今日は、病院の待合室で山下悦子氏の『高群逸枝論』を読んでいたが、やっと山下氏の言いたいことがわかってきたこの頃である。考えてみると、八〇年代にこれに触れていたときはなんとなくぴんとこなかったのだが、果たしてどちらの読み方が妥当だったのか……。
本を読んでいると、「同時代性」などというものが、非常に判断しずらいものであることは明かである。わたくしはこの本にようやく同時代性を共有することになったのか、あるいは、この本の八〇年代には同時代性などなかったのか。それとも「同時代」が続いているだけなのであろうか。
一番可能性が高いのはわたくしの読解力の問題だが、――ひとつには、いま、四国遍路の地にわたくしが住んでいることも重要であるだろう。
思うに、高群における彼女の田舎がきわめて思想的に重要であって、それゆえ、四国遍路みたいなものも重要であるに違いないので、わたくしはこのひとなんかのエネルギーの在処を「地方の人間」としてかんがえたい誘惑に駆られた。

高崎経済大学の六〇年代の闘争をえがいた上のドキュメンタリーを初めて見た。高崎経済大学とわたくしの母校は、体育祭とかを一緒にやっていたからよく知っているのであるが、ICUとともに、単科大学における早くからの学生運動で知られているのであった。日大とか東大の運動の記録をみると、まるで津波のように学生が押し寄せる場面があるが、まったく今も三百人教室に津波が押し寄せて滞留しているのであって――、わたくしが経験した大学とはそういうものではない。まるで、全国から国語だけが好きな子たちが、再度国語専門高校に入学したかんじであって――、クラス名も「花・鳥・風・月」や「止・水・黎・明」で、まことに牧歌的なかんじであるが、決して全面的にそうではない。そこでは、マンモス大学にはある資本主義社会を仕切る(あるいは、学問的出世、でもいいが)人間になるための秘策が群の中にういておらず、閉じた学級会みたいなものが乱立している感じであった。
案の定、わたくしのいた大学にも孤立したセクトがまだ活動していた。
まったく無関係にみえなかったことは確かである。単科大学で趣味や勉強にふける我々と彼らは本質的におなじような気がしたからである。上の高崎経済大学の闘争の面々も、もはやわたくしがいた吹奏楽部の低音パートぐらいの人数である。それが大学と戦って逮捕され裁判にかかっている。これは、マス化した学生運動とは根本的に異なるものである。参加したら最後、逮捕裁判が目の前なのだ。マンモス大学でデモ隊の後ろからくっついていた御仁たちとは訳が違う。
わたくしが大学までで身につけた、そんな感覚を思い出した二作品であった。
本を読んでいると、「同時代性」などというものが、非常に判断しずらいものであることは明かである。わたくしはこの本にようやく同時代性を共有することになったのか、あるいは、この本の八〇年代には同時代性などなかったのか。それとも「同時代」が続いているだけなのであろうか。
一番可能性が高いのはわたくしの読解力の問題だが、――ひとつには、いま、四国遍路の地にわたくしが住んでいることも重要であるだろう。
思うに、高群における彼女の田舎がきわめて思想的に重要であって、それゆえ、四国遍路みたいなものも重要であるに違いないので、わたくしはこのひとなんかのエネルギーの在処を「地方の人間」としてかんがえたい誘惑に駆られた。

高崎経済大学の六〇年代の闘争をえがいた上のドキュメンタリーを初めて見た。高崎経済大学とわたくしの母校は、体育祭とかを一緒にやっていたからよく知っているのであるが、ICUとともに、単科大学における早くからの学生運動で知られているのであった。日大とか東大の運動の記録をみると、まるで津波のように学生が押し寄せる場面があるが、まったく今も三百人教室に津波が押し寄せて滞留しているのであって――、わたくしが経験した大学とはそういうものではない。まるで、全国から国語だけが好きな子たちが、再度国語専門高校に入学したかんじであって――、クラス名も「花・鳥・風・月」や「止・水・黎・明」で、まことに牧歌的なかんじであるが、決して全面的にそうではない。そこでは、マンモス大学にはある資本主義社会を仕切る(あるいは、学問的出世、でもいいが)人間になるための秘策が群の中にういておらず、閉じた学級会みたいなものが乱立している感じであった。
案の定、わたくしのいた大学にも孤立したセクトがまだ活動していた。
まったく無関係にみえなかったことは確かである。単科大学で趣味や勉強にふける我々と彼らは本質的におなじような気がしたからである。上の高崎経済大学の闘争の面々も、もはやわたくしがいた吹奏楽部の低音パートぐらいの人数である。それが大学と戦って逮捕され裁判にかかっている。これは、マス化した学生運動とは根本的に異なるものである。参加したら最後、逮捕裁判が目の前なのだ。マンモス大学でデモ隊の後ろからくっついていた御仁たちとは訳が違う。
わたくしが大学までで身につけた、そんな感覚を思い出した二作品であった。