悲しい夢を見るわたくし
鑑賞眼には定評のあるフリーターから勧められたので読んでみた。
私の小学校から中学校にかけて『りぼん』に載っていた作品であるが、当時、私がトーマス・マンとかショスタコーヴィチに夢中で本当によかった。当時の『りぼん』を読んでいたら、私は漫画家を志していたかもしれない。その場合──そうでなくても、私の思春期の迷走っぷりは人並みのものがあったが──それは更にひどいものになっていたのではなかろうか。
「オズの魔法使い」はわたくしに人生を教えてくれた作品である。というのは嘘で、ドロシーちゃんが好きなだけである。出来るならわたくしはドロシーちゃんに生まれたかった。
この前、1939年のジュディ・ガーランド版の映画を見直して、改めてすさまじい出来のよさにビックリした。
この作品は随分政治的な解釈をされているようだけども、それが可能なように思われるほど、読者を子ども扱いしない。孤児でも移民でもいいが、今居る場所に居る理由を見出すための智慧が積み重ねられている感じがする。脳みそ、心臓、勇気、そしてふるさとを喪失していると思いこんでいる人物達が、それを埋めようとオズの魔法使いを求めて旅するが、なんとかみんなさしあたり平穏を得て落ち着くところに落ち着いてしまう。しかもその契機が……重要である。すなわち、オズの大魔法使すらもただの人間であることが明らかになって、みんなの喪失が喪失でなかったと目覚める物語の流れである。わるがしこい魔女だけがかわいそうだったが……、だから、「よい人間」である限り幸福になれるかもしれないと思わせる効果が巧妙に仕組まれた話である。それがアメリカ人の巧妙な自己肯定であるといえなくはないであろうが、それでもものを考えている感じは濃厚である。
これにくらべて、例えば日本の「桃太郎」は酷い。桃太郎は、桃から生まれる(←どう考えても人間じゃねえ……たぶん「桃」だろう)。お爺さんお婆さんの世話もせず、鬼ヶ島に行って手柄を立てようとでてゆく。そして、そこらにいた下等動物を餌で釣って部下にして軍団を作り、いきなり鬼達を虐殺。常識的に考えて、人間に近いと考えられるのは、鬼達の方であり、頭のいかれた桃と下等動物は酷いことしたよね……。桃太郎は、桃だから頭がおかしいのはまあいいとして、餌につられて部下になる下等動物もいかがなものか。考えてみれば、こいつらは我々の姿である。人間じゃない。何がいかんといえば、ドロシー達が何かが欠けていると自覚しているのに対して、桃達は自分に対して疑いを抱いていないところである。こういうのを動物レベルというのだ。あ、ごめん植物が混じってたわ。
日本に着いたとたん、きびだんごくれないと一歩も動かないとぬかす三人。説教するドロシーちゃん↓
最近の政権交代劇や大臣辞任劇をみるにつけ、つくづく我々の社会は完全にオワッとるなと思う。政治家もメディアもメディアに群がる我々もまだ人間じゃない。
この前、1939年のジュディ・ガーランド版の映画を見直して、改めてすさまじい出来のよさにビックリした。
この作品は随分政治的な解釈をされているようだけども、それが可能なように思われるほど、読者を子ども扱いしない。孤児でも移民でもいいが、今居る場所に居る理由を見出すための智慧が積み重ねられている感じがする。脳みそ、心臓、勇気、そしてふるさとを喪失していると思いこんでいる人物達が、それを埋めようとオズの魔法使いを求めて旅するが、なんとかみんなさしあたり平穏を得て落ち着くところに落ち着いてしまう。しかもその契機が……重要である。すなわち、オズの大魔法使すらもただの人間であることが明らかになって、みんなの喪失が喪失でなかったと目覚める物語の流れである。わるがしこい魔女だけがかわいそうだったが……、だから、「よい人間」である限り幸福になれるかもしれないと思わせる効果が巧妙に仕組まれた話である。それがアメリカ人の巧妙な自己肯定であるといえなくはないであろうが、それでもものを考えている感じは濃厚である。
