柳田の「遠野物語」から、六九と七〇あたりのお話をとってきた映画である。この話の邪宗的な側面、――語り手のばあさんがなにやら普通の念仏者ではなく邪宗みたいな信仰者だと言われている――が、あんまり活かされていない映画であるが、きれいなところもたくさんある。
ぶちこわしは、最後の主題歌で、せっかく日露戦争ぐらいの時代に浸っておったのに、一気に制作時の八十二年に連れ戻される。
だいたい上の邪宗のばあさんの語りによれば、馬と夫婦になった娘は、お父さんが切り落とした馬の首とともに天に昇っていったのであった。ここが一番いいところなのに、それがない。残念……。
映画の方は、許嫁が日露戦争で死んで魂が馬に乗って帰ってくるみたいな話になっている。娘は、その帰ってきた魂と結ばれて子どもを産む。娘はある官吏と結婚させられそうになっており、つまり、「反近代(明治)」みたいなのがテーマであろう。
昨年、いろいろな神社をめぐって思ったのだが、神社は特に農村地帯のそれは、武力に対する顧慮みたいなのが潜んでいる気がする。だから、おそらくそれは、屍体や何やらのグロテスクな記憶と結びついているのであって、上の馬の首と昇天、みたいなのは案外、ある種の真実をついているかもしれない、と思った。
どうも、八十年代のスピリチュアルな風潮の中で、我々はいろいろと間違えちゃった気がする今日この頃である。