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メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

シリーズ 戦後70年 第4回 精神障害者の戦後 ―病院か地域か―@ハートネットTV

2016-01-08 19:37:52 | テレビ・動画配信
シリーズ 戦後70年 第4回 精神障害者の戦後 ―病院か地域か―@ハートネットTV

今年は、太平洋戦争から71年目。
去年録りためた録画を1つ1つ観て、その都度アップしていこうと思う。


【内容抜粋メモ】

●都内にある「こらーるカフェ」
ここで働いているのは精神障害のある人たち25人。

 

 
右側の女性は病気が回復してきたにも関わらず、20年以上病院で暮らしていた。




似たようなケースは多い。それは戦後の歴史と深く関係している。
終戦直後、多くは自宅に閉じ込められていた。
その後、経済成長の影で「精神障害者は危険な存在」と考えられて、病院に隔離・収容されていく。
職員による暴力で亡くなる事件も相次いだ。
その後、当事者たちが、当然の自由と尊厳を守るために声を上げた。


●日本における精神障害者をめぐる現状は世界とくらべて特殊
(話を聞いたら、海外も昔は酷かったよね。ショック療法とか、拘束服とか、薬漬けとかetc...今でも偏見はあるだろう

長期入院者が突出して多いのが特徴


「社会的入院」
入院治療の必要がなくなったにも関わらず、地域に受け皿がなく、退院ができない。


「40~50年という方もいる」


●日本の精神医療の歴史
 

「病院に入れろ」
 

日本でもっとも古い精神科病院の1つ
 

 
まるで犯罪者・・・無知、集団心理の怖さが垣間見れる


終戦直後まで精神障害者がどんな状況に置かれていたかを示す写真がある。


「私宅監置」自宅の一部で監禁されるのが一般的だった。
 



「監護より“監禁”といったほうがいいですね。
 家屋に接した小屋に閉じ込められている。風の吹き込む小屋もあった」


1950年 「私宅監置」を禁止し、病院で治療することを基本とした。


初めての全国調査を実施。多くの精神障害者が治療を受けられていないことが分かった。
 

[病院数が危機的に足りないことを報じた番組]


 

 


岡田:
精神科医でない人、産婦人科医や結核療養所、パチンコ屋で儲けた人が金を出して病院を開設したりしていた。
当時は、国が治療とはいえない詰め込みを公認していた。


国は精神科病院を増やす施策を打ち出す。

「精神科特例」
精神科の医師の数は、他の診療科の1/3、看護師は2/3でよいとした。
これにより、少ない病院で大勢を入院させる病院が増えた。
カギで患者を閉じ込めるなど、治療より収容。


ライシャワー事件
 

さらに隔離・収容を進めたのは「高度経済成長」の最中。
東京オリンピックで町が整備される中、ある事件が起こった。
統合失調症の少年が当時のアメリカ大使を刺した「ライシャワー事件」。

メディアは一斉に「精神障害者を野放しにするな」と報道。
「病院に隔離すべき」という風潮がさらに強まる。
結果、地域で暮らせるはずの精神障害者までが自由を奪われた。

(今でも凄惨な事件が起きると「頭のおかしな人が多いからねぇ」なんて声もあるものね




「ノーマライゼーション」
1990年代から欧米で進められた、障害者も健常者も平等に暮らせる社会を実現しようという動き。

山本:
隔離して閉じ込めておけばいいという“安上がり”の管理で対応された。
患者の、人として当然の権利が大事にされなかった。


●地域で生きる模索~1970年代

1968年、日本で初めてすべての病棟にカギをかけない開放型の精神科病院として造られた。

記録映画
 

「この病院にはカギと鉄格子がない。閉じ込めることはココロを病むヒトを癒やすはずがない。問題はどうカギが外せるかだ」

 

