★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

日曜日には鼠を殺せ

2014-03-21 23:54:39 | 映画


わりと好きな映画である。確かに、20年前のスペイン内戦の共和国軍の英雄であったマヌエルが、もうちっと堕落していていたほうが話はわかりやすくなっていたのかもしれない。ファシストを裏切ってマヌエルの母親の遺言通りに彼を助けてしまった神父が、マヌエルと同郷で内戦で父を亡くしていると判明したとたん、マヌエルが、共和国のためなら手段を選ばずという彼の思想と、殺してはなりませんという神父の思想の対立についてのこだわりをあっさりと捨て、おそらく密告の罪を負うであろう神父のために、ファシストが待ち受けている街に乗り込んでしまう……という話だとすれば、そうであろう。すなわち、マヌエルが理念に敗れて堕落しているのが明らかなら、純粋に理念ではないものに彼が投身したのが明確だったはずであるが……。しかし、私は、マヌエルの酒や女におぼれるわけでもない、静かで無為な堕落の方がリアリティがあるようにも思えた。それこそが過去に理念に投身したことのあるものの矜持であり行動しないことによる最悪の罰であり堕落であるからである。それ故、マヌエルを20年間もつけねらっていたファシストの方は女といちゃいちゃしている。まあ、このような図式的対比はリアルではないともいえるかもしれないが、対比を抜いて考えればリアルである気がした。日曜日に鼠を殺した猫は月曜日には殺される、という劇詩の一節からとられた題名らしいけど、共和国軍側に立ってみても味わい深く、ファシスト側に立ってみてもなんとなく残酷になれる気がするところが、なんとも苦々しい。とにかく、人殺しをすると、あとで納得する理屈を発明するのに大変ですよ……