★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

天気のことにつけつつ祈る

2020-11-06 20:03:48 | 文学


このあひだに風のよければ、梶取いたく誇りて、船に帆上げなど、喜ぶ。その音を聞きて、童も媼も、いつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。この中に、淡路の専女といふ人のよめる歌、
  追風の吹きぬるときは行く船の帆手うちてこそうれしかりけれ
とぞ。
天気のことにつけつつ祈る。


「土佐日記」を読んでいると、航海中だからかもしれないが、みんなあまり忙しくはない気がする。貫之の普段がそんなはずはないと思うけれども、そして、まわりの女たちだって忙しかったはずが、子どもや婆さんの歌をいちいち反芻してみせる語り手には余裕がある。

いまの世の中、あまりにみんなが仕事に一生懸命だが、そんな状態では、上のような天気を気にする余裕はない。しかし、この天気というのは本当は命に関わるのである。いまだって、自分と気候の関係をうまいこと調整する余裕は必要だ。一見、天候に関係なく活動出来るようになった我々だが、体の方は、そんなやり方に慣れていない。

鬼にあらず

2020-11-06 01:27:30 | 文学


二十三日。日照りて曇りぬ。「このわたり、海賊の恐れあり。」と言へば、神仏を祈る。
二十四日。昨日の同じ所也。
二十五日。楫取らの「北風悪し。」と言へば、船出ださず。「海賊追ひ来。」と言ふこと、絶えず聞こゆ。


ときどき、四国の人々なんかは全体として海賊だったんじゃないかみたいな想像をしている人たちがいるが、たぶんそんなことはない。むしろ、最近までいたことが重要である。

私の郷里、小豆島にも、昔、瀬戸内海の海賊がいたらしい。山の上から、恰好な船がとおりかゝるのを見きわめて、小さい舟がする/\と島かげから辷り出て襲いかゝったものだろう。その海賊は、又、島の住民をも襲ったと云い伝えられている。かつて襲われたという家を私も二軒知っているが、そのいずれもが剛慾で人の持っているものを叩き落してでも自分が肥っていこうという家であったのを見ると、海賊というものにも、たゞ者を掠めとる一点ばりでなく、復讐的な気持や、剛慾者をこらしめる気持があったらしい。

――黒島傳治「海賊と遍路」


黒島は島の人間関係をくさしながら、どこかしら海賊(あるいは鬼)とお遍路さんを重ねてみている。略奪者や施しをうける人間達が、どきどき道徳と宗教の執行者となったりする。考えてみると、お遍路さんの起源は海賊だったのではないかと妄想したいくらいだ。そして、そういうポジションでしか、道徳を語ることは出来ないのだ。そうでなければ、人間関係の中で欲望を発散するしかなくなる。

「土佐日記」の作者も、なにかよからぬことを都でしていたに違いないし、過ちを犯さなければやっていけないような人間関係だったにちがいない。そういう人間達を海賊がおってくる。

さぬきにはこれをや富士と飯野山 朝餉の煙ぞたたぬ日ぞなき(西行)


西行はどちらかというと海賊でも島民でも遍路でもなく貫之でもなく――観光でもしに来たのであろう。わたくしは、今日は長寿大学で丸亀に来たのです。