思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

フランス誌「LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE」=アベシンゾーの隠された顔

2015-06-13 | 書評

PAGES D'ECRITURE
上のblogをご紹介します(太字・色字は武田による)。

LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE:アベシンゾーの隠された顔

週刊誌L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur)の2015年5月21日(通巻2637)に掲載された、LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE (アベシンゾーの隠された顔)という記事です。




Japon

LA FACE CACHÉE

DE SHINZO ABE



Loin de son image de réformateur économique, le Premier ministre japonais est lié à une organisation d’extrême droite révisionniste qui prône un retour à l’empire



VINCENT JAUVERT

それは国際政治で、大幅に無視されているとはいえ、主要な事実だ。世界第三の経済大国である日本は、数か月前から、(総理大臣、安倍晋三も含めて)閣僚の4分の3が、歴史修正主義で権威主義の極右団体、「日本会議」と呼ばれる、目立たないが影響力のある団体に属していることだ。

 2012年12月に政権に復帰したとき、安倍晋三が、新自由主義的であると同時に戦前に郷愁を抱く強硬な右翼出身の政治家であることを知らない者はなかった。プーチンやインドの国粋的指導者モーディを称賛していることも知られていた。安倍が近かった、祖父の岸信介が1932年に大日本帝国によって併合された満州のナンバー2であり、次に戦争中に東條内閣の一員であったこと、そして結局、1945年の敗戦の後、A級戦犯として投獄されていたことも、誰もが知っていた。しかし明らかに、反動的で反民主主義的なイデオロギーへの安倍晋三の政治的根強さは過小評価されていた。「数か月前まで、安倍の最終目的は有名なアベノミクス(編集部注:安倍の名を冠した経済再建計画)によって日本経済を立て直すことだと多くの人が考えていた」、上智大学‘国際教養学部)教授の中野晃一は分析する。「今日、安倍が本心を隠さないで行動しているのか、戦後に採択された平和的で自由で民主的な憲法の根本的な改変を日本人により容易に”売り込む“、という目的のためだけに経済的成功を追及しているのではないかと疑問視されている。そうして、彼が1997年の創設時から加入している団体、日本会議に特有の、帝国主義に憧れを持つ、古い秩序への回帰を押しつける目的でも。」

 「逆説的だがこの非常に重要な団体は日本では未だに真価を認められていない」、日本版『リベラシオン』ともいえる『東京新聞』に昨年夏、日本会議に関する初めての長い記事を書いた佐藤圭は言う。「その出発から、日本会議はレーダーに現れないようにあらゆる注意を払ってきた。広告も出さないし、テレビにも出ない。戸別訪問的な活動をしながら、視線の及ばないところで前進していた。その集会はメディアに開かれていない。そして、会員たちには会談の間も、写真を撮る権利もない。」 この信じられない「ステルス性」にはもう一つの理由がある。「日本会議は、より反動的な、地方で発展してきた」と、日本の右翼運動の専門家である法政大学の政治学者、山口二郎は説明する。「大手メディアは、元々ローカルだったこの団体を見下していた。2012年12月の安倍内閣の指名と、さらに昨年秋の内閣改造後、日本会議所属の閣僚の数がさらに増えて、その強大さに面食らうまでは。それまでは田舎の、片隅のものと見なされていたこの極右団体が、日本の政治の中心にいたのだ。

 日本会議は1997年、一つは満州侵略を率いた帝国軍元司令官によって、もう一つは主に神道の宗教団体によって設立された、二つの極右団体の合併により生まれた。「反動的で1930年代に郷愁を抱くこれら二つの集団は、日本が戦争中に行った残虐行為の過ちを告白することに耐えられなかった。彼らによれば、日本人は帝国に誇りを持たなければならなかった」と、山口二郎は説明する。「分裂したままではイデオロギー闘争に敗北しつつあったと理解したときに、合併した。」 彼らの自覚は1995年8月15日に起こった。村山首相が有名な謝罪宣言を述べたときである。その日、世界は第二次世界大戦終結の50周年を記念していた。この機会に、日本が1930年代と1940年代に、「植民地支配」を押し付けるためにアジア諸国を「攻撃した」ことを、日本の政府のトップが初めて、公に、そして公式に認めたのだ。この認識は、帝国軍が政敵奴隷に頼っていたと1993年に認めた、内閣のナンバー2、河野洋平の宣言の後に来たものだ。婉曲に「慰安婦」と呼ばれた女性たちは、朝鮮やフィリピンの村で誘拐され、強制的に軍の売春宿に住まわされた。反動主義者と超国粋主義者には、もう我慢できなかった。反論し、新しい運動、つまり日本会議を建設することが急を要した。新しい団体の事務総長職は、1970年代の極右学生のリーダーで、今も強大な力を持つ、椛島有三なる人物に委ねられた。そしてこの団体は今、3万5千の会員と200の支部を数える。


289 PARLEMENTAIRES MEMBRES

(289人の議員メンバー)