週末は病院内でディスコが開かれ、地域の人と踊った。



この病院をつくった石川さん


石川:
自由を増やすことで患者自身の力を引き出せると考え、実際に病棟の雰囲気は変わった。
患者さんの顔に、ある程度の笑顔、お互いに助け合ったり、話し合ったり、
何か得体の知れないものがいる印象から“ここにも人間がいる”というような、
病棟の中が明るい感じになってきた。


「共同住宅」
家族と疎遠になるなど、退院後に行き場のない患者の支援にも取り組んだ。
6畳1間に1人ずつ。病院スタッフは毎日訪問し、慣れない退院後の暮らしを支えた。

 

中田:
笑顔ですね。穏やかな表情と笑顔。
帽子とポロシャツを着て、自転車で行き交いしているのを見ると、病院の風景とまるで違いますから。


ここで暮らす中でその人らしさが出てきた。
しかし、こうした取り組みに国や自治体の補助はなかった。費用はすべて病院もち。
精神医療の体質は変わらなかった。


石川:
全国の中で開放自由化の集まりもあったし、人々も輩出したけれども、
病院は損失ばかり被っていく。そういう運動は広がらない。
国の地域化・開放自由化運動を経済面で後押しする仕組みができなかった。

山本:
ヒトとして大事にされると誰でもほっこりしていろんな力が出てくる。
普通に散歩したいという気持ちを出せることで自信につながる。すごくホッとする。
そのための人手、予算化する必要があった。病院だけのせいではない。
地域の偏見、メディアの差別の目と対峙しながら、サポートする必要がある。


●1990年代~立ち上がった患者たち
 

きっかけは相次いだ患者への暴力事件。職員の暴力により2人の患者が亡くなった(今でも介護や保育所などで似たようなことがあるけどね

 

患者への日常的な暴力、強制的に働かせる、などが明らかとなった。
他の地域でも相次ぎ、国際的にも大きな非難を浴びた。

 




[大阪精神医療人権センター]
 

患者や家族からの電話相談を開始したところ、暴力、虐待、プライバシーの侵害など閉ざされた病院の体質が分かった。
山本さんらは、府内に実態調査を申し入れ、渋る病院を説得し、実現にこぎつけた。

トイレに囲いがないなど、人権を無視した設備には改善をうながした。
 

患者のプライバシーを守るカーテンやついたての設置を要望、
電話、面会に厳しい制約がある病院には、患者の自由を訴えた。



1つ1つ病院を回って、調査結果を公表し、今では府内にある60すべての精神科病院が訪問を受け入れている。
 


●当事者だったからこそできること

山本:
管理の厳しい病棟に行くと、空気が凍りついたみたいにピーンと緊張感が高い。みなさんが沈黙している。
あれ、おかしいな、と思って「どうして公衆電話が2mも高い所に置いてあるんですか?」と聞いたら、
病院側は「刺激のカットが治療上大事なんだ」と言った。

必要な情報が提供されないと、未来を描くこともできない。
家族の声を聞きたいという当たり前の気持ちを踏みにじられる。

「トイレでなら話せる」ということを目で合図されて、実際の話を聞くことができた。
力をもっていない患者の言葉が、当事者なら分かる。
キャッチボールしていける関係を第三者が作ることが大事。

病院もいろんな関係が積み重なって、だいぶ努力して変わっていって、医療機関らしく変わってきたところが増えた。



なるべく早く退院して、地域で暮らす
 

都内の精神科病院に月2回訪れる「NPOこらーるたいとう」のメンバー。
入院患者の訪問が目的。長い入院で単調な生活を繰り返すと、退院する意欲を失いがち。
メンバーが話すことで希望を引き出し、勇気づける。

「NPOこらーるたいとう」のメンバーも入院経験がある。同じ境遇だったからこそ、本音で話せる。
具体的なイメージがもてるよう、住まいや、仕事の相談にものる。
メンバーの加藤さん「ハローワークは、敷居が高い感じはほんとにないの。みんなすごく気楽に来てるよ」



 
「また復活してやりたいと思います」


「人並みの生活がしたいです。中にずっとこもっていると浦島太郎や浦島花子になってしまう」

加藤:
当事者の人を病院が受け入れて、こういう風に動いていくというのは大事だし、
最初は大変かもしれないけど、もっともっとお互いに、入院している人を退院させていくお手伝いをするのは大事。