これにくらべて、例えば日本の「桃太郎」は酷い。桃太郎は、桃から生まれる(←どう考えても人間じゃねえ……たぶん「桃」だろう)。お爺さんお婆さんの世話もせず、鬼ヶ島に行って手柄を立てようとでてゆく。そして、そこらにいた下等動物を餌で釣って部下にして軍団を作り、いきなり鬼達を虐殺。常識的に考えて、人間に近いと考えられるのは、鬼達の方であり、頭のいかれた桃と下等動物は酷いことしたよね……。桃太郎は、桃だから頭がおかしいのはまあいいとして、餌につられて部下になる下等動物もいかがなものか。考えてみれば、こいつらは我々の姿である。人間じゃない。何がいかんといえば、ドロシー達が何かが欠けていると自覚しているのに対して、桃達は自分に対して疑いを抱いていないところである。こういうのを動物レベルというのだ。あ、ごめん植物が混じってたわ。
日本に着いたとたん、きびだんごくれないと一歩も動かないとぬかす三人。説教するドロシーちゃん↓
最近の政権交代劇や大臣辞任劇をみるにつけ、つくづく我々の社会は完全にオワッとるなと思う。政治家もメディアもメディアに群がる我々もまだ人間じゃない。
最近ご飯食べながらよんだもの。
右は、イースト・プレスの「まんがで読破」シリーズ。このシーリズはどこまでゆくつもりなのであろうか。『舞姫』とか『破戒』が出ていた頃は、はいはい金儲け金儲けと思っていたら、『資本論』とか『死に至る病』、『我が闘争』(←ヤメレ)、『アンチクリスト』まで出始めたのだった。なかなかよかったのが、坂口安吾の『白痴/堕落論』であるが、まんがは物語でなくてもまんがになりうるということを本格的に証明したのが偉い……なわけないだろう。私自身は、萌える物理学とか、ああいう類よりこのシリーズの方がよいと思う。無理に面白くしようとしてないところがいい。本書でも、アプリオリやアポステリオリなど、キャラクター化して欲しいところだがさすがにやってない。また女の子がほとんど色気がない絵で描かれていて気が散らぬ。実際、この『純粋理性批判』もそれなりに退屈だ。しかし、活字の『純粋理性批判』に付き合う体調管理と修業を考えると、耐えられる。このまんがを読んでも『純粋理性批判』はさっぱり分からないのであるが、まんがに出てくる女子高生が「カントの哲学がなぜ「批判哲学」と呼ばれているかわかったわ!」といきなり言い出したりするから、つい「まずいっ、おれもわかったわ!」ということにしておきたい。
左は冥王まさ子の『天馬空を行く』。この人の小説は、だいたい読んでいると思うが、最初に読んだのは『ある女のグリンプス』で、わりと楽しかったのでつづけていろいろ読んだのである。本書は、ある「聖家族」のヨーロッパ旅行記のような小説である。といっても、夫の龍夫が柄谷行人、弓子が妻の柄谷(原)真佐子(冥王まさ子)であることを頭から追い払うことはもう無理な話で、私は二人が七〇年代のおわりにどのような認識を得ていたのかという興味でしか読めなかった。というのは、言い過ぎであるが、そんな感じである。小説では一応、弓子の、思想的にも実生活的にも夫の小間使い的な従属状態から脱するためのどたばたが描かれているように見える。しかし、詳しくは言わぬが、弓子の語ることも龍夫(柄谷行人)にやや似ているところがある。ここが興味深い点である。あと、私は、知的な仕事に携わる男の、社会性が怖ろしく欠如した体たらくをを描いた小説が好きなのである。青山光二の『われらが風狂の師』とかね……。私はこういう小説を読みながら、過去の自分に歯ぎしりするのがなんとも好きである。
今日も、附属S小学校に公開授業をみにいきました。マリンライナーに乗って20分てくてく歩いて10分、小学校に着くと実習生達がもうオワッたという顔して緊張の面持ちでがんばっている。今日も4年生の副免の授業である。彼らは二年目にも関わらず、たぶんあいかわらずである。私の指導学生のAさんは、昨日からもう顔面蒼白(いつもそうかも……)だったので、心配である。N君の授業は、昨年、中学校でとても面白おかしかった面白かったので、期待である。Mさんが配属されているクラスはとても落ち着いた雰囲気なのでちょっと安心。
Aさん……漢字仮名交じり文のいいところを探そうという授業。余りにも議論の余地のある本質的な話題は、やはり難しい。日本人は負け犬なので、これからフランス語でいいよ(志賀直哉)。一言でいえば、轟沈。かわいそうなAさんをもっと助けなさい、6年生。
N君……ユニセフってなんだろうという授業。最近は、UNICEFとかSNSDとかAKBとかいろいろあってわからんな。日本に生まれるとまず幸福感を得ることは出来ないので、援助して貰おう!