10年前に祖父が亡くなった安倍晋三は1997年に国会議員になる。お友だちと一緒に、直ちに「日本会議」に、次いで日本会議を支持する議員団体に加入する。「当時彼らは、保守のジミントーでも周辺的だった」と、中野晃一は言う。「20年近く経った今日、彼らはジミントーと内閣を席巻している。そして日本会議は、国会の40%に相当する、289人の議員を集めている…」 彼らのスローガンとは? 戦後の日本、「アメリカに押し付けられた」制度と生活様式から決別することだ。彼らは、「勝者の正義」、戦争犯罪人を裁いた東京裁判の正当性を認めない。彼らは歴史を自らの味付け、敗者の歴史を書き直したがっている。日本帝国はアジアの民衆を「解放した」と声高らかに断言したい。1938年の日本軍による南京大虐殺は作り事であり、最悪でも、民間人に変装した数百人の中国兵が死亡しただけだ(日本人も含めてまともな歴史家は少なくとも数万人の民間人が拷問された後に殺戮されたと考えているのに)。日本会議の歴史修正主義者らは、「慰安婦」は勇敢な日本兵を慰めて月末に手取りを増やして喜ぶ、単なる自発的な売春婦だったと断言する(この主題に関して帝国軍に反対する証言が圧倒的であるにもかかわらず)。



CHANGER LES LIVRES D'HISTOIRE

(歴史書を変えること)

日本会議の目的は、歴史書を書き換えることだ。有利な状況を作ることから始めた。間もなく、中学校の教科書は、歴史学者の視点と同じく論争中の問題に関して「政府の公式の立場」を言及しなければならなくなる。「別の言い方をすれば、歴史修正主義のぱっとしない教師が、南京で民間人の死者はなかったと断言すれば、それが我々の子どもたちの教科書に書き込まれることになる」、政治学者の中野晃一は説明する。教育に関して、日本会議は「愛国」教育への回帰を熱望する。彼らの夢は、1890年代の帝国時代の法にできるだけ早く近づくことだ。個人に対して天皇への全面的な服従を押し付け、将来の神風の複数の世代にわたって洗脳してきた法に。

 これで全てではない。「アメリカの圧力下で」採択された、1947年の平和憲法を、日本会議は根本的に変えようとしている。その最初の標的は、第9条だ。この中で日本は「戦争を、永久に放棄」している。国粋主義者は世界のどこでも、そして「自衛力」だけではない軍隊を望んでいる。「安倍と日本会議にとって、第9条の廃止は決定的に重大だ。なぜならこの条文が軍国日本との決別を意味しているからだ」、『朝日新聞』論説委員の大野博人は説明する。運動は既に進行中だ。昨年7月、政府は初めて、「自衛隊」が日本の国土を離れて同盟国を助けることを憲法9条が認めていると断言して、同条の解釈を変更した。それが最初の突破口だ。日本会議は他の条文、最初に婚姻における男女の平等に関する第24条と決別するために、そこに殺到しようとしている。彼らにとってもちろん、夫は全ての領域で配偶者を支配しなければならない。彼らはまた、戦前の風習に戻ることを望んでいよう。学校では、まず男子、次いで女子の五十音順で点呼されること… とりわけ、戦後の裁判で裁かれた戦争犯罪人を含む、死亡した兵士が祀られる、靖国神社に国家が関わることを邪魔する、宗教と国家の分離に関する16条も廃止することを目指す(中国と韓国の気分を害して、安倍晋三は2013年12月、首相就任1周年に靖国神社を参拝した)。最後に、明らかに、日本会議は天皇が、一種の権威主義的民主制に変質した日本の政治の中心に戻ることを望んでいる。

 安倍とそのお友だちの反動主義者は、どこまで行くことができるだろうか? 日本の誰もが、第二次世界大戦終結70周年記念の8月15日に首相が発するに違いない声明を待っている。前任者たちの宥和的な宣言と、どの位まで距離を置くことになるだろうか? 「ホワイトハウスは、地域の他の同盟国を失う恐れがあるため、余りにも反動主義の臭いがすることは受け入れられない。」 そして、国民がいる。安倍の目的は、2016年7月の参院選を利用して、国会で憲法を変えるために必要な圧倒的多数を得ることだ。それができるだろうか? 「日本会議はエリートの運動だ」、中野晃一は言う。「大多数の国民は、その思想の大部分に反対している。しかしその受動性のために、特にアベノミクスが上手く行っていれば、国民はされるがままになりかねない。」 少なくとも今のところ思いがけない人物が抵抗勢力になり得る。81歳の天皇、明仁だ。日本会議が政治問題に戻るのを待っている、その人である。さる1月、新年の祝辞に際して、天皇は行間で、歴史の反動的な解釈に反対であることを示した。2月、長男である皇太子、55歳の徳仁殿下はさらに雄弁だった。極めて稀な記者会見の席で、皇太子殿下は、戦争の歴史が「正しく伝えられる」ことを望んだ。逆説的に、皇室は今や、日本の自由民主主義の最も優れた盾となっている。


