
山姥・山姫は里に住む人々が、もと若干の尊敬をもって付与したる美称であって、或いはそう呼ばれてもよい不思議なる女性が、かつて諸処の深山にいたことだけは、ほぼ疑いを容れざる日本の現実であった。ただしこれに関する近世の記録と口承とは、甚だしく不精確であった故に最も細心の注意をもって、その誤解誇張を弁別する必要があるのはもちろんである。自分が前に列記したいくつかの見聞談のごとく、女が中年から親の家を去って、彼らの仲間に加わったという例のほかに、別に最初から山で生まれたかと思われる山女も往々にして人の目に触れた。
――柳田國男「山の人生」
としをとると書くより先に口にだして喋ってしまうという現象が学者でもある。書き物上位のこの世の中では没落にみえても、それを口承文芸として捉えれば中高年はエライといえるのではなかろうか。また、マニュアル作ってるだけじゃだめだという感覚は、口承文芸を舐めてるからだという理屈が成立する。コミュニケーション能力とか言うから、頭が悪そうに見えるのであって、口承文芸性とかいえばよいのだ。