです。知らないうちに個々人の自由を大元から奪う言葉です。

  クリックで拡大・明治天皇が所持していた伊藤博文の写真(狡知な表情)ー宮内庁が公開

武田康弘

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