メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

宮沢賢治生誕120年 ますむらひろし 宮沢賢治の世界を語る@朝日カルチャーセンター(2016.1.30)

2016-01-31 15:22:48 | 
宮沢賢治生誕120年 ますむらひろし 宮沢賢治の世界を語る@朝日カルチャーセンター
講師名:漫画家 ますむらひろし

講座内容:
“幻想と謎に満ちた宮沢賢治童話の漫画化を続ける、ますむらひろし氏。
 登場人物を擬人化した猫として置き換えた作品は、1985年公開のアニメ映画『銀河鉄道の夜』のもととなりました。
 賢治の詩『雨ニモ負ケズ』の一節「イツモシズカニワラッテイル」が根底にあるというヒデヨシと、その友達らが活躍するアタゴオルシリーズをはじめ、
 宮沢賢治の童話を1983~1998年にかけて漫画化、2015年には新たに『やまなし』『虔十公園林』『オツベルと象』『ひかりの素足』を出版しました。
 そして宮沢賢治生誕120年にあたる2016年には、再び『銀河鉄道の夜』を漫画で描くことを発表。
 これは1983年の「最終形」、1985年の「初期形ブロカニロ博士篇」に続き3度目の試みとなります。
 賢治の言葉と向き合いつづけるますむらひろし氏に、宮沢賢治への想いや発見などを語っていただきます。”

※「作家別」カテゴリー「ますむらひろし」参照
※「作家別」カテゴリー「宮沢賢治」参照



ますむらさんのツイートで見つけて、早速スマホから朝日カルチャーセンターに「新規登録」をしたが、自動返信が来ない。
フリーメールのアドレスにしたからか?と思ったが、「迷惑メールBOX」にも入っていないので、
後日、電話して聞いてみたら、「まだ登録されていない」そう。
スマホでも登録はできるはずなのに、なぜ???

じゃあ、パソからフリーメールでないメアドで登録し直したほうがいいかと聞いたら、
「この電話でも受け付けますよ」とのことで、受け付けたv

「当日、4階の受付での支払いは、土日は混むので早めに来てください」という話から、
コンビニ払いもできるって聞いて、そっちにしてもらった。なんだかゆるいシステムだなあ
振込用紙を送る→当日は直接、会場の7階に行く。7階かぁ・・・4階だと思った。。。

※ネットやスマホで登録すると、支払いはクレカ限定。それが嫌な人も多いので、現金払いもしているそう。




昨日の夜から今朝にかけて、また雪が降ると散々ゆってたけど、
おそるおそる朝、カーテンを開けたら、なんてことない小雨程度で、
昼頃、家を出る時はやんでいて、1日曇りだった。またニュースに脅された。

木曜にやったスクワットのせいで、両太ももが筋肉痛の激痛で、
アシモくんのように歩いています・・・(座るのも痛い

新宿はひさびさ。
西口の高層ビルと言えば、派遣屋の事務所も多いので、もしかしたら、ここ登録で来たかもと思い出した

新宿住友ビル前の太田道灌さんつながりの猫

玉ちゃんて・・・




7階に直接行ってくださいとは言われたけど、一応4階にも行ってみたら、旅行会社かと思うような受付カウンター/驚
たくさんの講座があるから、これだけの規模でやってるんだな。

並んだチラシを見ると、ヨガ、手芸、ジャズ、本当に幅広い。
生涯学習はいいことだと思う。実際行くと、やっぱり女性が多いけどw

円筒形のフシギなビル内の複数の教室?で、いろいろな講座を時間差で催しているよう。

7階に行くと、15分前くらいだったけど、もう十数人並んで、ドアが開くのを待っていた。
なんだか大学のゼミを思い出させるようなシンプルな部屋。
横長で、正面にスクリーンがあって、懐かしいプロジェクターがある(見せる側は左右が分からなくなるやつ

50人くらい入れるのかな? 真ん前にはPCを持ち込んで、なにやら一生懸命入力している人もいた/驚
私は、真ん中の端をとって、7階ってことで、ソラナックスをポケットに入れて、
始終、カラダ全体に悪霊でも背負っているかのような不安感を感じつつも、2時間半頑張った

「授業みたいになるかもしれない」とご本人がつぶやいていた通り、7枚のコピー紙を渡された。

「作品誕生・変遷」年表
「銀河鉄道の夜」構成
「銀河鉄道の夜」三次稿(初期形
「銀河鉄道の夜」第四次稿・最終形
「青森挽歌」
『一八四 春』一九二四、八、二二
『一八四 春』変奏曲 一九二四、八、二二/一九三三、七、五
『一五五』一九二四、七、五

ますむらひろしの北斎展@八王子市夢美術館


2016.2.6(土)- 2016.3.27(日)10:00-19:00
休館日 月曜日(ただし祝日の場合は開館し翌日休館)

「羊毛フェルトでヒデヨシをつくろう」て!w




【内容抜粋メモ】

ますむらさんが賢治を好きになった理由や、賢治の人となりについて語るのかなと
ぼんやり想像して行ったのだけれども、それはサラっと流して、というのも冒頭から
「感動も、何度も講演などをするうちに薄れてきて、このぐらいのテンションで話しますが・・・」みたいな始まり方

今回、熱烈に話してくれたのは、『銀河鉄道の夜』を漫画化、映像化するにあたり、苦労した点。
とくに天の川を挟んで、賢治の書いた「天の野原」「三角標」などを描くために、
天沢退二郎さんの書いた古い本、星座早見盤(!)などを照らし合わせて、
ジョバンニらが見た星々が一体どこから、どう見たのか?を延々と掘り下げていた。

そっかぁ・・・賢治のただでさえ迷宮のような生原稿だけでも解読するのは困難なのに、
それを視覚化、映像化するとなると、私たち一般人にもひと目見てなんとなくイメージ出来るように
描かなきゃならないことの難しさたるや、想像を超えるなあ!