山本:
地域に出たら、あんな風に暮らせるんだなっていう自信がわくと思う。
困った時に尋ねられる安心感、“添え木”になること
弱った時、どうしようって思った時に「あの人たちに相談してみよう」って思い出してくれたら。


「ピアサポート」
当事者同士が支え合う活動。精神障害者のピアサポートは2000年以降、各地で広がっている。
国や自治体もようやく支援に動き始めた。



●ここから学べること

山本:
“精神障害”っていうと分かりにくい言葉になるけれども、悩んだ時のココロの弱さ、ゆらぎを“悩む力”と捉えること。
関わりをもつことが出来れば、閉鎖空間に閉じ込めるのではなく、地域の見守りの中で関係を作っていける。


サヘル:
自分も関わり方が分からなくて、「専門の方に任せておけばいいんだ」って思っていた。
薬ではなく、人と人がお互い癒やすこともできるから、自分たちができることもあるんだなと分かった。

コメント

サイパン(1998.11.19-22)

2016-01-08 18:40:37 | 町歩き
※notes and movies(1998.11~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。

バリ島説やら韓国説、いろいろ流れて、時期も9月とか10月とかいって、結局11月。
これから雨期が明けて乾期、Xmas、正月、ゴルフに来る連中で混むらしいけど、
昔に比べるとヒマっぽい。お店も閉まってるところが多かったし。

家族で海外旅行する際、父は若い頃からの趣味でアマチュア無線の道具一式持って、
1日目の市内ツアーは行っても、あとは部屋にこもってひたすら無線をしていることが多い
それぞれの国に電波を飛ばす許可証をもらって、アンテナまで持っていくんだから相当だよね。



【11.19】

6時に目覚ましをかけておいたのに、父のモーニングコール2回でイヤな目覚め・・・
6:50には家を出て、7:40上野中央口に集合。

京成に乗って成田。9時の受付ギリギリ。
山菜うどんを朝食につっこんで、すぐ搭乗。10:50発

機内では邦画をやってたけど、全然観なかった。
機内食は×。うどん、ビーフ、ビビンバ、フルーツ。



14時サイパン着。30度は暑い そして蒸す。
タクシーでマリアナ・リゾートのロビーまで。
そこからは、無線関係の人のレンタカーで「ANEX902」ピンクのコンドミニアムへ。

憧れてた海の見える窓、ロッジ風、すべて木造。
1年くらい前に始めたハルナホテルのツアープランらしく、早速父はアンテナを立てて、ガーガーピーピー。
戸を閉めても丸聞こえじゃん/汗×5000

22時くらいまで、なぜか他人と一緒にやってて、その方は午前1時に日本に戻ったそう

私、兄、母で食料の買い出しにスーパーに行って、甘~いパンや水、マンゴー(不味かった!)、オレンジを買った。

夕食は、ロビー横(だった気がする)で、明太子パスタ(酒蒸しのしめじが美味しかった)を食べた。
22時頃就寝。ぐっすり眠れた。疲れていたし、時差も1時間しかないし。
それにしても、中途半端なユニットバスには閉口



現地の住民の家は、林の中のバラックみたいで、高台には少し裕福な層が住んでいる
仕事の出来る人は銀行とかにとられて、他は無断欠勤したり、勤めている店やホテルの商品をもらっちゃったり、
ホテルのタオルも持ち帰っちゃうらしい

(あなたのモノ、私のモノって感覚がないって、そう悪いことじゃないと思う。
 所有物に格差があるから戦争になる。

ガイドさんは「日本やアメリカの支援がいなかったら経済的にやっていけない国」と言っていた。
昔から占領の歴史があって、島民だけならゆったり暮らせるだろうに。



【11.20】

6:30キッチリ目覚めた。
8時にはロビーで朝食。バイキング形式で、ポテト、コンビーフ、フルーツなど。

いったん部屋に戻って、9:30のバスでロビーに言って、タクシーに乗る。
電話すれば24時間いつでも送迎してくれるって、大変だろうなあ!
ちょっとだけ日本語も話せるドライバーのフィリップさん。