Mさん……手紙を書こうの授業。Mさん割と上手だね。私も、大学の授業で手紙を書かせてみようかな。単に手紙じゃつまらんから、「恋文」とか「三行半」とか「呪い」とか「友達の彼氏奪っちゃったけど、これからも友達でいてくれるかな、無理だよね、こんな私をぶっていいわ文」といったものを書かせてみようかな。当然、私が赤ペンでやり直しをさせるのだ。
総評:特になし。
Aさん……漢字仮名交じり文のいいところを探そうという授業。余りにも議論の余地のある本質的な話題は、やはり難しい。日本人は負け犬なので、これからフランス語でいいよ(志賀直哉)。一言でいえば、轟沈。かわいそうなAさんをもっと助けなさい、6年生。
N君……ユニセフってなんだろうという授業。最近は、UNICEFとかSNSDとかAKBとかいろいろあってわからんな。日本に生まれるとまず幸福感を得ることは出来ないので、援助して貰おう!
Mさん……手紙を書こうの授業。Mさん割と上手だね。私も、大学の授業で手紙を書かせてみようかな。単に手紙じゃつまらんから、「恋文」とか「三行半」とか「呪い」とか「友達の彼氏奪っちゃったけど、これからも友達でいてくれるかな、無理だよね、こんな私をぶっていいわ文」といったものを書かせてみようかな。当然、私が赤ペンでやり直しをさせるのだ。
総評:特になし。
今日は、附属S小学校に公開授業をみにいきました。マリンライナーに乗って20分てくてく歩いて10分、小学校に着くと実習生達が案外楽勝の顔して、というより単なる寝不足か緊張の面持ちでがんばっている。今日は4年生の副免の授業である。つまり彼らは二年目なので、変になれているかなり上手い(棒読み)。Cさんは、なぜか国語を回避して理科の授業をするらしい。A・Bさんたちも同じ時間に授業。そこまでして私に参観して欲しくないのであろうか、と私憤に駆られつつ、三クラスをぐるぐる回る。
Cさん……子どもとオタクに持たせたら何をするかわからない三種の神器、望遠鏡・顕微鏡・ビデオカメラ。そのうちのひとつ、顕微鏡を使った授業である(もう既に崩壊の予感)。はじめに雄蕊と雌蕊のはなしをしているから、わたくし、ふむふむゲーテの植物論でも講ずるつもりであらう、と妄想爆発していた。しかしテーマは、
「めしべにどうして実が出来るのだろう」
びっくりしたので、うろ覚えなのであるが、こんな感じであった。いきなり朝から下ネタですか。小学生ももじもじしている。というのは嘘で、ノートに、「人間にたとえると……」とか、がしがし書き始める。さすが附属学校。小学生より私の方が赤くなってきてしまう。花粉を顕微鏡でみるとかいう局面に入り、授業崩壊の近いことが激しく予感されたので、教室から逃げ出す。Iさん、人生オワッたもん勝ちです。ははは。
Aさん……社会主義リアリズムの傑作「大きなかぶ」の授業。昨年、S中学校で、重い中二病に罹患しているガキどもを怒鳴りつけていた叱咤激励していたT1さんであるが、さすがに小学校一年生にそれはまずいらしく、えへっ、という感じになってしまってやりにくそうであった。やはり調教師は相手が野獣である方が燃えてくるものである。ライオンに慣れていた人が、突然、「今日からあなたはうさちゃん担当ね」とか、逆に泣けてくるわ。というわけで、元気のなさそうなT1さんの授業を抜け出す。
Bさん……水の心やら人の心やらが出てくる詩を小学校五年生に授業していた。「水のこころ」、所謂「台所詩人」の作品である。モダニズムを通過した詩人の平易さは見かけだけである。戦後の詩については、メタファーを否定したところに出てくるメタファー、擬人法を否定したところの擬人法の問題を理解しとかないと、いわばスピリチュアルな(笑)説教がそこに書かれているように見えてしまう。T2さんのことである、そこはちゃんと理解していた、さすがだ。そうであればあるほどわいてくるのが、小学生に何を理解させたくてこの詩が教科書に採用されているのか、という疑問である。教科書編纂者は本当にこの詩を読めているのであろうか……。いずれにせよ、昨年もそうだったが、T2さんが水を得た魚になるためには、この作品では教材として半端である。授業の進め方も目的に向かっての論理を急かされている印象である。この場合の論理は拘束である。拘束を自由と感じるか、自由を自由と感じるかは人それぞれだが、T2さんの場合、前者では、内攻する自由を得るだけである。……それはともかく、昨年よりもかなり進歩があったんじゃなかろうか。達観とか切り替えの。
