★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

素朴な雑感など

2019-03-29 23:09:15 | 文学


世の中、いとわづらはしく、はしたなきことのみまされば、「せめて知らず顔にあり経ても、これよりまさることもや」と思しなりぬ。


須磨の一場面であるが、源氏物語というのは、こういうすごく素朴な部分があるのが印象的である。こういうところを修辞的に工夫したりする気はなかったのである。政治的な圧力に対しては、源氏がただひたすら逃げるしかなく、そんな時の感情は素朴なものであるほかはない。われわれが屡々忘れることである。わたくしは中学生以来、古典の世界はものすごく編み目の入りくんだものだと思い込んでいた節があり、それが勉強を妨げた。残念なことである。

地方選挙がはじまってテレビを見ていたら、かなりの自治体で選挙なしで当選者が出ている。まだ団塊の世代の「政治」好きがいる状態でこれだから、われわれの世代がいい歳になってどうなるかはだいたい予想がつく。政治の季節がオワったなどという流言はどうでもいいことであったが、実際、アイロニーでも何でもなく政談から遠ざけられた子どもたち(われわれの世代)がどうなったかというと――こうなった訳である。自意識以前にモノを知らされていないのだ。

明石順平の『アベノミクスによろしく』を少し読んだ。素人の目で見てもわりと素朴な本であったが、それでも高校の時の政経の知識は必要だ。ちなみに、この本も対話形式なのだが、最近の検定で通った教科書の記述は、対話形式が多いそうだ。あのね――、ソクラテスの本とか読んでみて下さい。あと、対話形式をでっちあげて悪態をついている花田とか吉本の文章を。果たして、分かりやすいですかね?彼らが一人称でぐいぐい書き進むときの深さと比べてどうなんです?

西谷啓治の「マルクシズムと宗教」を読んだけど、マルクシズムがその成立に必要なニヒリズムと、実存主義と化したようなニヒリズムのような強力なそれの、二つのニヒリズムにたいして対決する必要があると結論づけていた。そりゃそうだっただろうけれども、西谷はニヒリズムというものがそもそもあると考えているのではなかろうか。わたくしは反対だ。