「船とく漕げ、日のよき日に」ともよほせば、梶取、船子どもにいはく、「御船より、仰せ給ぶなり。朝北の、出で来ぬ先に、綱手はや引け」といふ。このことばの歌のやうなるは、梶取のおのずからのことばなり。梶取はうつたへに、われ、歌のやうなる言、いふとにもあらず。聞く人の、「あやしく、歌めきてもいひつるかな」とて、書き出だせれば、げに、三十文字あまりなりけり。
現在も、首相や何やらのコメントが五七調だったみたいなことに関しては敏感である。だから、この程度のことは、べつに彼らが歌と現実の境目がなくなっていることを意味しない。むしろ、歌に集中しきれずに、俗事で暇をもてあましていることを意味する。
惜しい事に雪舟、蕪村らの力めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭にふと邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵られても恨はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖のなかへ落ち込むまで、工夫したが、とても物にならん。
――漱石「草枕」
あまりに集中しているとほとんど韻は上のような気韻みたいなものになってしまう。リズムは邪魔に成り画になってゆく。