L’OBS/No2637-21/05/2015


あくまでも、フランスの週刊誌の記事を紹介しただけですのであしからず。
それにしても、ここに書いてあることを知らない日本人がいるのかどうか知りませんが、知っていてあれだけの支持率だとしたら恐ろしいですね。

国民の権利を含む、日本国家に対する最大の脅威はアベシンゾーとジミントーだと思っていましたが、実は一部を除く日本国民そのものが脅威だったりして・・・(以下略)


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健全な力と美に満ちたケンペの名演集(10枚組)が出ました。

2015-06-12 | 芸術

(クリックで拡大)

ルドルフ・ケンペの音楽は、十分にエネルギッシュだが、激するというところがない。
強奏しても美しさを失わない。
グラマラスではなく、筋肉質であり、響きは引き締まり適度な緊張感をもつ。
落ち着きと悦びが一つで、健全な精神を現わす。
内側から内発的に湧き出てくる音楽で、外面的効果を狙うのとは対照的。機械的なものや競争主義とはまったく無縁。愛とよろこびと自然。
言葉の最良の意味でクラシック。

生前は大変な人気だったが、現代の刺激に満ちた社会では少し忘れられがち。

慢性肝炎悪化のため、1976年5月にわずか65才11か月で亡くなってしまったが、彼の晩年の録音を集めた10枚組のボックスが出た。名演と讃えられた有名な録音だが、入手が難しかった。

グルダとのモーツァルトピアノ協奏曲もある。白鳥の歌の27番で大変な名演だ。
ラストレコーディングの一枚となったブルックナー4番と5番は、鬼気迫るような力に圧倒される。8番も同曲屈指の名演で、ピュアなエネルギーに溢れた名演。痺れ、震える。
得意のドボルザーク8番9番は、もうこれ以上はないほどの感動。新世界は別テイクの60年代のものもある。
代表作のブラームス交響曲全集も。

とにかく一等賞、一番、とか、突き詰めて精緻の限り、とか、現代のどこかヒステリックな精神とは無縁。ほんとうの強さ=自然性をもつ健康な音楽だ。

そう言えば、彼は、英国女王にもタクシードライバーにも態度を変えないナイスガイとしても有名で、その点は、巨人クレンペラーと同じ。クレンペラーも二階のボックス席(特別席)に娼婦たちを招待し、新聞等で非難轟々!で、彼は「なに?どこが問題なのか?同じ人間だ!」とやり返し、平然。

 

以下は、HMVのレビューです。とてもよく書けているので、貼り付けます。

ルドルフ・ケンペの芸術(10CD)
スクリベンダムのアルバムがお買得ボックス化!

ミュンヘン・フィルとのブラームス交響曲全集、ブルックナー交響曲第4番&第5番、ドヴォルザーク交響曲第8番、グルダとのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番、トーンハレ管とのブルックナー交響曲第8番、『運命』&『新世界より』、ロイヤル・フィルとの『新世界より』『ローマの松』『ドン・ファン』などを収録しています。
 それぞれのディスクはスクリベンダムで発売された際のデザインによる紙ジャケットに封入され、スクリベンダムで発売されていなかったブルックナーの8番については、ex librisとTudorのオリジナル・デザインを使用しています。
 ちなみに、そのブルックナーの8番は、今回のスクリベンダムからの発売に際して新たなリマスターをおこない、以前のCDよりさらに解像度が上がり分厚くリッチなサウンドに仕上がっているのが朗報です。
 なお、このセットにはブックレットは付属しません。

【ケンペ】
ルドルフ・ケンペは、1910年ドレスデン近郊ニーダーポイリッツに生まれ、1976年チューリヒで死去したドイツの指揮者。1949-52年ドレスデン国立歌劇場の音楽総監督、1952-54年バイエルン国立歌劇場の音楽総監督のほか、ウィーン国立歌劇場、ロイヤル・オペラ、メトロポリタン・オペラ、バイロイト音楽祭などの指揮台に数多く登場したほか、1961-63年と1966-75年にかけてロイヤル・フィルハーモニーの首席指揮者、1965-72年にチューリヒ・トーンハレ管、1967-76年にはミュンヘン・フィルハーモニーの首席指揮者を歴任しました。

【収録情報】

 

Disc1
● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』
● ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 op.95『新世界より』
 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
 録音:1971年(ステレオ/セッション)

LP時代に人気のあったチューリヒ・トーンハレ管弦楽団を指揮したアルバムを復刻したもので、オリジナル・マスターから適切にリマスターした結果、見事な音質に蘇っています。
 豊かなホール・トーンを交えてオケの弾力的なサウンドが快適に響く美しく迫力に富む演奏で、自然な感興の盛り上がりとはこういうものかと思わせる推移の様子、真情のこもった白熱ぶりがたまりません。

 

Disc2-4
● ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
● ブラームス:交響曲第2番ニ長調 op.73
● ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90
● ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1975年(ステレオ/セッション)