「バンザイクリフ」









「ラストコマンドポスト」





「Suicide Cliff(自殺の崖)」


「Bird Island(鳥の島)」とはいえ鳥は見えず。途中、海鳥がいたな。

ロビーに戻って、バスで「ラ・フィエスタ・サン・ロケ・ショッピングプラザ」へ。
 



(“急激に収益が悪化し、翌2006年に閉鎖された”って・・・→「廃墟検索地図」

自分用のお土産に可愛い海ガメの子Tシャツ12ドルは安い!(ああ、ジムで着た!)、
木彫りのイルカ2個、カメのジュエリーボックス。

 

その後、DFSに行って、何も用事はないと思っていたら、案外、雑貨や、ワーナーBros.、
ディズニーほかキャラクターグッズが豊富で、パイナップルの絵皿、イルカの絵の灰皿、
実家用は木彫りのカメ、木製のキッチン雑貨(母関連)を買った。


隣りは新しい「Hard Rock Cafe」で、KISS、L.クラヴィッツ、M.ゲイなどなどポスターが多かったけど、横浜、都内にもあるらしい。
母が買ったロゴ入りデニムシャツ25ドルはイイ。








特製アイスクリーム、フィッシュ&ポテトを食べて、バスで帰って、
1時間半潰して、観光案内ビデオを見て、現地人(チャロモ)を日本女性が訪ね、
地元の老人が「私はゴロウというそうです」て、なんだか自信がないみたい

夕食はバーベキュー。といってもバイキング形式で、材料を選んだり、焼いたのを持ってきてくれたりする。
ムール貝、コーン、ポテト、肉、タマネギ+にんじん+ピーマンの串刺しetc...ロブスターも美味しい。

この時、ソロでシンセで歌う曲がよかった。
私たちのリクエスト♪IMAGINE の他、♪Scarborough Fair/Simon and Garfunkel、♪YMCA、
♪UNCHAINED MELODY/RIGHTEOUS BROTHERS、♪Yesterday/THE BEATLES、♪Let It Be/THE BEATLESなどの日本人好みの定番ほか、
『ボディ・ガード』『タイタニック』『プリティ・ウーマン』等、映画のテーマ曲もgood。

店内に防犯カメラを設置するのは、従業員の監視も兼ねているという。
ガイドさんいわく「日本の常識が通じない」とのこと。

(現地の人たちへの偏見でもあるのかな・・・?

魚を獲るフィッシャーマンは、キャプテンに使用料を払い、釣った魚は彼から買わなきゃならない。
農業もやるが、ほとんど近隣国(日本など)からの輸入に頼っている。ここの農産物は大味で形が悪いそう。



【11.21】

7時頃、鳥の鳴き声で目覚めて、7:30バイキングの朝食。この日はパンケーキがあったv

9時、「サーキット場」に出かけ、私はAコース(1回8分間 30ドル)、
兄はBコース(2回 50ドル)、途中、急にスコールで中断したけど、4周も回って堪能!
2回目、右に曲がるハンドルが変で苦労した。水たまりでお尻がびっしょり! でもサイコーに面白かった!






11:30、サンドイッチを頼んだら遅くて、12:10のバスに間に合わず、テイクアウトにしてもらっても遅かった!
中身は、レタス、セロリ、ピーマン、ハム、チーズ、豚肉をいっぱい挟んであってgood。
半分しか食べられなかった。チップ含めて9ドル。


「海中展望船」(1人49ドル 13時発 所要時間は1時間半)

30分もバス内で待って、クルーザー(バス)も貸切状態。
20分ほど沖に出て、船底におり、真ん中が長い椅子で、両側に丸い窓がある。
マイクの説明がモゴモゴでよく分からなかった。

サイパンは珊瑚でできていて、珊瑚の砂が真っ白でキレイ。
B29やアメリカの潜水艇の残骸に魚がいっぱい集まる。上からエサを投げてた!
エイも3匹見た!

