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さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば、わが心地もすこしたがふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり
源氏が若紫をかわいがる理由がこれであった。むろん、若紫が若いからそうであったのではなく、やっぱりそういうお人形さん的な人であったのであろう。幼稚園とか保育園に行ってみるがいい。女の子がもう既にさかしら心なんか自在に操ることは明らかである。そんなことを忘れたる為には、ある意味で我々は見ることに徹する必要がある。そんな傾向を我々の少女文化に見出すことは可能だろう。
わたくしは、源氏物語を読むと、吉村萬壱の『クチュクチュバーン』にでてくる「俺の仕事は見ることだ、ピー」というせりふを思い出す。