ケンペ最晩年のレコーディングで、この指揮者の代表作のひとつと言われる全集。無用な気負いから解放され、作品の隅々にまで目を行き届かせた濃やかなアプローチが、ブラームスにふさわしい親密な音楽を作りあげることに成功しており、飾り気のないオケの響きも、昔のミュンヘン・フィルならではの自然体の良さが滲み出ています。指揮者の解釈との相性も抜群です。
 率直で飾らぬ芸風の中に重厚な雰囲気を漂わせたスタイルが身上のケンペとはいえ、ここまで恣意性とは無縁でありながら、作品が本来そなえている自然な感興にナチュラルに寄り添った表現は、やはりこの時期だからこそ達成されたもの。楽器配置も正統的なヴァイオリン両翼型を採用しています。

 

Disc5-6
● ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』
● ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1975,1976年(ステレオ/セッション)

ケンペの数あるレコーディングの中でもきわめて人気が高いのがブルックナー作品で、堅牢な構築美、いかにもドイツ的なオーケストラのシブい音が作品にピタリとはまっています。
 造形感覚もあくまで雄大、しかもその芯には強い力がみなぎっており、ケンペ絶好調時ならではの逞しい音楽づくりが実に快適。ヴァイオリン両翼の楽器配置も効果的で、4番第1楽章の第2主題部などでも立体的なフレーズの受け渡しが強く印象に残ります。名高い第5番も素晴らしい出来栄えで、終楽章コーダの晴れ晴れとした雄大なスケールの音楽は感動的です。
 リマスタリングも両曲ともに成功と言える水準にあり、ブルックナーに不可欠の引き締まった弦楽と、壮麗な金管セクションの見事な融和が良好な音質で味わえるのが嬉しいところ。ノヴァーク版を使用しています。

 

Disc7-8
● ブルックナー:交響曲第8番ハ短調
 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
 録音:1971年(ステレオ/セッション)
 新リマスタリング

この録音が登場した1970年代は、各社から方式乱立の状態で4チャンネル・レコードが発売されていた時期にあたり、2チャンネル収録の音源でも、残響付加などして擬似的に方式転換のうえ4チャンネル・リリースされていたという、今にして思えばなんとも大らかな時代でもありました。
 ケンペの録音もご多分に漏れず、EMI(Electrola)のシュトラウスにしても、このex librisのブルックナーにしても、4チャンネル仕様に変換して発売され、通常の2チャンネル装置で聴く人間にとっては少々多すぎる残響の海の中から、何とか細部情報を聴きとっていたことを思い出します(4チャンネルの装置でも細部情報は駄目でしたが)。
 今回のスクリベンダムからの発売に際しては、2000年にSOMMレーベルからリリースされたCDと同じく、そうしたエフェクト・マスターは使用せず、2チャンネルのオリジナル・テープからCD化をおこなっていますが、新たなリマスターにより、さらに解像度があがり分厚くリッチなサウンドに仕上がっているのが朗報です。

 

Disc9
グルダ&ケンペ/ライヴ1972 イン・デュッセルドルフ
● ワーグナー:『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲
● モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番K.595
● ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 op.88
 フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1972年(ステレオ/ライヴ)

1972年11月29日、ドイツ正統派の守護神として黄金期を迎えつつあったケンペ&ミュンヘン・フィルはデュッセルドルフで障害者の福祉を目的とした慈善演奏会に出演しました。そしてこのコンサートの収益及び実況を収めたレコードの売上は、時の大統領夫人ヒルダ・ハイネマンの名を冠した基金に寄贈されることになっていたのです。
 大統領夫妻が臨席した当日のコンサートは、晴れやかな雰囲気の中、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲により堂々と開始されます。ケンペの微妙にテンポを揺らした柔軟なアプローチとミュンヘン・フィルの明るく充実した響きが快適です。
 2曲目は当日の呼び物となっていた人気ピアニスト、フリードリヒ・グルダによるモーツァルトのピアノ協奏曲第27番。グルダは持ち前の美音を駆使し、控えめで端正な表現ながらも力強さと軽やかさを併せ持った表情豊かな演奏を聞かせます。第2楽章や第3楽章で頻出するグルダならではの自由な装飾音も自然な感興に溢れており魅力的です。
 そしてプログラムの最後を飾ったのがドヴォルザークの交響曲第8番。ケンペの特質である自然で流麗なフレージング、透明な音色感、生気に満ちたエネルギーの解放が際立った演奏です。第1楽章冒頭から美しく歌うチェロに心奪われ、コーダでは見事なアッチェレランドが白熱したクライマックスを演出します。有名な第3楽章は特に聴き物で、ケンペの繊細なリリシズムを反映し、時にポルタメントをかけたノスタルジックで甘美な弦の旋律が印象的です。オリジナルLPは2枚組でしたがCDは1枚に収録しています。

 

Disc10
● R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』op.20
● レスピーギ:交響詩『ローマの松』
● ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調,op.95『新世界より』
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽楽団

 

 録音:1964年、1962年[新世界](ステレオ/セッション)

