
つらつきいとらうたげにて、 眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。「 ねびゆかむさまゆかしき人かな」と、目とまりたまふ。
先生、このおにいさんが、覗いてます。はやく逮捕して下さい。
さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。
考えてみると、ここでいきなり「涙ぞ落つる」というところがいい。眼の前にいる少女が藤壺と似ているからといっていきなり涙が出るのはよほどのことであり、そこに心理を越えた作用がある。わたくしはこれは自己憐憫ですらないと思う。源氏は療養に来ているのだが、いろいろな意味で病気なのだろう……。むかし、「だけど涙がでちゃう女の子だもん」というのがあったが、この場面はいわば「さるは涙が出ちゃう似てるんだもん」である。人間こんなことはしょっちゅうある。親を亡くしたこのかわいそうな子はこれからどうなるノー、とか尼たちがしくしく泣いているところに、僧都が来て、近くに源氏が来ているらしいといい、
「この世に、ののしりたまふ光る源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり。」
といって、まずは手紙で挨拶になどと言い出す。完全に生臭坊主であるが、光源氏こそ療養に来ておるのに、それをみて寿命を延ばそうとは卑怯なり。これも考えてみれば、「さるは長生きしちゃう光源氏だもん」みたいなものである。結局、案外、その程度のことで我々は元気になったりするものである。いまでも、左翼と言えば現実が分からんと盛り上がり、右翼と言えば頭が悪いと盛り上がり、大学だー韓国だートランプだー大野くんやめないで~、とうるさい限りである。ちゃんとみてからものをいえやこのクズどもがっと、言いたいところだが、みりゃみたで、涙が出ちゃう、みたいなことになりかねない。
結局、光源氏も容姿と頭の良さに恵まれすぎたせいで研鑽を怠っているのである。勉強すれば、涙なんてほとんど出なくなるからな……