皆人々の船出づ。これを見れば、春の海に、秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。おぼろげの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日出で来て、漕ぎ行く。この間に、使はれむとて、つきて来る童あり。それが歌ふ船歌、
なほこそ国の方は見やらるれわが父母ありとし思へばかへらや
と歌ふぞ、あはれなる。かく歌ふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥と言ふ鳥、岩の上に集まりをり。その岩のもとに、波白くうち寄す。楫取りの言ふやう、「黒鳥のもとに白き波を寄す。」とぞ言ふ。
土佐日記は、歌よりと地の文が、朔太郎が言うような意味での「詩」として拮抗している感がある。ここで歌われるのは、たぶん意図的に子どもが詠っていて、それを囲む大人のみる風景が印象的で、――「春の海に、秋の木の葉しも散れるやうにぞありける」(春の海に秋の木葉が散っているようだ)とか、「黒鳥のもとに白き波を寄す。」(黒鳥のもとに、白い波を打ち寄せる)情景である。どことなく、シンクロしている風景なのである。これに比べると、子どもの歌は、観念的で大きな空間を感じさせる。おそらく、どちらが欠けても貫之の精神がバランスを失うのである。
四谷見付から築地両国行の電車に乗った。別に何処へ行くという当もない。船でも車でも、動いているものに乗って、身体を揺られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは紐育の高架鉄道、巴里の乗合馬車の屋根裏、セエヌの河船なぞで、何時とはなしに妙な習慣になってしまった。
――永井荷風「深川の唄」
やっぱり散歩がすきで劇場でちやほやされているような人はちがう。身体を揺すられるのが快感とか、お前は赤ちゃんか。貫之の船に乗っていたら、こういう揺れるのが好きみたいな子どもは無視されて記録に残っていないであろう。