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子曰、「不憤不啓、不悱不発、挙一隅、不以三隅反、則不復也。」
弟子がもやもやに苦悩しなければ教えず、表現出来ずに苦しまなければヒントを与えず、一つであとの三つを推し量れないような奴は見捨てると言い放つ孔子先生であった。確かに、このぐらいでないと、かえって弟子の思考の自由はなくなるのであろう。しかし、孔子先生は、優秀な弟子たちに「私に即して不自由になるな」と言って居るのであって、まったくやる気のない連中に対して言ってるのではないのだ。
国民国家教育は全体主義に向かい少数派を迫害するというので、SDGsの皆さんが、「一人取り残さない」みたいなことを言うが、――少なくとも目標の強制をやめることとセットじゃないと、却って必ず全体主義に進むのは当たり前である。もっとも、「誰一人取り残さない」みたいな言い方の中に既に目的みたいなものが潜んでいる。我々はだから、教育される人間に対しては、いい加減さを許容する自由でまじめな態度が必要だ。前者は全体主義を避けるためのマインドであり、にもかかわらず、その自由さはつねに教育者自身の自由に寄っていってしまうから、対象に対しての真面目な態度が必要である。しかし、いまは全体主義的なマインドを堅持する不自由さと、被教育者に対するなれなれしさみないな不真面目さがはびこっている。
今日は、芹沢俊介氏の『現代〈子ども〉暴力論』を少し読んだ。八〇年代の終わりぐらいの書物である。校内暴力を制圧する教師の暴力と、同時に高校生の殺人事件とかがあった時期でもあった。芹沢は、ロロ・メイを使いながら、権力を持たない完全なる受け身状態=イノセンスが、それを破壊するための暴力を発動させる構図でさまざまな事象を扱った。権力を持たないが故に暴力をつかってしまう、と単純化すればどこかプロレタリア文学だが、芹沢は心理の問題を超えた逆説的なシステムであるが故に強力だと言いたかったのかもしれない。吉本の影響か、逆説が存在するところ、作用も強力とみなされる。
しかしなんとなく、学校についてのデータと事件情報などに徹底的に密着した結果、そして当時のポストもダンな思想を使いながら原理的なものに即しようとしたその考察は、なんとなく、現実とは違うところに考察が行き着いている気がした。このような考察がもたらす未来は、学校や子どもを権力として見てしまうというものだったように思う。大江健三郎は、そういうものに対して反抗していた。未来に、権力から解放される考察を目指していたと思う。――しかし、確かに、90年頃というのは、非常にあやうい暴力に対する志向性がよのなかに疼いていたことは確かである。芹沢も大江もそこを目指しながら、わけが分からなかったのだ。むろん、私はもっとわけわからないだけでなく、神秘主義みたいものにすら惹かれていたのである。
人は、怒られても、怒られることを学習し(――慣れではない)たことがないと怒られている気がしない。怒られている意味がわかるようになるのにも時間をかけた工夫が必要で、その工夫が教育だったのに、いまは効果1のために教育的行為1を充てるみたいな方法論になっている。このやり方では1を無限に積み重ねていく果てしなさのおかげで、結局面倒だから、何もしなくなるのだ。何をどのように叱っていたかをきちんと検証(というか、イメージ)せずに、それを暴力みたいに規定してしまうから、対処が非暴力になってしまう。でも大概の場合、非暴力というのは無為だ。教育が根本的には暴力なのはあたりまえである。だからといって、そう言い続けていてもしかたがない。我々は教育に於いて、かなり言語偏重になっている。
半径五メートルでの印象と彼の書くものの学界などでのインパクトがかけ離れている人というのもいると思う。しかし逆に、半径五メートルに近づいてこそ分かる鋭い緊張感を帯びている学者やアーチストはいて、それと彼の創るものとの関係を学習しないと、論文や作品の評価など出来ないというのが私の経験である。言語の羅列だけみていても感覚は正常に働かない。
わたしは写真を撮られるときになぜか斜めとか横を向いてしまう癖があるのだが、思春期以降のイキリかなにかと思っていた。がっ普通に幼稚園の卒園写真で同じような態度をとっていた。ほんと思春期たいしたことないなあ――というか、我々の思考など、この程度の錯誤を繰り返しているに過ぎない。