このあひだに風のよければ、梶取いたく誇りて、船に帆上げなど、喜ぶ。その音を聞きて、童も媼も、いつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。この中に、淡路の専女といふ人のよめる歌、
追風の吹きぬるときは行く船の帆手うちてこそうれしかりけれ
とぞ。
天気のことにつけつつ祈る。
「土佐日記」を読んでいると、航海中だからかもしれないが、みんなあまり忙しくはない気がする。貫之の普段がそんなはずはないと思うけれども、そして、まわりの女たちだって忙しかったはずが、子どもや婆さんの歌をいちいち反芻してみせる語り手には余裕がある。
いまの世の中、あまりにみんなが仕事に一生懸命だが、そんな状態では、上のような天気を気にする余裕はない。しかし、この天気というのは本当は命に関わるのである。いまだって、自分と気候の関係をうまいこと調整する余裕は必要だ。一見、天候に関係なく活動出来るようになった我々だが、体の方は、そんなやり方に慣れていない。