アメリカの会員制の通信販売会社(出版社)であったリーダーズ・ダイジェスト社は、ステレオ初期に自社企画のクラシックLPも取り扱っており、数々の名盤を世に送り出したのは有名な話。コンサート・ホール・レーベルと似ていますが、最も異なるのはその音質。クラシックのLPを、高いステイタスを持つアイテムとして捉え、サウンド・クオリティを重視したリーダーズ・ダイジェスト社は、その制作を高音質で知られた米RCAに依頼したのです。さらに、RCAは当時、英DECCAと提携関係にあったため、この録音のように、プロデューサーがRCAのチャールズ・ゲルハルト(ガーハート)、エンジニアがDECCAのケネス・E・ウィルキンスンというような夢の組み合わせが実現できたわけですが、実際、このコンビが達成したサウンド・クオリティには素晴らしいものがありました。
 ここでもケンペ得意の『新世界』に、同じく好んでいた『ドン・ファン』、そしてやはり何度も指揮していたという『ローマの松』を、技量のすぐれたオケ&優秀な録音により細部まで味わうことができます。(HMV) 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国を「悪」に仕立てろ!軍事増強・海外派兵を可能とするために必要だー安倍サイド。

2015-06-11 | 社会批評

安倍首相は、昨年、自衛隊に中国軍への異常接近を命令し、わざと中国との敵対関係をつくりましたが、

その意図は明白です。

日本の軍事力を増強し、アメリカと一緒に戦闘行為を行うためには、敵国をつくりあげなければならないからです。

危機意識をつくりだし、国民を軍事やむなし、という意識に染めるには、NHKをはじめテレビ局を押さえることが必須ですので、

まず、NHK会長を安倍サイドの籾井にしましたが、民放にも数々の方法で圧力をかけました。

イギリスの「エコノミスト」誌は、安倍首相がマスコミを足蹴にしている風刺画を載せましたが、海外では、安倍首相の悪どいマスメデイア支配は知れ渡っています。

日本も独裁国と似た国家主義思想の政治家による市民抑圧政治に堕ちています。

自民党の現職の衆議院議員である村上さんも指摘するように「ファシズム」の危機が迫っています。すでにその瀬戸際です。

違憲の立法を強行しようとする異常事態に、元自民党幹事長たちも厳しい安倍批判の会見を行いましたが、われわれ国民は、座して再びファシズムの時代を許すわけにはいきません。

正常な理性を働かせて、各自ができる反対運動をつくりだそうではありませんか。

小沢一郎さんが進めた中国との太いパイプづくり(大国会議員団の訪中という路線)を復活させれば、すぐにでも中国との関係は良好となり、緊張関係など雲散霧消します。当然です。

わざわざ敵対関係を演出し、軍事的な対決ムードをつくるという今の安倍政策は、恐ろしい戦略であり、とてつもない国益損を招いています。

みながそれぞれ、クリアーで公正な目と心をもち、良識にしたがって創意工夫し「正しく」行為しなければ、民主政はつぶされてしまいます。

 

武田康弘 (元 参議院行政監視委員会調査室・客員調査員 哲学講師)

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党・村上誠一郎議員の発言全文=「民主主義の根幹に関わる違憲法案」!日弁連集会で。

2015-06-11 | 社会批評

以下は、6月10日、日弁連が主催した安保法制に反対する集会での村上誠一郎衆議院議員の良心の発言全文です。
(太字・赤字は武田による)
どよめく会場!


ただいまご紹介にあずかりました村上誠一郎であります。

実は私は、そこにいらっしゃる山岸(良太・日弁連副会長)先生と、大学の同級生、同じクラスでした。

まさか、43年後に、こういう集会に出るとは、夢にも想像していませんでした。

正直申し上げます。私も自民党員です。本来ならば、こういう集会は、実はご遠慮申し上げようと思っていたんです。

だけど昨日の総務会で執行部とやりあって、これはもう困ったなあと。やはり本当のことを国民のみなさん方に知っていただくことが大事だと。

特に私は、柳澤先生(※集会で講演した元内閣官房副長官補の柳澤協二氏)に申し訳なく思っているんですが、昔の政治家は、柳澤さんのようなきちっとした議論をみんな聞く耳を持っていました。ところが昨今、やはりこれもマスコミの人に反省してほしいんですが、小選挙区になって、公認と比例と、人事まで党幹部に握られてしまって、なかなか昔のように自分の考えていることが言いにくくなってしまいました。

もっと反省してほしいのは、特定秘密保護法のとき。28年前には(※1985年に国会提出されたいわゆる『スパイ防止法案』について)、大島(理森)さんや谷垣(禎一)さんまでが「おかしい」と言って廃案にしたんです。ところが(2013年の特定秘密保護法については)、いちばん被害を受けるというか、当事者であるマスコミの人たちが、最後の総務会で私が指摘するまで、誰も指摘しなくなった。

それからもう一つ、バッジを付けている先生方も反省してほしいのは、去年の公務員法の改正ですよ。私は最後まで反対した。なぜならば、600人の人事を全部官邸に持っていった。こうなれば官僚諸君は、もう正論も本音も言わなくなるよ。私は最後まで総務会で抵抗したんですが、これも官邸の意向ということで通ってしまった。案の定、それから、公務員は正論も本音も言わなくなりました。

