司馬牛問君子。子曰、「君子不憂不懼」。曰、「不憂不懼、斯謂之君子矣乎」。子曰、「内省不疚、夫何憂何懼」。
こういう指導は、教育に於いてしばしばある。教養人とは何かと質問されたので、孔子は「憂えず懼れないんだよ」と言った。それを司馬牛は「憂えなく懼れない人であれば教養人と言えるのか」と揚げ足をとる。司馬牛は、君子の条件として孔子の言葉を受け取った。それは必要なものがそそろえば教養人ができあがるがごとき発想である。だから孔子は「憂いがなくなったり懼れがなくなったりするのは単に現象であって、自分を内省してやましいところがなければ、そうなるというものです」と言った。単に憂えず懼れずといった態度だけを模倣しても、それはなにか内心のやましさの代わりに自信で充足させて誤魔化そうとするものだから、その人が本質的に教養人となったわけではないからである。態度を本質と取り違え、――いや取り違えるふりをして、本質を誤魔化そうとするよくある心の風景を批判するために、孔子はあえて弟子に間違えさせているのかもしれない。
テキストに飽きて日常生活の精密さに惹かれる人はつねにおり、それはそれで正しい。孔子の説教は、必ず日常生活の精密さに意識を向けないと命令になってしまう。
今日も、首相に何かを投げつけた青年が出現して、いろんな言葉が飛び交っていたが、何事も本質に届かない言葉というものは態度の強制・命令として機能するに過ぎない。「憂えず懼れない」ということでいえば、今日の青年なんかそれにあたっているが、それだけでは何の説明にもなっていないのである。憂いなく懼れない人間を求める社会は異常である。