この泊まりの浜には、くさぐさのうるはしき貝・石など多かり。かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、船なる人のよめる、
寄する波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ
と言へれば、ある人の堪へずして、船の心やりによめる、
忘れ貝拾ひしもせじ白珠を恋ふるをだにもかたみと思はむ
となむ言へる。女児のためには、親幼くなりぬべし。「珠ならずもありけむを。」と人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。
この贈答はどちらも萬葉集をふまえているように言われている。ときどき、我々はこのような文化を重たく感じてはいないであろうか。我々がときどきすごく馬鹿のような文化状態に帰ろうとするのは、もしかしたら文化の重層にたいする反抗かも知れない。そもそも、この場面でも、「女児のためには、親幼くなりぬべし。「珠ならずもありけむを。」と人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。」といった半畳らしきものが入って、重さを解放しているようだ。近代ではこれを自嘲みたいにかんじるけれども、実際は、ほっとするため息のようなものであるきがする。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭どい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
――漱石「第一夜」
我々の近代は、そのため息を許さず、一気に形象を求めてしまう。しかし、これはこれで進歩ではないかとわたしは太宰の「きりぎりす」の骨の中の虫の鳴き声のように思うのである。