にほてるや凪ぎたる朝に見わたせば こぎ行く跡の浪だにもなし
沙弥満誓の「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ 漕ぎ行く舟の跡の白波」を本歌とするようである。この歌で恵心僧都が、「和歌は観念の助縁」になると悟ったらしいのだが、どうしてそう思ったのか私にはよく分からない。むしろ西行の歌の方が分かる気がする。むろん、沙弥満誓の歌に続くことでなにか「観念」を感じさせることが可能なのである。西行の功績は、彼が歌僧であることそのものにではなく、歌の世界を仏の世界に置き換えるには何が必要か考えたことにあったのかもしれない。仏の世界は、あちらにはなくこちら側そのものであるとしても、そう我々が観念することは難しい。社会科学でも哲学でもおなじことでそれはいつも難しいのである。西行が沙弥満誓に対しておこなったことは、マルクスが近代経済学に対して行ったことに近いかも知れない。上の歌のように「なし」という否定の歌によって存在させられるものがある。
夜の十二時にもならなければなかなか陸風がそよぎはじめない。室内の燈火が庭樹の打水の余瀝に映っているのが少しも動かない。そういう晩には空の星の光までじっとして瞬きをしないような気がする。そうして庭の樹立の上に聳えた旧城の一角に測候所の赤い信号燈が見えると、それで故郷の夏の夕凪の詩が完成するのである。
そういう晩によく遠い沖の海鳴りを聞いた。海抜二百メートルくらいの山脈をへだてて三里もさきの海浜を轟かす土用波の音が山を越えて響いてくるのである。その重苦しい何かしら凶事を予感させるような単調な音も、夕凪の夜の詩には割愛し難い象徴的景物である。
――寺田寅彦「夕凪と夕風」
これをみると、科学的視点というのものは、否定がない否定だという気がする。いまでもおなじである。否定を媒介しないコミュニケーションは、人間の見る世界を変えることなく、ただ「凶事を予感させる」ぐらいの感覚を増幅させながら、主体をじわじわ否定してゆく。風景が物質で占領されると、我々の肉体も占領されるのである。