というわけで、全体的にかわいそうな感じであった……。
Cさん……子どもとオタクに持たせたら何をするかわからない三種の神器、望遠鏡・顕微鏡・ビデオカメラ。そのうちのひとつ、顕微鏡を使った授業である(もう既に崩壊の予感)。はじめに雄蕊と雌蕊のはなしをしているから、わたくし、ふむふむゲーテの植物論でも講ずるつもりであらう、と妄想爆発していた。しかしテーマは、
「めしべにどうして実が出来るのだろう」
びっくりしたので、うろ覚えなのであるが、こんな感じであった。
Aさん……
Bさん……水の心やら人の心やらが出てくる詩を小学校五年生に授業していた。「水のこころ」、所謂「台所詩人」の作品である。モダニズムを通過した詩人の平易さは見かけだけである。戦後の詩については、メタファーを否定したところに出てくるメタファー、擬人法を否定したところの擬人法の問題を理解しとかないと、いわばスピリチュアルな(笑)説教がそこに書かれているように見えてしまう。T2さんのことである、そこはちゃんと理解していた、さすがだ。そうであればあるほどわいてくるのが、小学生に何を理解させたくてこの詩が教科書に採用されているのか、という疑問である。教科書編纂者は本当にこの詩を読めているのであろうか……。いずれにせよ、昨年もそうだったが、T2さんが水を得た魚になるためには、この作品では教材として半端である。授業の進め方も目的に向かっての論理を急かされている印象である。この場合の論理は拘束である。拘束を自由と感じるか、自由を自由と感じるかは人それぞれだが、T2さんの場合、前者では、内攻する自由を得るだけである。……それはともかく、昨年よりもかなり進歩があったんじゃなかろうか。
というわけで、全体的にかわいそうな感じであった……。
駒ヶ岳の近くまで行ってみようということになりました。
駒ノ湯を過ぎてキビオ峠展望台へ
着きましたっ。あちらに見ゆるは御嶽山。
振り返ると、木曽山脈が……。ここは赤林山の麓にあたります。もう立派な山脈内。父は若い頃、この近くまで、スキー担いで登り滑り降りていたそうである。
御岳再見!
乗鞍岳
あちらは北アルプス奥穂高っ
中学の時の登山を思い出すね。
注意しても出る時は出るからな。というか、もう宿場の方にも出没してるからな……。
昼になっても朝顔。これは西洋朝顔というのか……さすが奴らはコンビニ的だな。
水無神社に父と散歩に行く。
駒ヶ岳をズームアップ。
着きました。
いつの奉納だろう……
……
この奥には……
この前まくられていた御神輿。今年は、担ぎ棒がぽっきり折れたそうだ。
本殿に入ります。
神さまがこの奥に……
一度くらいは渡邊ファミリーの頼みを聞きたまへ、と。
鳥居をくぐる
父の幼少期から既に大木であったという。
左向け左
あっちむいてほい↑
本殿の奥を望む
渡邊ファミリーに勢いよすぎと文句をつけられる龍さん
お墓参りに出発。
くるま屋を
通り過ぎての
八沢川。
魚を探す。
行人橋から木曽川を眺める
竜宮をさがす
お墓の入り口の朝顔
廃屋
水を汲むわたくし
飛ぶひと
並ぶ人
鳴く人
噴火しない人
西方寺を望む
赤ちゃん発見
手が何本もある人
木曽川沿いを歩く
竜宮をさがす2
私の子どもの頃はなかった橋にさしかかる
ひ ら が な
橋の上から木曽川を撮る
竜宮の乙姫を捜す
いない
渡った
電波塔が見える
電灯が見える
ポストが見える
電信関係
電灯関係
石垣関係
のぼる渡邊ファミリー
下る渡邊ファミリー
下ったら廃屋
キウイ
消火栓
なんだろう
アゲハチョウ
水
わたくしが小学校の時、そりで遊んでいたら電柱に衝突し血みどろで下ってきた坂道
くるま屋を
通り過ぎての
八沢川。
魚を探す。
行人橋から木曽川を眺める
竜宮をさがす
お墓の入り口の朝顔
廃屋
水を汲むわたくし
飛ぶひと
並ぶ人
鳴く人
噴火しない人
西方寺を望む
赤ちゃん発見
手が何本もある人
木曽川沿いを歩く
竜宮をさがす2
私の子どもの頃はなかった橋にさしかかる
ひ ら が な
橋の上から木曽川を撮る
竜宮の乙姫を捜す
いない
渡った
電波塔が見える
電灯が見える
ポストが見える
電信関係
電灯関係
石垣関係
のぼる渡邊ファミリー
下る渡邊ファミリー
下ったら廃屋
キウイ
消火栓
なんだろう
アゲハチョウ
水
わたくしが小学校の時、そりで遊んでいたら電柱に衝突し血みどろで下ってきた坂道