メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

山田洋次×美輪明宏×二宮和也 未来のために

2016-01-07 15:57:53 | テレビ・動画配信
山田洋次×美輪明宏×二宮和也 未来のために


今年は、太平洋戦争から71年目。
去年録りためた録画を1つ1つ観て、その都度アップしていこうと思う。

【ブログ内関連記事】
美輪明宏 ~戦後70年 今届けたい歌~@SONGS


【内容抜粋メモ】

ナレーションは映画に出演した黒木華さん
 
「私たちにとって、戦争は遠い昔の話。学校で習った教科書だけの世界」


「自分たちの(判断の)良し悪しがつく前に、戦争はいけないものです、二度と起こしてはいけない悲劇だと言われても。
 知ろうともしないし、手立て、気力もないんだよね」


●2014年12月『母と暮らせば』制作発表
 
映画を撮り続けて半生記、これが83本目の作品となる山田監督

美輪さんの戦争体験の話が映画作りに大きな影響を与えた。




二宮「映画作りは大変ですか、楽しいですか?」

山田
結果として楽しいからやってるんでしょうね。どんな仕事でも嫌だったり、辛かったりするじゃないの。
でも、それを経て何か出来上がった時に、ああ、やったなという充足感が手に入れば、また次作ろうっていうことにつながる。

美輪「山登りと同じ。登っている時は苦しくても、降りるとまた恋しくなって、楽しさばかり思い出す。なかば中毒になる、こういう商売は」


『男はつらいよ』の舞台、葛飾生まれのニノくん。


わっ! 超可愛い柴さんが!!
 



20世紀は日本人が忘れてはいけない時代
美輪さんの芸歴は昭和26年から64年目! 


「それがプロとしての最初の仕事」

[進駐軍]
 

 

当時はアメリカ兵相手に歌っていた。当時は進駐軍のジャズが流行っていた。
 


山田「進駐軍キャンプがひとつの文化だった」


二宮「この年にこの映画を撮った理由は?」

山田「根元のところに母と息子の話を作ろうと思った。情愛を丁寧に描きたかった。その背景に戦争がある」 

二宮「僕の中では、これは監督の小さな頃なんだろうなと思った」

山田「(笑)たしかに、僕もよく笑う、人を笑わせるのが好きな少年だったかもしれない」



●山田監督の戦争

旧満州で少年時代を過ごした

 

[飢えの体験]
卵を1つ割ったら、子どもたちみんなで分け合って食べるくらい飢えていた。
ぽんと割って、お醤油をタラタラってかけたら夢みたいな。僕は死ぬ前に食べたいのがそれだもん。
(この話は、「あさイチ」プレミアムトークの時もされてたな


●戦時中は色が禁止されていた


美輪:
私たちは戦時中色が禁止されていた。着るもので明るい、キレイな色はダメ。男は国民服、女はどぶねずみ色のもんぺ。
母は上海の服装学院で学んだから、洋服を着て、車に乗ってたら警察に呼ばれて“なんだそれは、戦時中において不謹慎である”
と言われて、みんなの目の前で着替えさせられた。
音楽も流行歌を聴いていると密告される。♪アラビアの唄(昭和初期に大ヒット)、♪小さな喫茶店

山田「退廃的だった」

美輪「美は軟弱。国策に反する。一切、文化はダメだった」

二宮「娯楽がその都度止められてたんだ」

山田「楽しむことは悪いこととされていた」

美輪「敵性用語も使ってはいけない」



 
「そういう歌ばっかり」

二宮「ダメっていうのはすごいなあ・・・考えられないですよ。考えようがない。いろんな文化が入ってきた時代に生まれたから」



日常が戦争に蝕まれていく
 
映画の浩二にはモデルになった人物がいた。映画監督になりたいという夢もあった

若く健康な男性は次々と戦地に送られていった(こんな雨の中行進して・・・


 



山田:
この子は人を笑わせるのが大好きで、軍服を着ても、なんとなくユーモラスな雰囲気がある、こういう兵隊ってあまりいない。
軍服を着ても、彼の個性は奪えない。



長崎の特別な思い


美輪:
原爆の後、小学校の校庭すべてが焼け死んだ方たちの死体置き場だった。
親子の死体は引き離せないくらい、母が子に覆いかぶさってしっかり抱き込んで、
あれを見た人が、“ああ、親子っていうのはこうありたいねえ”なんておっしゃっててね。



