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岩と土とから成る非情の山に、憎いとか可愛いとかいう人間の情をかけるのは、いささか変であるが、私は可愛くてならぬ山を一つもっている。もう十数年間、可愛い、可愛いと思っているのだから、男女の間ならばとっくに心中しているか、夫婦になっているかであろう。[…]再び言う。雨飾山は可愛い山である。実際登ったら、あるいは藪がひどいか、水が無いかして、仕方のない山かも知れぬ。だが私は、一度登って見たいと思っている。信越の空が桔梗色に澄み渡る秋の日に、登って見たいと思っている。若し、案に相違していやな山だったら、下りて来る迄の話である。山には登って面白い山と、見て美しい山とがあるのだから……
――石川欣一「可愛い山」
ジャーナリストらしい起伏の激しくない文章だと思うが、「とっくに心中しているか、夫婦になっている」とか言うところがすごい。そして最後まで、登って面白いのと見て美しいのとがあり、とか言っている。つまりこれは、片思いの初期から中期までの説明であろう……。
それはともかく、この雨飾山は長野と新潟の県境にある。北信五岳あたりというのは、まだちゃんと眺めたことがないのであれなのだが、小学校三年生のとき新潟にディーゼル車で木曽から向かっているときに、黒姫とか飯縄とかが次々に現れたときには感動した。此等は高さは大したことがないが、白くなっているそのなりようが、南信とは違ってすばらしいような気がした。歳をとって時間が出来たら見に行っていてみたい。案外美しくなかったら、「引き返して来る迄の話である」。