★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

セメント樽の中の宇宙

2011-01-10 23:46:01 | 文学


木版画版「セメント樽の中の手紙」(藤宮史版画)が届いた。松戸与三がかわいく彫られていたので虚をつかれた。


星を写すよ、できるかな

これは簡単

部屋の中にも宇宙がある




精神療法としてのウェーベルン

2011-01-09 23:23:47 | 音楽


阪上正巳氏の『精神の病と音楽』を読むと、ウェーベルンと統合失調症についての議論から始まっていたので、ブーレーズのCDをそそくさと取り出して聴いてみる。

なるほど、ウェーベルンの音楽が何かものごとの輪郭をつくりだすような落ち着いた感じを与えるのは、そういうことであったかと納得した。阪上氏のいうように、ウェーベルンは自分で自分を音楽療法にかけていたのかもしれない。私も自分が明らかに変だと思った経験が何回かかあるが──、5歳かそこらで風邪が治りかけだったときに、蒲団の中で、周りの世界全体がわあああっとまるで合唱団の歌声宜しく鳴りはじめたのである。近くの机をたたいてみると、叩く音は別個に聞こえるので、その合唱団は音ではない何物かであると幼心にも分かったが、あれはなんだったのであろう。横になっていたらおさまった。二十歳を超えてからもう一回あったが、これは結構長く続いた。考えてみるとウェーベルンの音楽はその合唱とは対極にあるようだ──、つまり、彼の音楽の音の少なさは、私が経験したような世界がごっちゃになり出すものをなんとか鎮めるものに思われた。西田幾多郎なんかの「一則多」も、案外そういうもののように思われるけれども、西田の場合、なんだか病気の自分を途中で投げ出した感じがする(笑)

高峰秀子は生きている

2011-01-08 23:36:53 | 文学


高峰秀子の『にんげん住所録』を読みながら、クラフトワークの「The Man Machine」を聴く。

いうまでもなく、前者の方が後の作品である。

よく考えてみると、「にんげん住所録」といい、Yさんが死んだと聞き「私はノロノロと住所録のYさんの「氏名」の上に黒い線を引いた。」と書く高峰秀子、小津安二郎のことを「人間スフィンクス」という高峰秀子、自分を「金銭製造機」、人間を「ウンコ製造機」と言い放つ高峰秀子の方が、本気で人間を機械と捉えていたのかも知れない。高峰秀子とは、憎んでいた養母の芸名で自分の芸名且つ筆名であって、「S・カルマ氏の犯罪」ではないが、生身と名前が分離しているのが当たり前の人であった。「私という人間のドラマの主人公は、私ではなくて実は私の母その人であった」(「私の渡世日記」)。女であるかもあやしかった。──木下恵介には「秀ちゃんには女っぽいところなんか全然ないもの、立派な男です」と言われている。

そんな高峰秀子が、気が付けば映画界その他のしりあいが次々に亡くなっていて、その意味で、ますます生身が消滅していき思い出だけになっていることを綴っているような本であった。最後には「私の死亡記事「往年の大女優ひっそりと」」という文章まで現れる。

そのあと「あとがき」があるので、まだ高峰秀子が生きていることがわかってびっくりする。しかし私の文章をすっ飛ばして安野光雅の挿絵だけ見ればよい、と書いているから若干不安になった。

高峰秀子は生きている。

赤すぎるKINKSと腹腹時計

2011-01-07 22:35:36 | 思想


キンクスの「KINKS」を聴きながら、鈴木邦男の『腹腹時計と〈狼〉』を読む。テロ教本にしては「腹腹時計」とはなんかかわいいと昔から思っていたが、そういえば、高橋留美子の『ダストスパート!!』にもでてくるのだ。ブランショは、コミュニズムをしたいのか恋人を作りたいだけなのか、本当のところよくわからない。これよりはよほどましだとしても狼であることはなかなか難しいわけである。

キンクスも赤かった。しかしそれにくらべてもパンフレットが赤すぎやしないだろうか。

ビーチ・ボーイズもモーリス・ブランショも、ただ一さいは過ぎて行きます

2011-01-06 23:55:19 | 思想


ビーチ・ボーイズの「ペットサウンズ」を聴きながら、モーリス・ブランショの「恋人たちの共同体」(西谷修訳)を読む。ふむふむ、と読み進む(つまり、何を言っているのかよく分からないのでふむふむと頷いてみたのである)。「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。」この評論に対しては、読書の心構えとしても、内容の印象としても、この葉蔵の言葉がふさわしいようにも思われた。意味が分からない場合は、「私に分からないのだから他の人も分からないだろう」と思うアホは論外としても、「私には分からないが他の人は分かるだろう」と思うのも危険である。ただひたすら読むことが大切である。葉蔵は読書人として理想的な状態にあるぞ。

「語るということが、語られる内容よりまさっていた」という六十五頁の言葉は重要であろう(笑)ブランショは、六十八年五月の経験に対して、そんな自発的コミュニケイションがつくった「共同体」の奇蹟を語っているのだが、私は、そりゃ学級崩壊みたいなもんか?と思ってしまったので、ブランショのよい読者とは言えない。ブランショの経験したものは果たして本当に「共同体」の問題なのだろうか?