 

 

長崎ではその年、7万4000人が亡くなった。負傷者は7万5000人以上。


[美輪さんの子ども時代]
 
繁華街で両親がカフェを営んでいた。美輪さんは10歳の時に自宅で被爆



美輪:


夏休みの宿題で描いた絵を2階で観ていた。窓は全部ガラス張りだった。とってもいい天気で。
いきなりマグネシウムを100万個ぐらいたいたようなピカッと光った。

あれ、雷?と思うか思わないかの一瞬、世界中の“音”が全部止まった。しーんとなった途端、
今度は世界中の“音”を全部集めたような“ドン、ワアアア”あんな大きな音はこの世にない。

目の前のガラスがなくなる。割れるんじゃなくて、ピンッと飛ぶ(溶けるとも違う)爆風で炸裂したみたいな。

表がもう地獄。馬車引きの馬が倒れている。


それをひいていたおじさんは、フライパンで豆を炒ってはねるみたいにはねて痙攣している。
人に見えない。真っ赤でボロボロになってるから。何も見ないようにして逃げて。。。



日本は唯一、原爆を落とされた国

山田:

一人の市民にとっての原爆を考えてほしい

この脚本を書くにあたって、被爆者の書き残したものを読んだし、
いろんな話も聞いたけれども、美輪さんから正確に、力強く伝わるのは、表現者だから。

もっと怖い経験をされた方がいらっしゃるだろうけれども、それを的確に伝えられるかどうかはまた別。
いろんな角度から伝えるってことは、僕たち表現者の大きな役割だろうと思った。


黒木さんは、8月9日のことを話すシーンで苦労した。

黒木「想像するのがとても難しくて、でも一番伝えなければいけないことでした」

山田「どんなに苦しかったことか。火に焼かれて死んじゃったんだから。“8月9日”、ちゃんと言ってね」




戦争当時、監督は中学1年だった。

美輪:
向こうは原爆作ってるのに、私たちは竹やり作ってたの。

 



ある日、なぎなた捨てて、「おいちに、さんし」て変なことをやってるんですよ。何をしているのか聞いたら、
敵兵が来た時に操を守るために敵兵の金玉の握り潰し方の練習ですって、野蛮でしょう? 知性の欠片もないんです。
いかに、発展途上国だったかということだったかということですよ、日本が。



[戦時中に見た、ある母子の姿が目に焼きついて離れない]

ボーイ(サンちゃん)の話は、こないだも聞いたけど、何度聞いても涙が出る

♪露営の歌(勝って来るぞと勇ましく)とみんな歌ってホームで見送った。
動き始めた列車に乗ってる息子の足にしがみつく母。

 

憲兵が来て、母親の襟首つかんでバーンと投げ飛ばして「非国民!」と言った。
ホームの鉄柱に頭をぶつけてしまい、頭から血が流れていた。

 

一番最後に見たのが母親のそんな姿で、その後戦死した。その後、兄が白木の箱を持って報告に来た。

山田「その1つだって戦争は許せないですよね。それが戦争」

美輪「そうした悲劇が何百万もあった。私はいっぱい目撃してきましたから」

 

 





日本は戦争に負けない国と言われていた

山田:
最後は必ず神風が吹いて、神さまが助けてくれるということを信じていた。
ところが負けたということになっちゃった。この国って負けるのかって、非常にワケの分からない気持ちだった。

いずれ軍人の学校に入ってお国のために戦死するんだと僕も思っていて、怖いという気持ちもあった。
敗戦で戦争がないと聞いたら、ほっとした。あの感じは何だろうと思う。

戦後の生活も辛かったけれども、これからはずっと良くなる一方じゃないかと思っていた。
配給も少しずつ回復して、新しい憲法が出来て、当時の日本人はみんな“わあ、すごい!”と思った。



空襲でビルがみんな崩れてしまっているから、空も広いし、まだ公害もないから空も青い。
よく分からないけれども“民主主義”ていうアメリカ、敵国の新しいシステムを学んで国が変わっていくんだと。
食べ物も求めたけれども、同時にいい音楽を聴きたいとか、いい映画を観たいという気持ちも強かった。



