ピンクレディーやドリフの芸がテレビでやっているのを「いかがなものか」とかPTAが言っていた時代と違って(――というのはたぶん嘘で、其の延長線上にあるのであろうが)、いまや、政治家や官僚の下ネタが
下ネタは、ある種の男性にとって、女性のおしゃれみたいな側面があるのであり、性が性そのものからは離れているその在り方が問題なのである。そこでは性がおもちゃみたいに扱われている。そんなものには昔から様々な理由があったとおもうのだが、最近のていたらくについては、フェミニズム的な理念の運動でなんとかなるとは思えない。問題は性欲や性的な暴力じゃなくて、人間関係における権力意志、というかコンプレックスとの関係で「下ネタ」を言わざる得ないようなところに追い込まれる人間たちがいるということである。これは非常に興味深い問題である。
古典的に、それは、恋愛からの疎外が原因であろうかとも考えてみたが……、「蒲団」の時雄は、下ネタを言ったであろうか。彼は、女の蒲団に頭を突っ込んでも下ネタに走ったりはしていないのである。
要するに、人としてまともである水準にあってはじめて罪とか人権の問題とかがお互い論じられる形で生じると思うんだが、――ガキが砂場で恥部をいきなり出したとしても、ひっぱたくだけであろう(だめか)。ひっぱたく方にもその場合、正義とかがあるわけじゃなく、しつけのレベルだ。なんだか、そんな世の中になってきたようだ。もはや、今回の騒動については、次のような童話がふさわしい。
赤ちゃんは、お母さんのお乳にすがりついて、うまそうに、のんでいました。
それをさもうらやましそうにして、五つになったお兄さんと、七つになったお姉さんとがながめていました。
兄さんは、ついに我慢がしきれなくなったとみえて、お母さんのお乳に、小さな手をかけようとしました。すると、赤ちゃんは、顔を真っ赤にして、かわいらしい頭をふって、さわってはいけないといって怒りました。
「よし、よし、お兄さん、おっぱいにさわってはいけませんよ。これは、赤ちゃんのお乳ですから。」と、お母さんは、笑いながらいわれました。
お姉さんも、またお兄さんも、笑いましたが、お兄さんは、なんとなくさびしそうでした。そして、お母さんに向かって、
「お母さん、赤ちゃんは、いじわるですねえ。」といいました。
「坊やも、赤ちゃんの時分は、やはりおなじだったのだよ。」
「お母さん、僕もこんなに、いじわるだったの?」
「赤ちゃんが生まれるまでは、坊やが、毎日こうして、母さんのおっぱいにぶらさがっていたの。そしてお姉ちゃんが手を出そうものなら、やはり、こうして顔を真っ赤にして怒ったの……。このお乳のまわりには、みんなの唇の跡が、数かぎりなくついているのです。」と、お母さんはいわれました。
このお話を聞くと、お姉さんも、そうであったかというように、かわいらしい目を輝かしました。
しかし、お姉さんも、お兄さんも、そんなにして毎日飲んだ、お乳の味を忘れてしまって、ただお乳を見ると恋しいばかり。赤ちゃんだけが、お乳の味を知っていました。
――小川未明「お母さんのお乳」