長沮桀溺耦而耕。孔子過之、使子路問津焉。長沮曰、夫執輿者爲誰。子路曰、爲孔丘。曰、是魯孔丘與。曰、是也。曰、是知津矣。問於桀溺。桀溺曰、子爲誰。曰、爲仲由。曰、是魯孔丘之徒與。對曰、然。曰、滔滔者天下皆是也。而誰以易之。且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之士哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰、鳥獸不可與同羣。吾非斯人之徒、與而誰與。天下有道、丘不與易也。
孔子も案の定、政治へのコミットメントが過ぎたのか、首になって放浪していた時期が長いようである。それでも、文三みたいに若くなかったし、弟子たちもたくさんいたからよかった。この場面でも子路の代わりに手綱を取って、子路に渡し場の位置をきかせにいかせている。ちゃんと自分で手綱を取るところがいい。孔子はすごく弟子との関係に気を遣っていたのだ。これが、畠を耕していた超然たる農民たちに馬鹿にされた理由の一つだったのかも知れない。孔子も最後に「鳥獣とともに生きるわけにはいかない。私が人間と生きないで誰が生きるというのだ。今は乱世だよ、だからこそ人と生きるのだ」と言っており、なかなか立派である。大概、世が混沌としてくると、人はガーデニングをしたり動物と戯れて隠居し始めるものだ。隠遁するのは儒者ではなくむしろ大衆なのである。その隠遁が地に留まることによる隠遁なので隠遁に見えないだけのことだ。いまだって、研究という隠遁というものもある。
かくして孔子の経験したことのほとんどは今も多く人が経験する事柄であるのだが、それがわからずに、昔なら「新型舟が出来たぞこれで戦争が変わるぞ曹操万歳」みたいな人たち、いまならちゃっとなんとかが出来たぞ政治に導入だ、といった人がいる。今日も、官庁がちゃっとなんとかをつかって見ることにしましたとわざわざ言ってた。ちゃっとなんとかが優秀かどうかより、行政とかがちゃっとなんとかをつかっていこうと宣言してしまうことのほうが、うちの鳩のうんこがわしの足に落下する必然性並みにやべえ出来事である。――御大師はその点わかっていて、死なないことによって、昔も今も変わらないことを人々に示しているのだ。
我々の生は因果の累積で構成されているのかもしれないが、そんなことを見えるようにするのは思考実験のレベルをでない。われわれの生きているのはイメージが何かを生み出すみたいな世界であり、イメージは言語の記述に還元出来ない。国語の授業を、言語能力の開発とか言っているうちはチャットなんとかで済むような言語活動しか出来ないわけである。確かに別に死にゃせん。しかし、たとえば、相手を論破するみたいなことはイメージとして爆裂弾をなげることとあまり変わらないことであるのがわからないほど、民主主義が言葉の上での真偽の戦いみたいになってしまっているのはいかがなものであろう。そんな事態は生きててあまり気持ちよいものではないし、手段の目的化、つまりテロ化が進むのである。テロは暴力だから一見表現にみえるが、本質的には言葉に即しすぎる暴力の発露なのであって、その歴史的意味はともかく、現実から遊離した証拠なのだ。
孔子はかくして、自分の姿を鳥類と遊ばない、人とともに生きるというイメージを提出することでなんとか示唆しようというのであろう。それは「長沮桀溺」――背の高いうるさい奴と小便くさいおやじ、みたいなイメージと鋭く対比的である。対比的すぎて、この農民が面白く思えてくるほどだ。