★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

environmental accelerationism

2024-09-25 18:50:33 | 大学


一、牛込神楽坂上のさる古本屋には伊仏の新刊書時々ありダンヌンチオが散文集(伊語)アダネグリ女史の詩集「母の心」(同じく伊語)なぞ有りしを見たり。
一、西洋出版の美術雑誌名画集の類は購ふ人多きにや神田本郷始めいづこの古本屋にも沢山あり。
一、江戸時代の読本は馬琴の八犬伝弓張月をはじめとして今も猶得るに難からず。然るに紅葉露伴等の小説は僅二十余年程前の出版なるに早くも湮滅して尋ねんやうなし。一体近頃の出版物は凡て出版の当時にのみ限りて数年を経れば忽ち散逸して古本屋の手にも残らぬなり。何処へ行きてしまふものなるや。或人のはなしによれば当今の出版物は古本にしても売買するほどの値段にならぬ故紙屑になし原の製紙原料にしてしまふなりと。或は然らん。


――永井荷風「古本評判記」


東京大学が学費値上げすると決定したというので、紛糾している。大学紛争のころもそうであったが、その政策の妥当性よりも、非人間的な人間のうごきがある場合――例えば「人々はそうかんがえるであろうが、合理的に考えてみろ」と主張するルサンチマンに満ちた高学歴自意識のおひとが出てくる場合――に紛糾する。

そういえば、大学時代でよかったことといえば、下宿代の安さであった。東大の場合も、ただ同然の寮があって多くの不良思想家達に宿を貸していた。私が4年生の頃いた下宿も一ヶ月2000円だった。そこは、むかし学生運動の連中のたまり場だたったらしく、大家さんも集会にお茶出したりしてたそうだ。そういう感じの過去のためか、九十年代になっても下宿代を上げることができなかったときいた。そのかわり下宿の環境は――廊下を鼠が運動会、雪が天井のどこからか降ってくるありさまであった。わたくしはそこで「ブリダンの驢馬」に関する論文を書いた。だめな論文だが、いままでで一番一生懸命な文章だ。

学費もそうだが、生きるのにあまりに金がかかりすぎる。そして人も金がかかった環境を望んでいる。そういう人間に生産性などあるはずがないというのは人間的常識であろう。

だいたい、環境があまりに整った部屋に古本なんかが置いてあると嫌われるのである。お金持ちのボンボンであった荷風の家なんかもわりと汚い方向に向かって加速していった。彼にとって、戦争で古本が焼けた経験がいろんな意味で大きかったのである。