★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

仕事らしき日々

2023-04-21 23:48:05 | 大学


日々、仕事らしきことをやっている。

戦前の大投手、スタルヒンについて何も知らなかったが、ウィキペディアを一読してびっくりした。こんな紆余曲折、波瀾万丈の人自体が、いまだったら表舞台に現れることそのものがなくなっている。何もやらない代わりに、息を潜めて逃避している人生を送らされている若者達が能力が落ちまくるのは当然だ。いわゆる「平和ボケ」である。

デビュー当時から毀誉褒貶がはげしかった小説家がなにか失言したとかで炎上していた。しかしそもそも失言することがコアにあり、道化を自ら演じる小説家なのをしらないのか。「青二才」というのは、そういうことだ。――というか、この小説家のノリに乗じて、人を馬鹿にすることをおぼえ、自分はフィクションの才能がないもんだから、大学で反アカデミズムというか脱植民地主義的ななにかの論陣を張って調子に乗っていた数え切れないほどの連中は、いまのこのような事態をどう考えるのか。青二才のコピー青二才は、炎上小説家よりもはるかに劣っている。

何年かぶりにくずし字を集中して読んだが、自分が考えているよりは衰えていなかった。やはり二十歳ぐらいの練習は体がおぼえてる。――ということは、わたくしの実力は、いまや、大学一年生の前期ぐらいだ。読むはじから次を予想する能力というか偏見があがってるだけ、間違える可能性も高くなってるように思った。面白かったのは、くずし字読んでたら二十歳頃に弾いていた曲を思い出したことにすぎない。

のみならず――若い頃のちんたらした勉学のせいで、いまになって四書五経を読み散らかしている。いろいろと間に合わない。

おれも蝗食べてきたから仮面ライダーに変身出来るかと思っていたが、ただの原付乗りで、最近は健康のために歩いている。とりあえずちゃっとなんとかが生意気なことを言ったら、体育館の裏に呼び出して殴るのがいいと思うが、そんなことができるはずもなく。我々は打ち壊し運動が可能だった時代よりも遙かに、劣っている。いや「運動」不足なのである。

『賭ケグルイ』第一巻と清水高志氏の『空海論/仏教論』が一緒に届いてたので、あとで勉強しなければならない。『賭ケグルイ』もそうだが、学園の中で自治会みたいなのが圧政ゴッコ、革命ゴッコをするのが流行っているのであろうか?空海のように出奔する勇気のない奴だけが、こういうゴッコを昔からやってきていて、『サヨク』なんか左翼よりも、学園のなかの自意識であった。

プロレタリア文学弾圧後の文壇の話を授業でしてて、なるほどみたいな事柄がいくつか見出されたときに「なるほど」という声が聞こえたのだが私の声だった。学園のなかで、発見をしているのは、学生ではなく教員の方である。教員だけが、ゴッコをやっていないからである。しかし、大概は、ゴッコの代わりの遊戯なので、昨日は、近代の超克の亀井論文と横溝正史、koto氏のエモ本などの話をして、ほんととりとめのない感じの講義を一方的に展開した。わたくしも調子悪いときには、某小説家とおなじく、気分が「divertimento」なのであろう。中山義秀をあまり読んでなかったことだけが収穫であった。

小室直樹氏は、死ぬ間際に、宮台氏に「社会が悪くなると人が輝く」んだと言ったという。戦中から戦後の経験からもそう言えたんだろうが、確かに、戦中の文学や文化は独特な個的な輝きがあって、冬の時代なわりに豊かであり後の時代を用意している。しかし、実際、人・個の輝きというのは、あとからみて優れた人だけじゃなくて、いろんな人の暴走みたいなものがあったことと裏腹なんだと思う。非常に欲望の生々しい時代でそれは言論統制みたいなリンチが存在することと矛盾しない。