
菊池寛に「海の中にて」という短篇がある。藤村が「新生」、芥川龍之介が「地獄変」、葛西善蔵が「子をつれて」を書いている年に書かれている。小学校の教員が芸者といい仲になってしまいスキャンダルとなり、上京するが生活はうまくいかず、ついに心中に至る――が、男だけ生き残る、みたいな話である。面白いのは、菊池寛の小説でよくあることのように思うが――、心の発生とか行為の発生とかを内面描写的にではなく描いていて、主人公たちはまったく主体的ではない。特に男は、女の行動に引き摺られていっているだけで、――しかし、考えてみたら女もそうかもしれないのである。題名にあるように――、おたがいに海の中での錘のようなものと化している。実際の錘と違うのは、お互いに接触しないと重くならないということだ。
はじめ、男は心中するつもりじゃなかったが、女と抱き合っているうちに、「女の心持が、 沁々と彼の裡に浸じみ来んで」くるのである。そしていざ水の中に入ってみたら女が踠くので彼も踠く。
いま、首相案件とかで、大騒ぎであるが、わたくしは、この安倍夫婦のあり方に興味がある。で、上の話を思い出したのである。――むろん、錘になるのは夫婦に限らないのであって……