斉院に、中将の君といふ人はべるなりと聞きはべる、たよりありて、人のもとに書きかはしたる文を、みそかに人のとりて見せはべりし。いとこそ艶に、われのみ世にはもののゆゑ知り、心深き、たぐひはあらじ、すべて世の人は、心も肝もなきやうに思ひてはべるべかめる、見はべりしに、すずろに心やましう、おほやけばらとか、よからぬ人のいふやうに、にくくこそ思うたまへられしか。文書きにもあれ、「歌などのをかしからむは、わが院よりほかに、誰か見知りたまふ人のあらむ。世にをかしき人の生ひいでば、わが院のみこそ御覧じ知るべけれ」などぞはべる。
「紫式部日記」のなかで所謂「消息体」といわれている部分の迫力は改めて読んで見るとすごいと思う。どういう状況で書かれたのかはよく分からないけれども、なかなかの悪口の行列で、ここでは斉院の女房が思い上がっているとか言っているわけであるが、そのあとは返す刀で自分がいる中宮女房に対して趣がなく殺風景だとか言うている。「源氏物語」の作者がこんなに根性悪いのか、と言う人もいたが、この根性の悪さでなければ「源氏物語」はかけないような気がするのである。
それにしても、昔から疑問だったのは、言葉の個人性というもののあり方が、近代文学の頃とは違っていたのであろうということであった。何しろ、言葉が閾から漏れ出す空間である。ここでもそうだが、「源氏物語」にもあったように結構手紙が人の手に渡る。これ自体は、一見いまの何でもかんでも公開に悪口を言っている我々と似ている気がするが、やはり違うだろう。近代文学も「日記」は文学の一部なので、結構公開されているが、これは読者からの反論は想定していない、ネットも基本そうである。反論するとものすごいリアクションが来るのは、基本的に反論を想定していない言語操作だからだ。どうも、紫式部のいた言語空間は、本音が自然に漏れますよ、和歌からも自然に漏れますよ、みたいな世界なのではないだろうか。現在はどちらかといえば、本音は漏らさず、他人の言語は本音と見なす、といったコミュニケーションのアンバランスが基本である。これが紫さんの世界は、お互いに漏れます漏れます、のようなところがあったのではなかろうか。だから、消息体の部分は「申し訳ありませんが、盛大に漏れております」でOKだったのではなかろうか。
文学が生きている空間というのは、そういうところがある。大学でもそうである。文学の教員なんか、まだそんなコミュニケーションをやっている。いや、やっているのは自意識だけで、そんな具合なコミュニケーションはほとんど実際には消滅している。過剰な社交辞令か、罵りあいかに二極化するだけの世間が茫洋と広がっている。わたくしは、ほんとうにそこんとこ、悲しくてしょうがないのである。