「ペットサウンズ」は、歌われている内容が難解なので、最初評判が悪かったという。聴いているうちに分かるようになったから評価が高まったのか、あいかわらず分からないが音楽がスバラシイので評価が徐々に高まったのか?「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。」歌詞の意味がうまく聞き取れない私はまた、この言葉を想い出した。

公共的な、あまりに公共的な

2011-01-05 23:25:26 | 思想


先週から井上達夫編『公共性の法哲学』を最初から読んでいる。
はじめは、田島正樹氏の論文をチェックするために手にとってみたのであるが、編者のまえがきが、公共性への議論の簇生がきわめていかがわしいものであることを百も承知の上で議論を始めるのだ、と述べていたので思い切って買ってしまうことにしたのである。いままでは公と言えば滅私奉公のことでした、であるからして新たな公共が必要です──式の議論をする者のいかがわしさを私は日々感じるので、少なくとも共感はしたのである。常識を疑った結果を社会に還元します、知的刺激を受け与えてもゆきたいです、ありがたくおはなしを聞かせて頂きましたので質問します、こういう物言いを連発する人間が理由はわからんがどうも私欲に走るタイプであるのは今に始まったことではないにせよ、ちょっと最近はひどい。一部のリバタリアンの鬱積は爆発寸前だろう。私はこちらの暴発がどういう形をとるかも怖ろしいような気がする。ただ、こういう現状に対して、則天去私であれ且つ虚無の上に自我を置け、といった文学的逆説が威力を失っているとすれば、もういちど歴史的に人間の社会のありかたをギリシャから考え直すぜ、という流れは止まらないであろう。かかるとき、我々の社会を動かしている物語的いい加減さ──というかほとんど源氏物語的な磁場であるが──に論理的に反発して行くという心構えになる訳である。専門外の書物なので、かなり分からないところがあったが、論者たちの心意気はそんな感じだと思った。こういう議論の雰囲気は、昔の「近代の超克」論の時にもあった。私がそこらを勉強して得た認識は、ユマニストであることの困難──スコラ的になるのを避けようとして自らのルサンチマンが論理をねじ曲げるのを逆に見逃す危険性が常につきまとうということであった。

今日は、やっとこさっとこ、田島正樹氏の論文と谷口功一氏の論文までたどりついた。

田島氏の論文の感想はいつか書こうと思う。谷口氏の論についていえば、氏も言っているように鶴見俊輔の「二人の哲学者」のバリエーションというかんじであった。私は、「コミュニケイションの皮にかくれたデスコミュニケイションをはっきり見つめ、この量と質を計算しておかなければならない」という鶴見の意見がまあ妥当な意見だとはおもいつつも、こういう心がけをいかに維持するかという課題において、谷口氏が相対的に退ける中野重治の意見──だからこそ超階級的な、一般人間的なロマン主義?が必要なのだという当為と解すべきである──を避けることができないような気がしてきた。それにしても谷口氏の中野重治の文章の解釈はそもそもこれで大丈夫なのか、私は確かめたくなった。

とはいえ、谷口氏の引用する中野重治の『国会演説集』は私の家には見つからなかった。残念。

高峰秀子さんが亡くなってわたくしはとても悲しい

2011-01-04 20:39:37 | 映画
12月28日に高峰秀子さんが亡くなっていた。

私が授業で使う文藝映画の半分以上には高峰秀子がでてくる。「馬」、「秀子の車掌さん」、「カルメン純情す」、「二十四の瞳」、「雁」、「乱れる」、「浮雲」などなど……。

私は主として大正末期から昭和前半の研究をやっているから、高峰秀子はまさに同時代のアイドルであって、この人が亡くなったと知ったとき、「もう私の時代は終わったのか……」という気分になった。とても悲しい。私が生まれたころ、高峰秀子はすでに引退しかかっていた訳であるから奇妙な話だが、この人以降のスター、例えば若尾××とか吉永×××とか(←この二人の間ぐらいに私の親の世代が入る……)、演技が新人類過ぎてまったくついて行けないのである。以前書いたように、文学の戦後派に対して「まったくいまどきの若いもんは……」と思ってしまう始末であるから当然である。