ガイドのおやじさんは「ハイアットからバスある」て言ってたのに、行ってみたら、運転手ジョージは「ナイ」。
ジョージはフィリップさんの従兄弟。20ドルで「熱帯植物園」に行った。



植物の検疫っていうのもあるけど、花びらを持ち込むくらいならいいんだよね。
ジョージは「全然ヘーキ」ってゆったけど、鵜呑みにできない
ドライバーが植物園の花をとって渡してくれるんだもの!

サイバンのリゾート化は20年前くらいから。
人気が出て、定着したのもここ最近だから、まだまだこれからか?

暑い中、1時間回って、ハイビスカス付きのバナナアイスクリーム+チョコチップがけを食べて(7ドル)、
生まれたての子猫を見た!! シャーシャー鳴いて親を呼んでて、同じ黒いコがたぶん親なんだけど、他に三毛もいた。
野犬も1匹見た! 犬は多くて危険らしいけど、そんなに見なかったよ。


ぐるっと1周して「写真記念館」でジョージの祖父の姿を見て、15ドルでロビーまで送ってもらった。15:30。


父が先に帰ったら、兄はまだプールで焼いてて、キーを持って私と母で追いかけたら、マスターキーで入ってしまい、
父の半ズボンを借りて、トイレで着替えて(これがピッタリ!)ビーチに行ったら、もう少しだけ満ち潮。
1m先は膝上まで波がくる
海水があったかくて、ちゃぷちゃぷと貝や珊瑚を拾った。可愛いヤドカリもいた。




17時近くに部屋に戻って休んでから、19時半、夕食に行って、また明太子パスタ(美味しい)+ホットコーヒー

部屋に戻って、お風呂に入って、今21:30頃。
明日は乗馬やるぞ!! 30分で25ドル。ポニーは10分で10ドル。
それにしてもこのピロロピロロー(無線の音)はウルサイ

結局、ロビーで聞いたら乗馬は5分で30ドル! 15分で40ドル、30分で50ドル(園内1周)らしくて諦めた。
軽井沢でもそれくらいはとるから、まあ相場だけど、どうしてこんなに高いんだろう。
サチさんいわく「あんまりいいエサを食べていないから栄養失調かも」



【11.22】

6:30起床。ミニヤモリくんは、いつもの窓にいる
7:30、朝食バイキング。

いったん部屋に戻って、みんなダラダラムードのところを揺り起こして、母とビーチへ!
水着持ってきてよかったあ。水中メガネも!

熱帯魚は、黒いのや、エンゼルフィッシュや、青や白の30cmくらいのもいたし、ナマコもたくさん!
水着のない母は、ボディスーツとパンツのまま海へw

珊瑚のところに魚がいっぱいいて、薄い水色の海水があったかい。
2人で2時間くらい、10:40まで時間も忘れて、濡れるのも忘れて感動!

(ここでとんでもないハプニングがあったんだけど、ここには書けません

木みたいなところに付いてるシャワーを浴びて、サンダル履いて、トイレで着替えて、
部屋に戻ってもう一度シャワーを浴びて、日焼け止めのキラキラ入りクリームを落とした。

少し休んで、父と兄はアンテナをおろして、12時過ぎに3人でランチ。
ロビー横で、今度はマッシュルームスパ+ホットティーもgood。で、今13時。

14:30にロビーから出て、40分かかって15:10空港着。
自分らでチェックインして、16:55の飛行機に乗り、19:20成田着



ああ、人生いいことばかりは続かない! この飛行機の帰りが酷かったこと

14:30に出て、空港まで黒沢年雄さんの弟だったらしいホテルの支配人(らしい)人(最初もこの人だった)に乗せてもらった。
現地の人を25%雇用するという法律がある。現地の人はプライドが高いと聞いていたけど納得。