もっと重要なのは、そのように外堀を埋められるために、今回の安保法制について、本来いちばんモノをいわなきゃいけない国会議員が、口を閉ざしたままになっている。

●6月9日の自民党総務会で
今回、まず昨日のことから申し上げますと、私が申し上げたのは、このような問題は、国会議員の政治的良心・使命に関わる問題であるから、党議拘束を外すべきだと。

そしたらですね。ハッキリ言いますよ。あなたたちの先輩の、ある代議士が「お前は最高裁判決を読んだことがあるのか」と言ってきた。砂川判決を。

だから私は言った。「あなただけですよ、砂川判決が根拠だと言っているのは」。

そしたら何て言ったと思いますか?

「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言ったんですよ。

それで、私は激怒したんです。3人のオーディナリーな学者が違憲だと言っていることに対して、自民党がそれを無視するということは、あまりにも傲慢ではないか。

●安保条約の時を思い出して
まさにこのような重要な問題を、本当に国民の皆さん方が、お一人お一人本当に理解なさっているのかと。

みなさん、思い出してください。

いまから55年前の、日米安保条約のときには、この国会の周りに十重二十重とみなさんが集まって、全国民、全マスコミ、全学者で喧々がくがくと議論しておりました。

いま、どうでしょうか。ハッキリ申し上げましょう。2年前に、私が「この問題は実は民主主義の根幹に関わる問題である」と。こんなことを天下の自民党がやっていいのかと言ったときは、マスコミは無視したものでした。

私がどうしても、ここへ来てお話したくなったのは、今いちばん問題なのが「ダブル先生」ですよ。ダブル先生って分かりますか? 議員バッジと弁護士のバッジを付けている、その先生たちです。責任、大きいんですよ。

結論を言うと、議論して、つくづくおかしいと思うのは、弁護士の資格を持っているものですから、自分の言っていることが正しいんだと。他の学者さんや、他の普通の国会議員が言っていることは、とるに足らないんだ。そういうような、いまの状況であります。特に、執行部に、3人の先生がおります。言わないでも分かっていると思います。

結論は、もう簡単です。今日お集まりのみなさん方は、そうそうたるみなさんです。それぞれの国会議員や、多くのマスコミの方を知っていると思います。我々が財政の危機を言っても、この憲法の危機を言っても、残念ながら門前の小僧でしかありません。説得力がありません。(弁護士の)先生方が、お一人お一人の国会議員や、国民や、マスコミのみなさん方に説明していただきたい。

●「自民党は、いつからこんなに惻隠(そくいん)の情のない党になってしまったのか」
なぜ私が、あえてこのような場所に来たか。2つあるんですよ。

ひとつは、前から申し上げているように、もし憲法に書いていないことを、内閣の一部局である法制局が解釈で変えることができたら・・・。まあ、自民党にある方が「ナチス憲法のマネをしろ」と言ったんですが、もちろんナチス憲法はありません。戦前のドイツで、議会において、全権委任法を通して、民主的なワイマール憲法を葬り去ったという、一番悪しき例があるんです。

すなわち、このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。たいへん、民主主義の危機にあるということです。

それから、もう1点。来年から18歳の人たちが有権者になります。私は、次の世代が気の毒です。

このままでいけば、財政がおかしくなる、金融がおかしくなる、社会保障もおかしくなる。

そのうえ、地球の裏側まで行くことになる。

自民党は、いつからこんなに惻隠(そくいん)の情のない党になってしまったのか。

●「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」
実は私の父は、増原惠吉さんと、吉田さんに頼まれて、警察予備隊を立ち上げた男です。一次防も二次防もやりました。

父が死ぬまで言っていたのは、防衛予算は少なくて済むなら少ないほうが良い。もう1点は、自衛隊の諸君の身の安全について、万全に期すべきだと言って死にました。

私は、父の言ったことが自分の政治命題だと考えております。

この民主主義を守ることと、そしてまた、次の世代のために・・・。私は、みなさん方のお力を、なにとぞ、一人でも多くのみなさん方に、この問題がどこにあるのか(伝えていただきたい)。

特に、私は最後に、あえて言います。

私がいちばんいま危機を感じているのは、民主主義の危機、すなわちファシズムの危機であります。

私が大学のときに、ある先生が言っていました。「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」。

結論はどういうことかと言いますと、もしこういうことで突破されれば、次の世代は、アメリカの要求を断ることもできません。歯止めもありません。そういう中で、こういうような非常に不完全な法制というものを、短期間で180度転換するようなことを、軽々としていいものだろうか。

最後に、もう本当にお願いします。弁護士の先生方。我々では説得する力がありません。自民党には、まともな大学で憲法を学んだ人が数います。そういう人たちひとり一人に説得していただきたい。

そして、一番重要なのは、国民の皆さん方に、この法案ならびにいままでの手法が、どこに大きな間違いがあるかということを、やはり一人でも多くのみなさん方に伝えていただきたい。以上であります。

