たまくしげ箱根のみうみけけれあれや ふたくにかけてなかにたゆたふ
枕詞の研究というのはしっかり勉強したことがないが、言葉を自動的に引き出す言葉とは、言葉による自然な繋がりを切断することでもあると思う。よく枕詞が邪魔じゃないな、とわたしなんかは思ってしまう。
あたかも、たまくしげと箱の関係のようなものは「ふたくにかけてなかにたゆたふ」と言っているようだ。それは「けけれ」(こころ)がそうさせているのである。この「心」というやつは、異物の間を調停するのではなく、「湖(うみ)」が「二国にかけてたゆたふ」ように跨がっている。漱石が、
二個の者が same space ヲ occupy スル訳には行かぬ。甲が乙を追い払うか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみじゃ
とか言うてるのも、ほんとは二個の有り様をなんとかする心の有り様を知っていたからではなかろうか。漱石は漱石なりに、それをわすれた社会をかわいそうに思っていたに違いない。same space ヲoccupyスル とか、わざわざこんな不自然な書き方をして、こんな不自然さがわれわれの社会なのであるといっているような気がする。