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窓の蘭の葉の形の結晶のすきまから、東のそらの琥珀が微かに透いて見えて來ました。
「七時ころでございませうか。」
「丁度七時だよ。もう七時間、なかなか長いねえ。」
[…]
俄かにさっと窓が黄金いろになりました。
「まあ、お日さまがお登りですわ。氷が北極光の形に見えますわ。」
「極光か。この結晶はゼラチンで型をそっくりとれるよ。」
車室の中はほんたうに暖いのでした。
(ここらでは汽車の中ぐらゐ立派な家はまあありゃせんよ。)
(やあ全く。斯うまるで病院の手術室のやうに暖かにしてありますしね。)窓の氷からかすかに青ぞらが透いて見えました。
「まあ、美しい。ほんたうに氷が飾り羽根のやうですわ。」
「うん奇麗だね。」
向ふの横の方の席に腰かけてゐた線路工夫は、しばらく自分の前のその氷を見てゐました。それから爪でこつこつ削げました。それから息をかけました。そのすきとほった氷の穴から黝んだ松林と薔薇色の雪とが見えました。
――宮澤賢治「氷と後光」
わたくしは実はあまり宮澤賢治の語り口が好きではないのだが、少し思い上がっている時などには、上のようなこの人の小品などを読むと、とてもかなわない気がする。この人は教師をやっていたから、その職業の匂いも確かにするのであるが、――それにしてもすごいセンスをしていると思うことがある。わたくしの小学校のときの先生――牛丸先生も童話作家であったが、死の間際に宮澤賢治について語っていた。賢治の倍近くは生きた先生のことだ、本当のところは、この作家の才能に今更ながらうちひしがれていたのではないだろうか。そんな気がしてならない。