このあひだに、今日は、箱の浦といふところより、綱手引きて行く。
かく行くあいだに、ある人のよめる歌、
たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡とたれか見ざらむ
吉本隆明がどこかで江藤淳との対談のなかで、例えば古老などに聴いて調査するみたいな行為には屈辱感が伴う、といっていた。吉本というのはたしかにそういうことを言うことがある。吉本が嫌っているのは、上のような歌を歌う人がいて、それに何か返さなくてはならない感覚に似ているのではなかろうか。どうしてもそんな速さでは言えないことがある気がするのである。吉本の目指すファクトは、そんな言えないものの中にある。普通それを退屈だなんだといってしまうのが普通なのだが、彼はなんだかんだと発言する機会を捉えていろいろ言って、退屈とは言わなかった。それが我々の存在をなぞることだとも言いたげに喋り続けたのである。ただ、――退屈だという人に対して何か権力意識が働くところが、西田幾多郎なんかと違うところではないか。
また、三島由紀夫はいろいろあった後に出てくる文化だけをなぜ問題に出来るのか、それ以前を柳田や折口みたいに考えないのかとも言っていたと思う。そりゃ吉本とちがって小説を書きたいんだからしょうがないじゃないか。小説を書きたいというのは、芸人として舞台で見得を切るのと似ているのかもしれない。吉本が嫌っているファクトの世界はここにもある。三島は、文化を舞台にあげないと生きられないという感じを持ち続けていた。
今日の授業収録では、芸人と文学のことを考えたから、こんなことを思ったのである。
それは一々私宛ての手紙體に卷紙に書いた、日記のやうなものだつた。どれにも殆んど同じ事が繰り返してある。
一つ一つ開いてゐる中に、どさりと中から疊の上に落ちたものがある、長さ三寸ばかりの長方形の鏡だつた。
枠がとれて、水銀が處々剥げてこわれた壁畫のやうに黄色く平板に物の象を映してゐた。
――私は、何故とも知れぬある衝撃をうけた。手紙の一節を私は讀んで見ると、
「この前、大雪が降りましたらう。あの日でございます、覺悟をしたのは。就きましてあなたに何や彼とお世話になりましたから、何か形見を差し上げたいと存じましたが、たゞ今私の持つてゐるものとては、着換の肌着もございません始末です。あの此の鏡だけは、若い時から大切に身につけて來ました品でございますから……」
――若杉鳥子「古鏡」
わたくしは、こういう感じでいきなり映る物というものもあると思うのだ。けっこう忙しくしていなければ見出せないものである。