★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

受け売りとウンコ鳩

2023-04-16 23:16:56 | 思想


子曰、道聽而塗說、德之棄也。

先生は言った、受け売りは徳を捨てることである、と。そりゃま、そういう場合もあるかも知れないが、この程度の批判でたじろぐ輩はそもそも大したやつではなさそうだ。徳もそもそも捨てる前に持ってなさそうである。こういうなにか、孔子の、彼の言をきいた人間の虚栄心を擽り脅しつけるところが実に『実践的倫理』である。

孔子がどのような人物だったのかはしらないが、たぶんテキストに飽き、やや喋るのにも飽きたあとに、意味ありげな逆説で、弟子たちや君子たちが自ら考え、口まねをして人々に説いて廻るのを促すという、ベテラン教師ならではのやりかたを高度に開発した人に違いない。確かに、テキストに飽きて日常生活の精密さに惹かれる人はつねにいる。出来の悪いテキストより現実の方が、より原因は見えやすいし時間の続く限り長大な問題が次々にあらわれて面白くてたまらない。

孔子はすごく長生きをしたらしい。だからその次々にやってくる問題を解き続けた点、それはそれで凄いことであった。たいがい、何のために生きてるのかはっきりしすぎている人は歳とって沸き上がる何かがなくなってくると混乱してくる。目的自体が沸き上がる何かに依存していた事態をみとめたくないからであろうか。特に、研究者なんかは他人との差異が目的化してその競争やってるところがあるからきつい。のみならず、無為の大衆を、何の目的もない奴らとバカにしている傾向もないではない。自分がそうなったときのことをあんまり考えない無能さが、逆に研究みたいな作業をドライブさせる。――こういう生き方は、未来ではなく、見かけ以上に現実(研究の現在)に縛り付けられている。かくして、多くの人が、未来や過去に遊びながら欲望を発散させているのを忘れてしまうのである。人間、健康でただ生きてりゃいいみたいな状態に耐えられるわけない。研究者と同じく、そこまで強くないのである。

戦後のSFは、そういう大衆の欲望にフィットしていた。そこに気付いていたのは、安部公房もそうだが、三島由紀夫であって、――石ノ森章太郎の『タイムハンター』でそれを指摘されている。三島の死に対して、漫画の人物が現在から逃げる奴は死ぬしかないんだ、みたいなことを吐いている。しかも、日本人がその死を死ではないかたちで保存しながら死者と共存していることを描きながら。

昨日は夜更かししてしまったため、「何でも鑑定団」の時間に起きた晴れてた。

ところで、一昨日、私の足に春の落下うんこを命中させたうんこ鳩に告ぐ。いまからでも遅くはない、クリーニング代を速やかによこせ。