内ゲバの論理 2016-12-21 23:18:16 | 文学 埴谷雄高編の『内ゲバの論理』を読み直していたのだが、今の我々に近いような、えーと、「市民」のような――鶴見俊輔や久野収がなんとなく内向きであり、ほとんどテロ礼讃じみている高橋和巳や埴谷が外向きにみえるのは、面白い。高橋和巳や埴谷は中国や露西亜を必死に勉強している。鶴見や久野だって相当なもんだったが、連合赤軍事件のあとではなんとなく内向きになったみたいだ。我々は、グローバリズムと共謀罪などでもう一回、高橋や埴谷じみてくるとわたくしは考えるが、しかしこれは苦しい。埴谷は探偵小説なぞ読めば気は休まり革命はまた明日、という感じで生きていけるのであろうが、高橋はもはやテロをやりそうな自分にうなされている状態である。