★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

知の考古学のあれ

2018-04-29 23:27:31 | 思想


和辻哲郎はいまも結構影響がある人である。柄谷行人を保守親父にすると和辻みたいになるので、これから案外また流行るのかもしれない。「封建思想と神道の教義」は、『世界』の創刊号に載った割と有名なエッセイである。最近、天皇統治に武士(君主)政治の「忠君」を適応した馬鹿がいた、みたいな剣幕の論文で――、いや剣幕ではなく、穏やかに「「不忠」の徒」と言っている。武士時代の武士は、戦闘専門家ではなく君主政治を学んだ政治家であったが、近代の軍人は戦闘専門家のくせに、政治に口出ししたからいかん、陛下が「軍人勅諭」を出している意味を考えるべきであった、と。

思うに、この時期のオールドリベラリストたちは、武力を用いる凡夫たちの変節をよく想定するのに、なぜ天皇の変節を想定しないのかはよく分からない。この論文だって、15年戦争の時の天皇を、古代以来、天皇が神道とも本質的には関係がなく、寧ろ仏教や儒教とともにあったやさしい存在である(そんなもんかな?と思うけど)ということにして、そこから類推しているだけのように思える。実証的には天皇がすべて命令していたとはとても証明できないにせよ、わたくしはまだ疑っている。天皇にすべての責任を負わせなければならないほど、彼から指示が出ていた可能性をである。

それにしても、和辻は過去の記述の方が鮮明で、現在の記述は曖昧だ。我々にもそういう傾向がありますね。

講演会など

2018-04-29 02:54:29 | 日記


そういえば、酒によってなにやらやらかしてしまったというので山口メンバーとかいう人がアイドルグループを追放されるもようであるが――、思うに、酒を飲んでは何かイケナイことをしてしまいそうな現代人には、非常に選択肢というものが狭まっているといへよう。女子高生を呼びつけてキスするとか、記者を呼びつけて淫らな言葉を吐くとか、そんなに地獄に墜ちたいのであろうか。我々はかくも形式論理的な畜生であろうか。

さっき、『今昔物語集』を読んでいたら、酔っ払ってつい法衣を着てしまい釈迦の弟子になって出家してしまったおじさんの話が出てきた。なんと釈迦は出家後の彼に飲酒まで許したのである。

深酒しても、逆に悟りの道が開けることもあるのである。昔のひとがこういう話をことさら後世に伝えたかったのはなぜであろうか。思うに、こんなことがあると知っていなければ、塞翁が馬的な、弁証法的な、こんな僥倖は生じないということを知っていたからではなかろうか。わたくしの貧しい経験から言っても、馬鹿な状態には幸運は訪れない。いまの世がくだらなくなってきたのは、酒や好色が堕落へ直結するというようなレベルの道徳が幅をきかせているからである。モラルを考える力とかかっこつける前に、先人から知恵を学ぶべし。