繁樹と名のるが方ざまに見やりて、「『いくつといふこと覚えず。』と言ふめり。この翁どもは覚えたぶや。」と問へば、「さらにもあらず。一百九十歳にぞ、今年はなり侍りぬる。されば、繁樹は百八十におよびてこそさぶらふらめど、やさしく申すなり。
一九〇だか一八〇だか、よくわからんがずいぶん丈夫な人たちである。これだけ生きただけで、ときの権力者に勝っているといへよう。人間これほど長くは生きられない。だからこそ「大鏡」みたいな書が必要になる。近代での出版の異常発達は、交通通信機能の発達に拠るのであろうが、根本的には、我々が長く生きるために文字を書くし他人の文字を印刷しなおす欲望が再発見されてしまったことに留意すべきであろう。「大鏡」は批判の書なのであろう。しかしそれはある程度は方便で、命が長いみたいなことが重要だ。
昭和初期の円本は、思想全集や近代文学の全集が目立っている。しかし同時期には、「日本名著全集」の「江戸文藝之部」なんかもでてて、新書よりも少し小さいサイズでかわいくて読みやすい。これをよんでのんびり10年ぐらい暮らしたいものだ。その内の人情本なんか、山口剛の「人情本の文芸的価値は非常に低い」という批判的な解説もなんのその、なでているうちに名著のような気がしてくるのである。
野球なんかも、おまつりの癖に、スポーツの側面を持ってしまったために、巨人のV9時代ならまあ祭といってもよいが、阪神や中日の優勝の場合は、下手すると一生のうちの結婚の回数よりも少ない経験で終わる可能性があり、まあ、よくて続いても落合政権とか岡田政権とか、道長の天下の期間のようなものだ。だから、ゴジラ映画みたいなものをつくって我々はみんなでお祭りをするのである。中日ドラゴンズが初の日本一になったのは、昭和29年の11月7日である。で、同年11月3日が初代ゴジラの公開で、中日ファンでゴジラ好きはこの時代に時代に生きているべきだった。(今年の阪神は、11月5日優勝。「ゴジラ-1.0」の公開は11月3日である。)芥川龍之介ではないが、刹那の感動というものはあるものだ。