美輪:
アメリカのモノがどっと入ってきた。エルビス・プレスリーあたりからアメリカ文化になってきた。すべてが。
 


山田:
山口県の田舎に大きなホールが残っていた。そこでオペラ『椿姫』が上演されて、中学生の時だったけど、
町をあげての大騒ぎで、高い切符なんかお金ないからもちろん買えない、自転車に乗って、非常口に耳をつけて聴いた。

喉が渇くように文化というものが欲しかった。

もっと自由な国になるんじゃないかっていうかすかな希望みたいなものがあった。着るものがなくて寒くても。
これ以上は悪くならない。
今は不安が多いでしょ? どこつついても先行きが不透明。そういう意味では辛い時代ですよね。




70年前の人々の気持ちを想像すること

二宮「僕は体験もないので、作品でしか触れる機会がない。そんな僕たちにお2人は今何を感じてもらいたいと思われます?」

山田:
たとえば中近東なんかはしょっちゅう戦争をしている。なぜなくならないのか。
人間は本当に賢くなっているのか。

美輪:

「昔話じゃない、今の話なのよ。もう足元まで忍び寄ってるの。ひたひたと。足が乗りかけている」

山田「戦争がいかに大きな罪悪かということを、それほど感じていない若者に繰り返し伝えなければならない」

二宮「僕たちは、授業で教科書のページをめくって書いてあることってイメージしかない」

美輪「私からすると70年前は明治。ちょうど幕末の頃。♪トンヤレ節 薩長の時の歌がまだ残っていた時代」

二宮「70年前の感覚がみんな分からないから、これは歴史の話じゃないんだな。昔話であって」


山田:
その時の日本人がどんな暮らしをして、どんな気持ちでいたか、それをちゃんと学びとらないといけない。
想像するってことは、人間にとってどんなに大切なことか。

戦争がどんなに悲劇的なことなのか、ちゃんと想像する筋道みたいなものを持っていなきゃいけない。
想像する能力をみんな持ってなくちゃいけない。



●今の若者へのメッセージ

美輪:
 

スポーツ界でも、錦織くんとか、羽生くん(!)とか、浅田真央ちゃんとかが出てきた。
世界的な技術を持っていながら、謙虚で、親孝行で、言葉使いがちゃんとしてて、品がよくて、
仲間ともとても仲が良くて、対戦相手の悪口なんかけして言わない「和をもって貴しとする」

白井くんだってまだ若いけれども、俳優さん、あなたたちも含めて(山田「二宮くんも含めて」)、正統派の子たちも出てきた。
だから、日本もまんざら捨てたもんじゃないなと思ってる。そういうことで自信持っていいと思うの。


スタッフ「すみません、時間が来てしまいました

美輪「あら、明日まで喋るんじゃなかったの?」にニノくん爆笑ww






「あのお2人は戦争を経て、自分の中で消化して、昔の話として語れるというのはすごい貴重だな。
 よりリアルに、昔の話に色がつき始めた」

(そんなに昔話ではないと思うけどね。戦争はヒトが誕生した時から今もずっとある
 そして、世界戦争的な緊張感が今、まさに漂っていることを美輪さんは指摘している。
 次は“気づいたら遅かった”では済まされないほど、軍事力は拡大、進化しているんだ。


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「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」@L.A.、ディズニーランド@アナハイム(1998.9.22-29)

2016-01-07 15:01:03 | 町歩き
※notes and movies(1998.9~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。

初めて、家族でなく、友だち同士で行った海外。
ディズニーオタクの友だちと、映画オタクの私とで行った珍道中。



【9.22】

7時起床。13:10に家を出て、スーツケース引っ張って、日暮里で友だちと待ち合わせ。
14:17スカイライナーに乗る時、再度、切符確認があった。
15:09、第2ターミナルに着いて、とにかくスムーズに事は運んだ。
(この辺の手続きは、いつもハッキリ覚えていられない

JTBの受付Iカウンターで航空券、引換券をもらって、スーツケースを預けて、
クレームタグ(シール)をもらった。日本じゃ全然問題なし。
DEゲート(シャトル)D91からすぐ搭乗。

ここが大変。17:20発の予定が、曇りから台風がまた酷くなって、2時間も待ってからやっと離陸

1時間後にすぐ夕食。
私はチキンボール(クリームソースがけ)、友だちは煮込み豚(牛?)。
長野の友だちおすすめのスカイタイムは、メローイエローみたいな味。

歯磨き、クレンジングティッシュで化粧を落として、映画『ポウリー』を観た。この内容はまた。
で、すぐ寝ようと思ったけど、たっぷり数時間?で2度ウトウトしただけ。

友だちとカーテン外の景色を見ながら喋ってたら、朝食の時間が迫って(着陸2時間前)、
(朝食は、パン、オムレツ、ハッシュドポテト、ヨーグルト、オレンジジュース、フルーツ)
食後1時間ほどゆったりとして到着。