チェックインもゆっくり、のんびり。空港使用料なし。GATEは1個だけ。
搭乗まで1時間半ほどあって、可愛いキーホルダー8ドル、定番のマカダミアナッツチョコレート8ドルを買った。

16:55離陸。
映画は後藤久美子がヒロインの寅さんを途中まで観て、ここまでは順調。

夕食は、チキンカレー、卵焼き、サラダ、ポテサラ、フルーツ、緑茶もまあいいとして、
「あと20分で着きます」まではよかったが、急に揺れだして、
一度グーーーーーーンて下がるのは許せても、雨雲にまともに突入したのか十数分間揺れっぱなし

思わず乗客が「オオオオオオオ!」て言う状態。
「神さま、仏さま、お願い!」て感じで、かなりヤバかったけど、なんとか助かった
事故で亡くなった人たちの生き地獄の気持ちが分かった気がする。。。

ちなみに兄は、私たちの分まで余計に夕食を食べた後だったから、本当に気分を悪くして、
恐怖とともに蒼白になって、しばらく口がきけなかったほど。
「これからは腹八分目にしとこう」て反省しきりだった



帰りの父のバッグを持ち込んじゃダメって言われたのは、個数とサイズのせいか?
行きはジャンボじゃなくて、トイレがすっごい狭くて、カギは壊れていたし、
しかも、荷物を入れるところが小さくて、お土産袋も入れたらキツキツだった。
NORTHWET。揺れたのは気流のせいでも、もうあんまりいいイメージは持てない

家には20時に着けるかな?チョコレートも1箱会社用に買わなきゃ。



慌ててスカイライナーに乗って間もなく、外国人男性が困って“Does anybody speak English, Help me!”と言いながら
車両を歩いてきたから、思わず声をかけたら、「日暮里までのチケットだけと東京へ行きたい」とのこと。

「私も同じだから連れて行く」と言ったら、しきりに母が隣りでああしたらいい、こうしたらいい、
兄に聞いたほうがいい、兄のほうがよく知ってるって連呼するから、私もついにキレて、
「私を全然信用してないでしょ!」て言ったきり黙っちゃってイヤなムードに

英語大好きな父は喜んで、みんなで日暮里で降りて、東京まで連れていくことに。
私は反対方向だけど、乗り換えの切符を買うのを手伝って、“Take Care. Good Luck!”と言って別れた。

(後で分かったことだけど、彼が言ってた「浜松」て、静岡のほうだったのね。
 方向音痴で、地図に弱い私は、てっきり「浜松町」だと思って、「近いから大丈夫」て気楽でいた
 その後、同じ方向に行く若い夫婦と一緒に新幹線に乗れたらしいから結果オーライv


時間帯のせいか、またもや「線路に入った」ヤツがいて、電車が遅れまくった
家に着いたのは21:40で、ある程度片付けちゃって、シャワー浴びて、
お腹が空いたからカップ麺を食べて、今23:40。
まだ長野からの電話なし。しないつもりかな、時間が遅いから。



翌日、さっき電話したら、あの外国人男性は、浜松町じゃなく、静岡の浜松市へ東京から新幹線に乗って、
最終電車の21:30に乗るつもりだったと判明!
ちょうど一緒に乗る夫婦となんとか乗れて間に合ったらしい。
あれから3時間も乗ったら、着くのは午前1時とかになっちゃうんじゃないか?!
とにかく間に合ってよかった!