●「国民が絶対自分のこととして考えなければいけないこと」
不肖・村上誠一郎が、ただでさえやせ細った身体で、国会に来て必死にお願いをしたのは、後輩である(福島)瑞穂先生が、体重では負けないだろうからというんですが・・・。本当にこういうことを、党内でひとりで言うことは結構しんどいんです。

ですから、先生方、みなさん方も、本当にこの問題の重要性にお気づきであるわけですから、一人でも多くのみなさん方に、その問題点を伝えていただいて、国民お一人お一人が、自分が現憲法とどのように立ち向かうのかということを、ご理解いただけることを、切に切にお願い申し上げまして、簡単ではございますが・・・。今日は応援演説ではないんですよ。

言っておきますけど、これは絶対ね、国民が、自分のこととして考えなければいけないことです。そしてまた、自分自身のこととして判断すべきことであって、一部の国会議員で決められることではないということです。よろしくお願いします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おどけ・ふざけ・悪さが大切。 子育て・教育の原理

2015-06-09 | 教育

 

以下は、絶対的ともいえる原理です。

 



 お母様、お父様、 教育とか躾(しつけ)と思って子どもの心を抑圧し、歪めてはいませんか。

 発育、発達には順番があります。子どもは、十分にふざけ、おどけ、ばかを言い、けんかをし、悪さをしなければ、まともな大人にはなりません。早く大人にしようとすれば、小利口のつまらない人間か、外見だけを整えた偽善者か、心の深部に不満を抱えた犯罪予備者にしかならないのです。

 高校生になり、二十歳になって「狂って」いる青年は、幼少期―小学生までの時期に、十分にばかを言い、やれなかった(親や教師によって抑圧された)子どもたちの姿です。

 順を踏むこと、「飛ばし」の英才教育をしないこと。これは教育の原理です。子どもは自分でいろいろと試してみる時間的ー精神的余裕を持てないと、主体性を持ち、自分で考える人間にはなれないのです。子どもを「病気」か「ロボット」にするために必死で努力する!?愚かです。

 生活=体験=直観に根差した「意味」の分かる心と頭を育てる条件は、子どものありのままの心を受け入れ愛すること、急がずに順を踏むことです。必要なのは、「おどけ・ふざけ・悪さ」を許容し、楽しむ心です。一段ずつ階段を上ること。「飛ばし」をすれば、内的には悦びをもてない人となり、不健康な人生を招来します。

 


武田康弘



(※2004年出したものを簡潔に書き直しました。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は「恋知会」です。ケンブリッジの碩学のズッコケもご紹介=ソクラテスもキリスト教徒!(笑・呆れ)

2015-06-09 | 学芸

明日の水曜日は、「恋知の会で」です。

ケンブリッジ大学の優れた哲学者も自身の宗教(キリスト教)の正当化のためにはなりふり構わず、という面白い見本をご紹介します。

特定の宗教を信じるという精神と、白紙に戻して元から思考するという精神が両立しないことがよくわかります。両者は、次元を事にします。

日本の政治状況を見ても、特定のイデオロギー(明治政府が作成した近代天皇制=国体主義=靖国思想=天皇現人神)を背後にもつと、いかに愚かになるか、分かりますが、それは極めて危険な事態を招きます。

いまこそ、恋知(=ほんらいのフィロソフィ)を!です。

午後1時開場、1時30分開始~~4時30分まで。我孫子市ー白樺教育館にて。info@shirakaba.gr.jp


武田康弘

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

違憲立法進める安倍政府ー権力の正当性を失う! 憲法学者全員が、安保法制は「違憲」と判断。

2015-06-05 | 社会批評

違憲の法案づくりを進める政府は、すでに、民主政社会における国家権力の正当性を失っています。

いまの日本国家の統治は、「立憲主義」を捨てた政府独裁の状況にある、と言えます。違憲のまま権力を保持する安倍政権は、権力の正当性を持ちません。

では、どうするか? 

不当な権力行使を続けさせるのは、国を元から腐らせてしまいます。思案のしどころですが、有効な行動は何でしょうか。

武田康弘(元参議院「行政監視委員会」調査室・客員調査員 哲学講師)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍政権批判は、公共人の条件です。シチズンシップを持とう!

