孔子曰、益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣。
孔子も最後の三つみたいなろくでもない友を抱えていたのだ。友だと思ってもろくでもない奴だったということはいつもあり、孔子は弟子たちにこんな事を言って、「お前らのことを言っているんだけどはやく気付よボケッ」とでも思っていたに違いない。しかしまあ、孔子としてもはじめは見込みがある弟子を選んだつもりでそれほど間違っていたのではないのだと思う。しかし、時がたつとオセロみたいにひっくり返ってしまう輩が出てくる。
例えば、わたくしが学生だった頃は、教員でスーツネクタイしている奴は学長狙っているという感じだったが、最近は、服装だけ見ると九割方狙っているとしか思えない。もちろん時代が変わったのであり、狙っている奴は以前よりも少なくなっているのである。――と思うけれども、その九割が何かを狙っているというのも事実だと思う。それが学長じゃないだけで。
こういうことである。人間の変容というものは、かくも我々の判断を混乱させる。こういうのは「転向」と言って済む者ではない。例えば、わたくしは、遊郭でゲロはいて遊女を困らせてうれしがっているような、変態梶井基次郎の友達の中谷孝雄というのがわりと好きだが、彼は非常に真面目な男であった。そのかわり、なんだか友人に合わせて転向する男であった。中谷の妻は平林英子だが、新しき村→プロレタリア作家同盟→日本浪曼派みたいな経歴。中谷自身も梶井の「青空」から日本浪曼派に。義仲寺で庵主なんかもしてる。平林と中谷が付き合ってたの三高時代からであって、それで二人が左傾でもしたら話は分かりやすいわけだが、そうでもないのだ。ここらあたりのひとたちは左か右か分けられない。転向の連続と言えばそうなんだけど、かれらのつくった雑誌はほんと、「日本浪曼派」でさえごった煮状態で、もうこれらを包んで揚棄するにはもう「近代の超克」あたりしか観念的に方法がないんじゃないか――冗談だけど。
顏淵季路侍。子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾。顏淵曰、願無伐善、無施勞。子路曰、願聞子之志。子曰、老者安之、朋友信之、少者懷之。
孔子が弟子たちに「自分の志をいうてみよ」と問うたときに、子路は物を共有したりしたいですといい、顔淵は威張らず人に仕事を押しつけたりしません、と立派なことを言う。孔子は「友人には真心をつくし、後輩を慈しむことをしたい」というのであった。一見、孔子の言の方が抽象的で具体性がないように思えるが、友や後輩を大事にするという点が、弟子たちの恰も政治家みたいな一般論とは違うのである。子路や顔淵の思想は、自分だけではなく人がそれを共有しないと実現しない。しかしそれはいつも難しいから、かならず他人を強制するようになる。ソ連や中国で起こったことを予見しているようである。だから孔子は、ただ自分は周りの人に優しくしたいです、と言ったのであった。
あと、言ってみりゃ、子や顔が言っていることは、思想が実学化しているのである。なぜ大学や研究業界が馬鹿な仮説も提唱するおかしなやつもふくんでいなきゃいけないかといえば、そうしないと本質に関する思考実験なんかできないからであるが、世の中がそのありかたを機械的に模倣してもらっては困る。間違ってたときの被害が大きすぎるのである。実学というのはかくも危険なものである。マルクスレーニン主義が、科学的社会主義を名乗り、科学によって社会をコントロールしようとしたことを想起したい。これも実学である。
実学とは、産学連携とかなんとか費みたいなあからさまな諂いだけを意味しているのではない。目標優先=利益優先=一般的他者優先のための方法論すべてがそうだと言ってよいと思う。PDCAサイクルとかスクラップなんとかとか、日本語で論文書いている場合かとか、外部資金盗ってこいとか言っている人は、潜在的どころか顕在的に、――最近炎上している「老人」は死んでくれた方がよいみたいな主張しているのと同じだ。
大学改革とかなんとか改革とかが、かつて駄目だと否定されていたことをあえて選んで、やっぱり駄目だと分かるといったことを反復しているのはその通りである。当然であるが、研究だってそういうことはあり、――おもったよりある。研究が実学化しているからである。協働ではない、友情としての研究が必要なのであろう。