今回の旅行プランは、「TABIX」(タビックスジャパン)世田谷旅行倶楽部なる見知らぬ会社のもの。
郵便と電話だけのやりとりで、お金を払ったらチケットを送るから、後は各自でやってねってところだから、
オプショナルはどうするのか何から何まで当日、現場で決めた感じ。

父ははじめから最後まで、何かがない、あれを忘れた、とゆってばかり。
ラストも自宅の鍵がないで締めてたし。
母もブーたれて、兄はイライラしっぱなしだった

父はデジカメで撮影しっぱなし。早速、無線仲間に送って楽しんでた。
カラープリンターも買ったらしく、撮った写真を出力もできるから、私にも送ってほしいと電話した。


追。
いつも引換券て赤いカーボン紙だけど、今回は違った。
出入国カードもグレーだったし、なにかと戸惑うことが多かった。


私が自分用に買ったミッキーコインのついたネックレスは、ちょっとチェーンが短くて、まだ着けて出かけてないんだよね



(後々、慣れてきて、ネットなどでもチケットがとれたりするようになると、
 安いフリープランで行くようになって、さらに珍道中になるし、
 慣れない場所で、片言しか英語の話せない私が、全然喋れない人と行くと、
 いつのまにか翻訳係みたいになって余計に疲れることが判明


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ジム1月4回目~パワーヨガボディメイク30に初挑戦(2016.1.8)

2016-01-08 18:27:27 | 日記
東京に初霜がおりたってニュースでゆってたけど、まあ、天気のよいこと。ジム日和


骨盤スリム
このクラスはいつも列ができるほど大人気。でも、インストラクターさんの前は空きがちだから、今日も目の前をキープ。
今年から10分間のびて嬉しいとのことで、基本中の基本「正しく立つ」ことから教えてくれた。

みんな壁ぎわに背中をつけて立って、説明通りにやるけど、「立つ」だけなのに、やること満載!

「実は、“立つ”ってスゴイことなんです」

かかとを壁につけて、足はちょっと開いて、お尻、肩、頭をつける。
その後、伸びたりたり縮んだり、呼吸法でどんどん整えて、本当に体にとってムリのない立ち姿勢をカラダに学習させる。

「カラダは、悪いほうへも流れますが、正しく整えてあげれば学ぶものです」

その後は、いつもの、仰向けに寝て、膝をたてて、お尻を数cm浮かせたり、片脚を上げた状態で数cm横にズラしたり。
これがとっても痛い 骨盤や腹筋、お尻の筋肉を鍛えているのに、普段使ってないから意識するのも困難で、
太ももとか、変なところがつってパンパン 終わるとみんなつい「はあああああああああ!」て声が出る


パワーヨガボディメイク30
“動きに一連の流れのある「太陽礼拝」という基本ポーズを丁寧に行うヨガのクラス”

ジムのスタッフのクラスは短いし、大抵、地味な傾向にあり(人によるけど
「太陽礼拝」の動作が知りたくて、前のクラスから5分しか間がなくて、スタジオも1階上がらなきゃならないから、
走って駆けつけたら、生徒さんは5~6人だけ。



なんてことはない、前回書いた「犬のポーズ」「戦士のポーズ」などに加えて、
上記の説明通り基本ポーズを一連の流れでやるだけ。

「今年から始まったのでよろしくお願いします。では、座る姿勢から・・・」

若い男性スタッフがカンタンな説明とともにすぐに動きはじめて、初めての人には何のことやらって思ったことだろう。
それが終わると、カンタンなストレッチをして、「屍のポーズ」で締め。

マットを片付けながら、スタッフさんがそばにいるにも関わらず、
「寒かったあ!」「あんまり面白くないね」
忌憚のないご意見を言うおばさま達

いいなあ、ああやって素直な気持ちが、思った時にすぐ口から出せる人って。
きっと日常でも、そうやって小出しにするから、ストレスもたまりにくいだろうし、
悪く言えば、周りがフォローしなきゃならない「ストレッサー」側になるけど、
ゆっちゃえる人のほうが得だよなあっていつも思う。

さて、このクラス、存続できるか


●筋トレ
ひと通りのメニュー。今日は人数が多くて、なぜか年齢層が若め。男性度高め。


●ウォーキング
今日の音楽は、♪headphone music/スネオヘアー(i-dep mix) 、♪Ex Factor/Lauryn Hill などなど。


●温泉


今日は昼からのクラスから始めたから、これだけやると、17時頃になって、もう真っ暗
疲れるけど、温泉で温まるし、また来たいって思う。


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