2015-06-03 | 社会批評

 わたしは、安倍政権(違憲の国家権力)に反対しない芸術家、スポーツ選手、芸能人は、その頭と心が信用できないので、一切、応援しません。厳しく批判します。

  戦前も同じで、天皇教の保守政治に従う者が「いいおもい」をし、厚遇された歴史があったのですから、なおのことです。

  国家主義の権力者に従う人間を批判しなければ、民主的な社会はつくれません。一人ひとりの小さな勇気=覚悟がなければ、人間性豊かなよきことは何もなしえないはずです。

  市民=シチズンになろう!!シチズンシップを持とう!!
  自己保身しか考えない人は、市民として失格です。

  政府の御用放送局に堕落したNHKは、新安保法制(戦争法)の国会審議は中継しないと決めましたが、どんどん戦前レジーム(安倍内閣が目がける戦前日本の復活)へと進みます。黙っていてはいけません。

武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍違憲状態インチキ首相に対する批判  チンピラ同然!  神前 格 内科クリニック院長

2015-06-03 | 社会批評

神前 格(神前内科クリニック院長)さんの「正しい」指摘をご紹介します。(太字、色字は、武田による)
https://www.facebook.com/kouzakinaika/photos/a.446177782113064.110069.403322649731911/915264221871082/?type=1&fref=nf&pnref=story

 先日、私は、安倍晋三違憲状態インチキ首相のことを、「“バカ”と“ウンチ”しか言わない子供がそのままで還暦を迎えたようだ」と批判し、「アベノミクスはドアホノミクス」(同志社大学・浜矩子教授)、
「インポ・マッチョ」(京都精華大学・白井聡講師)、
「右翼小児病」(作家・宮崎学氏)、
「安倍晋三さんはバカだ。しかもただのバカではなく病気である」(京都大学元助教・小出裕章先生)、
「安倍政権は国民の利益を全く無視し平然としている戦後最悪の政権である。安倍晋三氏はサイコパスである」(元外務省情報局長・孫崎享氏)といった各界の方々の、安倍晋三違憲状態インチキ首相に対する批判を御紹介しました。

「批判ばかりしていてどうなるのか」「批判の比喩が過激ではないか」という御意見の方もおられると思いますが、私は「普通に考えて、オカシイと思うことは、堂々とオカシイと言うべきあり、言い続けることが肝要である」「為政者は批判されて当然であり、特に国を滅ぼしかねない為政者に対しては、批判内容中の比喩...が過激であろうと、構わない」と考えています。

 

本日発売の『サンデー毎日』に掲載された、ジャーナリストの青木理さんの『ヤンキーかチンピラか』というタイトルの論評を御紹介します。正鵠を得た論評です。

-以下、『サンデー毎日』(サンデー毎日2015年6月14日号)の記事の転載です-

『ヤンキーかチンピラか』

そこそこ真っ当な政治家やメディア関係者なら十分に分かっていて、陰ではぼそぼそと愚痴っているのに、誰もが公然とは口にしない。それが不思議で仕方ないからあらためて書くのだが、現政権の内部や周辺に巣食う連中のレベルは相当に低い。

ネトウヨまがいの言説を垂れ流す者。最低限の知性と見識に欠けた者。名を挙げはじめればきりはないが、たとえば現首相の側近として政権の最中枢に居座る幹部のひとりは、かつて自身のツイッター上で、立憲主義についてこう書き込んだ。

「学生時代の憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか」

冗談のような話だが、現在の自民党の改憲草案は、この人物の主導でつくられた。いや、いまも改憲に向けた政権の動きに深く関与し、次のようなことを堂々と触れ回っている。

「改憲を国民に一回味わってもらう。怖いものではない、となったら、二回目以降は難しいことをやっていこうと思う」

リッケンシュギってナンですか?―そう公言する愚者が政権中枢で改憲への動きを担う悲劇。いや、これはもはや喜劇か。

現首相だって似たようなものだ。国会の場で立憲主義は「王権時代の考え方」と言い放ち、大学で憲法を多少なりとも学んだなら誰もが知っている故・芦部信嘉東大名誉教授らの名を「私は憲法学の大家ではないので存じ上げない」と口走ったのは記憶に新しい。最近では、まさに「戦後レジーム」の起点となったポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と開き直った。

本当の無知なのか、実際は知りたくない、認めたくないものは見ない、読もうともしない、ということなのか。いずれにせよ、こうした無残な言動が反知性主義と揶揄され、 「与党のヤンキー化」とも皮肉られたが、中身が空っぽなのに肩だけいからせるという意味では、安っぽいチンピラの群れに似ていると言い換えてもいい。

そんな政権下の国会で、安保関連法制の審議が本格化した。戦後日本の矜持を覆すばかりか、立憲主義すら腐らせる極悪法には幾度でも批判の石を投げる。しかし、憂鬱の種はこれにとどまらない。

盗聴法=通信傍受法を大幅強化する改正案。国民総背番号=マイナンバー法の利用範囲を拡大する改正案。派遣労働者の受け入れ期限を事実上撤廃する労働者派遣法の改正案。本来なら一つでも総選挙で民意を問うに値する重要法案だが、ずる賢い行政官僚が為政者の無知につけこんでいるのか、いずれも今国会に上程されていて、いずれも成立してしまいかねない。

そういえば、政界や財界にファンの多い某大物作家は、生前にこんな言葉を遺しているという。 「国が滅びる時、あるいは国家を滅ぼす時、必ず“愛国的な愚者”が権力の座に座る」

私は好きな作家ではない。ただ、この言葉には深く頷く。

-以上、『サンデー毎日』の記事の転載おわり-

『ストップ・ザ・アベ!』『ストップ・ザ・極右!』です。

 

神前 格

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする