ちょうど二ヶ月後に共産党を飛び出すことになる渡邊恒雄が『人間』で、哲学者の眞下信一と往復書簡を交わしている。渡邊が党活動をしながら、夜になると戦時下のトラウマがフラッシュバックして、その感情をマルクス主義や実存主義や近代文学派の用語で処理しようとして悶々としている感じがよく出ている。彼は、昼間のマルクス主義者の武装を脱ぎ去って、「War das Leben!」などと叫んだ過去の孤独を反復したくなったという。これはいわば、三島由紀夫の「重症者の兇器」に似ている文章であって、――彼らは、発達段階で大人から「虐待」を受けていたようなものだ。それがどうなるか、というのが彼らの戦後であったような気が、これらの文章を読むと、――する。
対して、戦前にすでに逮捕経験がある眞下の方は、言行一致的な「誠実」さに目標を定めている。つまり彼の方は、あくまで気になるのは転向の問題にあった。眞下は世代間の問題などたいしたもんじゃない、と言いたげである。そりゃそうなのだが、問題はそういうことじゃなかったのである。