もうすでに寝不足でフラフラして体に力が入らない
シャトルバス12号でドジャーススタジアムを抜かして、
DFに30分いたくらいの他は予定通りに回れた。


「サンタモニカプレイス」
「KING'S BURGER」で、無理やりハンバーガー、ポテト、ドリンク飲み放題のセットを2人で1個食べた(Burger Kingじゃなくて???
ミールクーポン+ディズニーパスポートやらをバス内でもらった。


「Chinese Theatre」
 

中国風映画館の前が手形サインの場所ってだけなんだ。
P.セラーズのをめっけて、ハートマークが可愛い
このあたりのハリウッドグッズショップは要チェック。







「Onizuka Street」


BABY G店で親にぴったりな花の飾りを見つけたのに、落として割ってしまう失態あり。
本当にスミマセンでした/謝×∞


「OMI HOTEL」
この日、とても分かりやすかった係員のカゲヤマさんから、超早口な女性にバトンタッチ。
説明後、チェックインは済んでいて、部屋へ。
明日の準備をしたりして20:30。

日本食堂「京都」で、鍋焼きうどん()、サラダ、おしんこ、お茶をいただいて、2人で51ドル+6ドルのチップ。
そうそう、成田で友だちのお姉さんに口紅をもう買っておいた。

で、今、お風呂に入って、23:15。
明日は6時起きだから今晩は寝なきゃ。



【9.23】

2:17頃、2人とも目が覚めて、3~4時間ずっと目が冴えちゃって
やっと1時間くらいウトウト夢を見ていたら6時のアラーム攻撃
モーニングコールは結局なかった。

7:30、「City Grill」でバイキングの朝食。ミールクーポンを使った。
オムレツ、ハッシュドポテト、ベルギーワッフル、ブルーベリーマフィン、オレンジジュース、フルーツヨーグルト、ホットコーヒー


「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」




9:05ロビー集合。15分くらいでUS入りが4~5人遅れて、30分遅延。
入って、説明があったおかげで、スムーズに回れた。

「スタジオツアー」のライドがGREAT!

『サイコ』の家



『バック・トゥ・ザ・フューチャー』



『フリントストーン』




『ジュラシックパーク』のライド(優先入場)


カッパを着ててもさすがにビッショリ でも、すぐに乾いた(噂通り)。


BDは11月まで閉鎖でショック!
『E.T.』はほのぼの系。
TBTは、私のつたない同時通訳ながらもGOOD!

(地図見ながら書いたのか、なんの略か今となっては思い出せない・・・

ランチは、メキシカン・ソフトタコス(ソウルフードの豆、ライスはナポリタンぽい味)、
ニューヨークチーズケーキ(こってり生クリーム、シロップ漬けのイチゴ)、ドリンク(アイスティーが一番美味しかった)。
お腹は空くけど、ソウルフードは量がハンパなくて半分も入らない


15時、『ウォーターワールド』は、濡れない席を選んだのに、キャストが上の網に来て、その靴からポタポタ水が垂れてきた






お土産周りをして、「City Walk」内でほとんどのお土産を買った。

「HR cafe」で夕食。ハンバーガーセット(チキンたっぷりバーガー、どっさりフライポテト、コールスロー)を半分、
レモネードはかなり甘いけど疲れていたからgood。

ポリス風のウェイターさん(ジョン・グッドマン似)が親切で、陽気
♪ヘイ・ジュード ほかロックがガンガン鳴ってた。いいなあ、この仕事。

友だちは、マルクス・ブラザースのハーポ(役)から水を浴びせかけられてたw
私が「ハーポ!」と声をかけたら、なんで日本人が知ってるんだって感じで驚いてた。
“Where is Groucho? I'm his fan.”と聞いたけど、イタズラに夢中で全然聞いてないw


「City Walk」
ショップを3~4個しか回れず、物足りなかったから、明日も行く約束をした。
トロリーで20~30分でホテルに帰る。
これであったかいお風呂にゆっくり入れたら最高の1日。

