★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

繋辞が必要なのですが、どこにもそういうものが見あたらない

2014-03-04 23:45:33 | 文学


「私の感じたままを申しますと、だいいちあなたのは推理ではなくて奇説だと思うのです。……仮りに、あの夜私が女装して〈那覇〉にいたとしても、それだけでは私が殺したという証明にはならないからです。ここでは、女装と殺人という二つの状態が、関係なくばらばらに置かれているにすぎません。この二つの名詞を結びつけて、意味のある文章にするには、どうしても繋辞(カップル)が必要なのですが、どこにもそういうものが見あたらない。私が殺したという。が、それに対する論理的な証明を全然欠いているからです。……警察ならば、臆説であろうと、仮定であろうとかまわない。あとは訊問でひっかけて、自白させるだけのことですが、あなたの場合は論理的に到達しようというのだから、こんなことではいけないのでしょう。……それから、女装のほうですが、それが私だというのは、どういう根拠によって判断されたのですか?」

――久生十蘭「金狼」

切り取って犬に投げて

2014-03-04 09:46:28 | 文学


 この時の余はほとんど人間らしい複雑な命を有して生きてはいなかった。苦痛のほかは何事をも容れ得ぬほどに烈しく活動する胸を懐いて朝夕悩んでいたのである。四十年来の経験を刻んでなお余りあると見えた余の頭脳は、ただこの截然たる一苦痛を秒ごとに深く印し来るばかりを能事とするように思われた。したがって余の意識の内容はただ一色の悶に塗抹されて、臍上方三寸の辺を日夜にうねうね行きつ戻りつするのみであった。余は明け暮れ自分の身体の中で、この部分だけを早く切り取って犬に投げてやりたい気がした。

――夏目漱石「思い出す事など」