思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

なぜ滅私奉公=忠の道徳に支配され、いまなお明治維新がつくった天皇カルト教が続くのか?

2017-10-06 | 社会思想


(昨日)

小学生のとき、自由でのびのび輝いていた子も、中学に入ると、にごってしまう。

に対して、fbにとても多くのコメントが寄せらましたが、最後の谷藤さんの質問へのわたしのお応えを載せます。みなさまにとても感謝です。

谷藤 賢一

谷藤 賢一
高度成長期はうまく機能したのでしょう。
でも44年前に終わってるのに、
教育のシステムはそのままなんですよね。
 
武田 康弘
武田 康弘
人間の赤裸々な想い、心を抑圧して、いいことなどありません。非人間的なことがよいとされるなど、原理上認められません。
 
谷藤 賢一
谷藤 賢一
原理上認められないのに、それが正しい、幸福であると信じて、なぜ日本人は突っ走ったのでしょう?
あの時代、私は子どもだったのでよく分かりません。
滅私奉公こそ人の生きる道である、と親から教育されましたが、
そんなのあり得ないと、徹底反抗して生きてきました(今もあり得ないと思っています)。
70オーバー世代の若い頃の、喜んで滅私奉公するモチベーションが知りたいです。
 
武田 康弘
武田 康弘
滅私奉公の「公」とはもともとは天皇家をさすことばでした。
天皇陛下のために尽くし、ついには命さえ差し出すことは、支那にはない日本独自の道徳で、「忠」という。その「忠」の精神こそ日本を強い国にした大元である】、と東大名誉教授で靖国神社の理論的重鎮の小堀佳一郎は書いています。

日本人である限り、天皇ー皇室を崇拝・敬愛するのは当然であり、そうでないなら非国民である、ということです。日本人として生きる資格がないのです。そういう人は社会的に抹殺ないし無視されで惨めな人生を送るのです。

こういう明治維新の思想は、とても根深いために、普遍性を求める心、公平・公正を追及する力、損得を超えた善美を求める精神が育ちません。「日本人に哲学なし」といわれるのは、個人固有の精神世界がなく、周囲に合わせて(本音としては)利害と損得しか考えないからです。いわゆる改革派といわれる人の多くも、政府批判はしても、自分の時間とお金を使って公共・社会のために尽す(市民的公共をつくる努力をする)人が少ないのはそのためで、「正しそうな」理屈だけを言い、身銭を切ることはしません。

心がケチで自分と自分の家族のことしか考えない人であっては、市民的公共世界など拓けるはずがありません。ウヨクとか保守主義者が勝つのは当然です。日本は再び明治維新の精神(国家神道に基づく国体主義=靖国思想)に戻り、ニッポン万歳になるのでしょう。みなが本気を出さない限り、まちがいなくリベラル(自由と理性)派やブッダやソクラテスの「私」から始まる生は、ごくごく一部の人のもので、後はみはニッポン人として集団同調で生きるのです。生命体であり人間・人類であり個人であることは二の次で、まず何より日本人という意識が優先する、というわけです。戦前アメリカの駐日大使・グルーの言う通り「日本人には個がなく、アリやハチと似た属性をもつ人々の集まり」が続くのでしょう。

滅私奉公=の道徳こそが日本人の証です。忠臣蔵、忠犬ハチ公、忠儀を尽す、が、みな大好きですし、三島由紀夫も言いました「天皇陛下万歳!」と。


以上のような、東大名誉教授や三島由紀夫に代表される思想、天皇を神格化し、皇族を神の系譜とするあまりにも愚かなカルト思想、および、強い一神教がなければ社会(国)はまとまらず、個人としてもよく生きることはできないというイデオロギーを大元から消去したのが、わたしの恋知という考え方=生き方です。
(※もちろん、こうした天皇主義の思想を現天皇の明仁さんや美智子さん、皇太子夫妻は、忌み嫌っています)


武田康弘
 
 
コメント
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