ロスのあらゆる所に行けるトロリーパスにはとってもお世話になったv




【9.24】
今日はフリープラン。6時起床、7時間熟睡してた。
友だちは一度起きて、ライトをつけたことも記憶なし。

7:20、朝食。昨日と同じく、味噌汁も飲んだ。

9:10までの間、JTBにバスの予約を聞くため電話した友だちは、
オッサンにまるでバカ扱いされて、失意で戻ってきた

バスに乗って、HIH(略語だらけで分からない・・・)「Chinese Theatre」手前の店から
ハリウッド通りを1本道をずーーーーっと行って、あの有名な壁「ハリウッド壁画」まで店を回った。










大体同じ商品(東京タワー系)、「Wax Museum(蝋人形館)」もgood。







 




「ロデオドライヴ」近くの「Planet Hollywood」でランチ。
トマトたっぷりピザ、超ビッグアイスティ。映画一色のこの店もgood。

(友だちは、なぜかプラハリとハードロックカフェ制覇を狙っていたんだよね







 

『タイタニック』



『インタビュー・オブ・ヴァンパイア』




15ドル以上買ったり、食事をすると、このカードを出してバッジがもらえた。



「City Walk」の店を1つ1つなめるように回った。
ディナーは「天海」とかいう日本食屋さんで、鮭3匹も!、ご飯、味噌汁、団子の甘いタレみたいのもたっぷり!、怪しいサラダ付き。

友だちの注文した“天ぷら定食”も、アボカドやマンゴーみたいな感じで怪しかった。
お土産を全部買ってひと安心。友だちの買ったTシャツのタグが全然取れなくて、店員が焦ってた

[今日の笑ったこと]
「3個で1000個!!」(1000円の間違い
・『X-FILES』グッズもいっぱいあった。

21時。GPの夜景も最高! ローマっぽい天文台がキレイ。
今22:40。もう足が棒でねむねむ。明日は5時起き!
やりたい、見たいと計画していた事をほとんど全部クリアして大満足の2日間だった!


***********


【9.25】L.A.→アナハイムの「ディズニーランド」へ


5日間有効パスに、毎日、日付スタンプを押してもらう。
再入場はレモンの香りがするスタンプを手に押す。紫外線をあてると字が浮かび上がる/驚
そこのおっちゃんに“I see nothing.(何も見えませんよ)”とからかわれたw


5時起き! 6:30から朝食。7:30にスーツケースを部屋まで取りに来てくれて、
8:05チェックアウト済ませて(ロビーに行って精算するものがなければOKとのこと)、
集合の予定が1時間も遅れた!! 係員の手違い?! よく分かってなさそう。

バスで1時間後、アナハイムの「マリオットホテル」へ。


つたない説明後、10:30のシャトルバスで「ディズニーランド」へ。
JALのサービスでもらったディズニーのバッグを持ち歩いていたら、
いろんな人に「それ、どこで買ったの?」と聞きまくられた。
デカい上にたためず、私はリュック内に入れてずっと持ち歩いた。


[入ったアトラクションリスト]
・マッターホルン(子ども向け





・ピノキオ(TDLと同じ
・トード氏(カートゥンスピン風
・クジラの口の中のカナルをゆっくり進む、It's a Small World風



・宇宙博みたいなやつ(パソコン館風、音響効果のショー、2階は3Dライド、フシギな風景
ムーランパレード(どこまでも東洋的







・ミュージカル(プロのダンサーがgood。隣りの友人軍団が出て盛り上がりまくり。前にいた少女が超可愛かった!







ファンタズミック!(スゴイ! 水に炎が映るなんて! 花火、船上でのダンスほか











この日のランチは、ホットドッグ(とってもプレーン)、レモネードのスムージー。
夕食は、「PLAZA INN」でセルフサービス。
ポテト、ビスケット、チーズ味のマカロニ、アイスティー。量が選べてgood。

お土産も買って、もーーーーーーーー足がボロボロ、眠い極致
今は1:23。まあまあゴージャスホテル。



【9.26】「ディズニーランド」2日目

6時起床。7時出発。7:15バスに乗る。7:30優先入場したけど、
「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」が開いてなくて、
「PLAZA INN」でキャラクター・ブレックファースト。
ミッキーが出迎えてくれて、ミニーや、グーフィーが次々来てくれて、もう大騒ぎ

食後9時、「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」に3回も乗ったv
(コンピュータ制御で毎回ジープの揺れ方が違うらしい










他には、「スプラッシュ・マウンテン」「Sleeping Beauty Castle(眠りの森の美女の城)」とか、20個くらい回った。
TDLと微妙に違って、よりリアルな造り。


ランチは、ストロベリーチェロス、ポップコーン、レモンティー(すげー甘くて、炭酸)、
ディナーは、シアター内で、ミッキー型パン、とろけるチーズ、ホットティー、ミッキー型チョコバニラアイス。

今日は、友だちのキャラクターサイン集め+写真撮影に付き合って、私もいろんなキャラクターに会った。




夜。今、「SNL(Saturday Night Live)」をテレビで観てる


ドラマ『フルハウス』のボブ・サゲットのホームビデオや、
ジョーイ役のデイブ・クーリエが出てる『America's Funniest People』も観たし、
毎日6時台に『セサミ・ストリート』をやってるし、いいなあ!



【9.27】「ディズニーランド」ラスト!

8時ねむねむで起床。朝食はホテル内のレストランでバイキング。
スクランブルエグ、マフィン、ポテト、ブルーベリー、フルーツ、オレンジジュース、コーヒー

11時頃に出て、適当にお土産屋を見たり、また「インディ~」に3回乗った
Big Thunder Mountain Railroad、ダンボ、などなど。






ランチは、デッカいピザ(モツァレラチーズ+パイナップル)、100%アップルジュース、スムージー(オレンジ)、
ディナーは、フォカッチャ、クリームチャウダー、ホットココア。
(ここでスムージーにハマったのかも。日本でも探して飲んでたけど、ここのが一番美味しかった!

[その他のアトラクションリスト]
・Matterhorn Bobsleds(幻の雪男も見た!
・サブマリン・ヴォヤージュ(3日間ともお休み
・メイン・ストリート・シネマ(ちょっと休憩と、パレード中に夕食を食べた。
 マルクス・ブラザーズや、ローレル&ハーディの出てくるアニメ映画もあるんだv
・ミクロ・アドベンチャー(エリック・アイドルは同じで、女性リポーターはアメリカ人。観客の反応が並じゃない
・スターケイド(ゲーセン。友だちは得意のUFOキャッチャーで一発でクマさんをゲット! やっぱスゴイわ。


[お土産リスト]
・『ベイブ』のビーンズ(歌うぬいぐるみ。今でも持ってるけど、♪ラララ~ラララ~ララララ~ワウ!て歌わなくなった←電池切れ


・ユニヴァーサルのネックレス
・カチンコのキーホルダー
・ペニーをミッキーでくりぬいたネックレス
・カチンコのオブジェ→これを実家の親にあげたかも
・カチンコとメガホンの塩・胡椒入れ
・おちょこ
・DLで使えるDisney Dollar 1ドル札はミッキー
・キャスパーとミッキーの記念コイン
・ポストカード多種。JALのやつも
(ちなみに、私自身はディズニーファンではありません。可愛いものは可愛いと思うけどね







【9.28-29】Last Day!

7時起床。8時朝食。昨日と同じ「American Grill」でバイキング。
8:45スーツケースをとりにきて、9:30ロビーに集合。
この日の飛行場までのガイドさんはgood。日系2世ぽくて、英語も日本語もペラペラ。

JALカウンターでパスポート見せて出国審査はなし。
ショップ見て、Gate15から入って、すぐ待合室。

出発前にD/Fの品物を受け取って、私たちは1番上の窓際2席。3人がけの2列でgood。
他の搭乗者は、パーサー見習いみたいな男性ばかりに囲まれた

2回食事があり、シーフードカレーがあと1個しかないと言われ、
肉アレルギーの人がいなかったから私がもらっちゃった。
ほかは寿司、うどん、サラダ、フルーツ、チョコレートケーキ、オレンジジュース、お茶。

おやつは、あんぱん(!)と、ドリンク。

朝食は、ロールパン、ゴテゴテシチュー。

映画は『ディープ・インパクト』。例のおやじ観たさにちょっと頑張った。
(例のおやじとは、みんなが必死で逃げてるのに、1人だけ悠長に新聞を読んでいるまま吹き飛ばされていた人w


11時間後の16:15着。
荷物検査は簡単に済んで、入国審査(日本人は早い!)、荷物を受け取って、
残った米ドル紙幣を日本円にかえて(結局、3万円くらいしか使わなかったんだ!)、
2人ともスカイライナー17:34発に乗って日暮里で別れた。

それほど通勤ラッシュじゃなかった。
アパートまでスーツケースをゴロゴロ引くのにも慣れて、たいして荷物も増えてないから重くなかった。
で、やっぱりねむねむで、9時、実家の母から電話があって、帰った報告だけして速攻寝た



【9.30】

8:30に起きて、洗濯、荷物の整理、そしてこのメモをまとめて、今13時。雨
友だちは、そのまま仕事に行ったのかな? 慣れたところなら惰性で行けるかもだけど、
10/1からまた仕事の紹介が2ヶ所からあって、嬉しいやら悲しいやら。
だって、明日からなのに、顔合わせいつ行くわけ? あーーー仕事したくない

本当にアメリカ行ったのかしら? 写真が現像されてきてみないと信じられない。
ホテルからのお土産で、TVガイド、新聞をもらってきちゃった。

ディズニー専用チャンネル、カトゥーン専用チャンネル、噂の『アイ・ラブ・ルーシー』(モノクロ、『奥さまは魔女』系)、
『ベティ・ブープ』、『ポパイ』、アリエルの人魚姫のやつやらテレビ番組もいっぱい観た。
LAを先にしたのは神さまのおはからい? ありがとう!





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ジム1月3回目~健康体操に初挑戦(2016.1.7)

2016-01-07 15:00:00 | 日記
健康体操
朝早いクラスで、血圧が低いせいかフラフラしながら行ってきた。
ラジオ体操みたいだろうとあなどっていたら、ヨガやピラティスにも匹敵するような充実した内容だった。
どおりで、他の生徒さんたちが「あれはイイわよ」とススメてたわけだ。

とはいえ、具体的に何をしたかは思いだせない・・・
というのも、次のクラスの印象のほうがずっと強いから


バレトン
前回出て、けっこーハードだった&私の苦手な型とバランスがあるせいで悩んだけど、
もう正月明けの体のなまりはとれてきたし、そろそろヨガ以外のクラスもやらなきゃと決心して出てみた。

インストラクターさんは、カッパのような全身緑コーディネートでしれっと登場ww
緑色のクッキーモンスターT、緑色のショートパンツ、緑メインの柄タイツ。
改まって正座をしてキチンと挨拶してから「今年も緑色の年にしたいと思っています」みたいなことをゆってたw

足の指に手の指をがっちり組んで回したりして、後のバランス運動のストレッチを入念にやる。

全身の体重をかけながら、足の裏のかかとから親指、人差し指と5指の先に向かって強めに滑らせるように押して、毒素を排出。

バランスでグラグラする人は、足の裏のアーチが平たいそう。
左右の足裏の赤みの入った部分と白っぽい土踏まずの長さの差にも注目した。
私は右のほうが白っぽい部分が短かったけど、より体重をかけているから。
だから、弱っているところ、普段知らずに使ってない部分をより刺激してあげる。

足の甲も、それぞれの指の骨の間を丁寧にマッサージ。

今回は柔らかい小さいボールを使って、脚に挟んだり、両手で持ったりして動いて、
「ドローイン」かってくらい、お腹を凹ませる呼吸法の連続。これにも腹筋などが必要。
そこに骨盤の前後、左右の動きもつけたりして、すでに頭が混乱

「スモールボールを使おう!」参照


「横腹、もっといける、もっといける」て言われても、朝食べたものがのぼってきそうですよ・・・

そして、後半はひたすらバレエのバランス。これはまだ全然ダメ
最初に片足立ちしてみて、汗だくの運動をした後、「どうです、最初より安定していませんか?」
えっと・・・バテバテ感が加わった分、グラグラ度がより増し増しなのですが?

でも、真面目な顔をしていちいち可笑しいことをゆうから、楽しく汗をかけて嫌いじゃない
ただ、全然出来ないだけで


温泉
バレトン後は、ウォーキングもなにも出来ないだろうと最初から予想して、
ちょっと休んで、体の熱を冷ましてから、温泉へ。

今日はけっこー混んでて、髪を乾かすドライヤーを少し待ったほど。

新たなプログラム編成になって、時間やスタジオが変更されたせいも関係してるのかな。
私的には、12月までのプログラムのほうがいろいろほどよく混ざっていてよかった気がする。


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