★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

愚痴とカブトムシ

2024-09-13 23:32:14 | 文学


国会図書館の本に限らず、古本というのは、旧持ち主の落書き=愚痴とかを楽しむものである。わたくしの勘違いでなければ、自然主義系の本にはあまりに稚拙で深刻な愚痴が書かれていて、もうさんざ言われていることのような気がするが、私小説とは読者の反応というものであった可能性を示唆する。

「床が板でないので、少し憂欝ですね。」
「さうしようかと思つたんですけれど……。」
「どんな人が踊りに来ますか。」
「いろいろです。あすこにゐるのはお医者さまと、弁護士です。」
 汗がひいたところで、私はまたざらざらするフラワへ踊り出したが、足の触感が不愉快なので、踊つたやうな気持にはなれなかつた。
 私は椅子にかけて、煙草をふかした。


――徳田秋声「町の踊り場」


徳田秋声の古本によく書いてるあるのが「この本に書かれてゐるのは愚痴に他ならない」という愚痴である。以前わらったのは、西田幾多郎大先生の善の研究のあちこちに、カブトムシの絵を描いていた一高生。カブトムシ好きすぎである。