★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

反「審賞行罰」論

2023-11-26 23:35:14 | 思想


わしの庭を占拠していた百日草の大群を人間様の私が殲滅したら、蛙や芋虫や蝗虫の皆様が日が当たるようになりましたありがとうみたいな態度であった。

城上繁下矢石沙炭以雨之薪火水湯以濟之。審賞行罰以静爲故從之以急毋使生慮。若此則雲梯之攻敗矣。


墨子は防御の仕方をいろいろと書いているが、そのなかで「賞罰を厳正にせよ」というのがある。これを容易にふつうの現実に当てはめて賞罰をはっきりさせることが組織をきちんとすることだと信じている馬鹿があとを絶たない。これは戦争の防御の話なのだ。

江藤淳を演習で分析しはじめて3年になるが、このひとは「自民党の社会党化」みたいなことを指摘しながら、それが本当はどのような事態なのかをあまり言えない――こういうことが多いというのが実感である。一部の保守勢力における「攻撃的な皮肉言うだけ」化を作り出した一人だと思う。こういう皮肉がある種の攻撃と信じられるというのは、賞罰の厳正化に似ている。その原因まで考えないからだ。文化論を抜いた吉本隆明みたいなものだ。――球が飛んでくるのを防ぐみたいな状況においては合理的な作戦を作戦通りにやることが必要だから、ヨシとダメを分けて戦闘員達の戦闘員化を邪魔しないように、判断してもよいのかもしれないが、たいがいの日常的な組織においては、たぶん軍隊ですら、ヨシと判断される行動を最大化するためにダメな行動を隠蔽しながら生きるクズが叢生するに決まっている。そういう輩に静かにしておいてもらうためには、その実、コミュニティの人間としての圧力(同調圧力)しかないのだ。しかしこの圧力の主導権をクズにわたしかねないのが、賞罰の厳正化なのである。隠蔽の正当化を行うからである。

総力戦においては、それが空想である点が忘却されるため、かならずこういう隠蔽を更に覆い隠すために、旗を振っている側がモラリッシュエネルギーとか言い始める。実際に、戦時中に起こったことであり、いま全国のそこここの組織で起こっていることである。

そういえば、白洲正子というと思い出すのが、元海軍大臣かなにかの祖父の膝に乗っかった写真で、これほど反軍的な写真をみたことがない。5歳のくせに完全に写真の全面を支配している。この人の文章は、大学の頃だいぶ読んだが、なんか衒学性の俗的使用みたいなかんじがしてあまり好きではなかった。いまよんでみると、素直な勉強家なだけではないかと思った。なんかこの人の文章を妙に褒める文章がだめなだけではなかろうか。何よりもこの人は素朴さの困難を主張していたし、文章も素朴である。支配層に生まれた彼女は、上のような隠蔽に隠蔽を重ねる精神をよく知っていただろうと思う。だから、その素朴は抵抗の精神にみえる。

しかし、お面を探して山奥の隠れ里?の農家まで追いかけて行く白洲正子と、未熟な愛国青年を追いかけてゆくような三島由紀夫とどちらがプロレタリアートの味方なのか、と比べてみると――まあ文章をみても三島氏の方がやはり万国のプロレタリアートの味方であることは明らかである。三島ばかり読んでいるとそれがわからなくなるだけだ。


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