原作にもある「民主主義の芸者的解釈」という言葉が気になったので、『青い山脈』をみてみたら、いろいろと考えさせられた。我々は、この当時の「封建的」みたいなイメージを忘れかけているが、――いまのネット世界の下品さなど、この映画の「封建的」な世界そのままなのである。それとの戦い方を、この物語は試行錯誤しているのであるが、もしかしたらその仕方を間違えたかもしれない。
古い上衣よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
「さみしい夢よさようなら」は分かるのであるが、「古い上衣よさようなら」が問題である。これは比喩以上のものであった。島崎(原節子)の洋服や、新子(杉葉子)の水着をも意味していたからである。
原作の最後あたりで、笹井和子が、島崎と沼田の結婚について「すてきだわ。爆弾で――オシドリで――殺人罪で――散文的幸福で――わたし感激しちゃった」と言う場面がある。二人の会話を盗み聞きしていたから、こんな変な要約になってしまったのであるが、案外、戦後の文化を示唆してしまっているようで面白い。石坂洋次郎(←全然好きではないが)の面白さは、こういうせりふがぴょこんと出てくるところにあるのであるが、無論、この台詞は、映画には出てこない。
映画では、笹井和子(若山セツ子)が影のヒーローであり、一番かわいらしい。眼鏡っ子で……。しかし、まあ、こういう純朴な小娘に頼ってしまうところが我々の文化の欠点でもあったような気がする。