とはいえ、高峰秀子の映画をつぎつぎに観ていただけの状態であったなら、「おそろしく鍛えられた子役出身の女優」ですむところだが、──これはよくあるパターンだとおもうけれども──、彼女の『私の渡世日記』を読むに至り、この人は演技だけじゃなく文章も切れ味があるのか、と驚いた。文春文庫版の解説は沢木耕太郎だが、彼が完全に彼女の文章に嫉妬しているのがわかり面白い。文章というのは嘘を付かないことが大切で、しかしそうすると下品になってしまう危険性があるのだが、そうならないすれすれのところで生命が宿ったりするのである。例えば谷崎の文章などそういう類のものがかなりあり、たぶん芥川はそれを嫉妬し嫌っていた。芥川は何を書いても嘘っぽく上品になり、なかなかその生命が宿らないのである──。高峰秀子の文章はそういう危ういところをうまく持ちこたえるセンスが常人ではない。『私の渡世日記』で好きなのは、戦争末期、館山に映画のロケに行ったときのことが描かれた数頁である。防空壕から出たり入ったり、もう全てをあきらめて爆撃シーンを眺めたり、果ては、玉音放送後、最期まで戦うと勇んで飛び立っていく飛行機を旅館で見送ったりする情景が、小憎らしいほど無駄のない筆致で書かれている。山田風太郎の戦中日記が観念的で硬直していると思われるほど鋭い。

志賀××とか、谷崎×××とか、太宰なんとかが、若い頃の高峰秀子と食事できたとかずるいなあ。『広辞苑』の新村出が、高峰秀子のポスターやら看板やらを収集していて、それらに囲まれて往生したのは有名な話であるが、これはさすがになんだかうらやましくない。ある出征兵士が、天皇陛下××、お父さんお母さんの為に死んでまいります、といいつつ、ポケットの中に高峰秀子のプロマイドを忍ばせていた話も嘘ではないであろう。共に散らすに忍びず、戦場から死ぬ前にそれを彼女に送ってきた兵士もいたという。これも全くうらやましくない。

大東亜レコードから出た「森の水車」という曲がかわいい。

モメタ或いはメボト

2011-01-03 19:57:42 | 日記


昨日、母と私のウエストがいくつだなんとか言っていたとき母がこんな言い間違いをしていた。

「あれ、なんだっけ?モトバ?メボタ?メモタ?モメタ?メボト?」

正解→メタボ

メタボという言葉がいやな言葉になりつつある昨今、モメタやメボトの方が可愛いと思う。

我が帰省(正月編9)──朝の情景

2011-01-03 10:41:07 | 食べ物

昨日の夜マイナス5度

霜降りた~マイナス10度っぽい


朝ご飯

緑と黄色の芋は家で採れたらしい


父が干した柿


霜柱全開!


家の裏──八沢川の方は陽が当たらないので寒そうだ


城山電波塔

行き過ぎる国鉄JR


朝食後に魚が出てきました


絵筆も出てきました

父が描き始めます。10年も毎日描いているそうですが、さすがわたしに似てしつこい。


蝉の死骸など飾ってる。わたしもそういえば研究室で飾ってる。

我が帰省(正月編7)──松本にゆく

2011-01-02 16:24:33 | 日記

人っ子一人おらぬ木曽×島町

原野…駅名がすでに人口増加を拒否しております

薮原…私は三歳までここに住んでいたらしいのです。この駅名も…

木曽平沢…漆器の村である。私の先祖はここ出身という噂ずら

ショッピングをしてから村井宿を歩く。「おおっでかい家が多い」と大声で道路を歩く渡邊家の人々…

村井駅…そばにそば屋がある(←うわっ)だけ都会の香りがする

中央線に乗って松本まで進撃


ホテル一階のレストラン(←バイキング形式。両親はこれにいい歳してはまっているらしい)に入ろうとすると満席だったので、二階のロビーで休憩。そこにあった立体の地図。こういうのを工作で昔つくったことがあった。

木曽の山奥の立体図。


私の食したBランチ。ダイエット中止宣言発動。


松本駅前に弾き始めそうで弾き始めない人がいた。


木曽に帰るよ。北アルプスは見えないね。残念


今頃天気が良くなってきました。

はいはい閉所恐怖症の人は赴任するのやめましょうね

奈良井駅にさしかかったとき、木曽の山猿(蔑称の方ではなくリアルな方)が数人、窓の外二メートルの位置からこっちをながめていたが、特に珍しいことではない。彼らは人里に降りてきたのではない。普通にそこでお暮らしになっているようなのである。去年も、各家に設置されている町内放送のスピーカーから「ただいま熊さん(←愛称の方ではない)が木曽川を渡っております」とのアナウンスがあったそうである。


「特急列車通過待ちのため7分停車します」←聞き慣れたアナウンス


木曽路は北の方がV字谷が多く、鳥居峠以南は意外と視界が広いんだよね。つまり都会だ。


家に帰ってきました。雪が解けましたね。落下に気を付けましょう。四国で悪いことしている人の上に落下します。

我が帰省(正月編6)──氷点下お賽銭

2011-01-01 22:24:41 | 日記


はいはい夜の7時で氷点下4度ね。

さっき、母親のパソコン上の家計簿に予算などを入力した後、お賽銭が何費なのかが問題になった。
交際費とか通信費とか、接待やおみやげなどいろいろな説が出されたが、結局、特別費の公共費の献金というところで落ち着いた。ということはつまり、神様への願いよりも、神社の公共性をとったわけだ。神の信用も地に落ちたものである(笑)