とっても見づらい生原稿

以下は、話を聞きながら、コピー紙にメモった怪しい記憶に基づいて、話の内容をざっくり記録しようと思う
(間違いがあったらすみません/謝


ますむらさんと賢治の出逢い
小学校時代:教科書で『虔十公園林』(読んだかなあ?)を読んで、特殊学級のことを書いていることに驚いた。
中学校:学校で方言を禁じられていた(!)のに、賢治は故郷に敬意を込めて、方言で書いていることに驚いた。
東京(小石川)に上京して、改めて自然の大切さを知った。

デザイナー学院で、水俣病の研究で猫を実験台に使ったことを知って憤りを感じる。

「手塚賞」1等100万円の賞金に惹かれて初めてマンガを描いた。筒井康隆さんの推薦を受けて2等を受賞。

その後の3年間は仕事がなかった。

『ユリイカ』で『銀河鉄道の夜』について2人の詩人による対談を読んで感動。その1人が天沢退二郎さん。
そこには、『銀河鉄道の夜』の終わり方には2通りあると推理し、実際に生原稿を見に行って「初期形」「最終形」があると分かる。

賢治作品の著作権が切れたのをきっかけに、'82~'83に3作を描いた。『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』もう1つ何だっけ?

その時、筑摩書房の全10巻を買って読み、「初期形」で描きたかったため、天沢さんの了解を得る。
83枚の原稿を93ページにまとめるため、たくさん削らねばならないシーンがあった。
賢治はセリフなどと同様、語りの上手さがあるが、それをマンガで表現するのは難しい(そうだよねえ!


「三角標」とは何ぞや?
当時は分からずに描いたら、読者カードで「三角標とは、三角測量の時に使うものです」と指摘を受けた。
明治時代に日本地図を正しく作り直す時に使ったそう。賢治が「琴座」のことを書いたと分かった。
アニメ映画化の話が出て、2年の間に「初期形」で描くため200ページもらった。


桔梗色の空とはどんな空?
賢治は車両から見て「窓の外に星はない」と書いているが、見えたはずだと思った。
それにしても、なぜ桔梗色?と考えていたら、夕暮れ時、夜になる手前、西の空がそんな風に見えたことがあり参考にした。


天の野原とは?
銀河鉄道がたどったルートを、ますむらさんは天の川の左側沿い(上から見て)に描いたけれども、右側沿いに描く人たちもいた。
文章からは「プレシオン海岸」から見た崖や星、さそり座の位置などから、どうも矛盾する点がある。
そこで、天の野原とは、反転した見方なのでは?と思った(結局難しくて分からなかった/謝

賢治「われわれは銀河の水の中に住んでいる」という言葉も参照した。


イーハトブは理想の岩手
故郷を愛する賢治をリスペクトして、自分も出身の米沢市にかけて「ヨネザアド」と命名し、
それは後に「アタゴオル」(東武野田線の愛宕駅から)に通じる。


「年表」より
「ひかりの素足」(1922)は、愛する妹としが病床にいた頃に書かれた。
兄弟が白黒に見えるシーンなど、雪国で育った経験も役立った。

妹が亡くなって、次に書いた「風林」(1923)との間、一切記録がないそう。
「風林」を読むと地獄を連想させる。


死の原因となる人物のブキミな描写
「ひかりの素足」では、男性が長々と話し込んで、待ちきれずに兄弟だけで雪の中を歩き始めたために遭難する。
その死の原因となる男の手甲がやけに光って見えたという記述が暗示している。

『銀河鉄道の夜』でも、「ラッコの上着がくるよ!」と言われた後、振り向くと、ザネリと目が合う。
その後、ザネリが川に落ちたことが原因でカンパネルラが亡くなることから、このシーンも賢治は意識して書いたのではと思われる。

その他、白鳥座の駅では大勢が下りたとあるのに、2人の少年が下りた時は誰もいない。
彼らは一瞬にしてどこに消えてしまったのか、というブキミさもある。


としの死と、賢治の詩、賢治自身の死

「青森挽歌」
あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか

ここに「ギルちゃん」という、アマガエル?が出てくる。

「春」という詩は8月の夏に書かれている。

「春」変奏曲も8月22日。花巻の旧暦のお盆と思われる頃に書かれた。

その後、1933年になって追加されている。賢治の死の2ヶ月前だった。
ここにも「ギルダちゃん」というコが出てくる。

“ベーリング行XZ号の列車は
 いま触媒の白金を噴いて、
 線路に沿った黄いろな草地のカーペットを
 ぶすぶす黒く焼き込みながら
 梃々として走って来ます”

という死を思わせる文章の前に
“おめでたう”という言葉を置くあたりにも、賢治のなんらかの意図が感じられる。

(追加文のほうが「青森挽歌」よりずっと、少女らが楽しそうに別次元に入るように見えるけれど


「薤露青」には、イギリス海岸と思われる「プリオシンコースト」が出てくる。

賢治が『銀河鉄道の夜』を書いていると言ったのは1924年の『注文の多い料理店』出版祝いの場(第1稿か?
だが、その前からすでに、あらゆる詩や作品の中に鉄道や星空の片鱗が見えるという。


最後にジョバンニは泣いたか?
ますむらさんのアニメ映画では、ジョバンニは涙をためて、母の待つ家へと走るところで終わる。
しかし、天沢さんの説では、ジョバンニはあのシーンでは泣かないという。

天沢さんの『原稿のすべて』(だっけ?)の中では、昭和31年版(生原稿は行方不明)で、
ジョバンニが丘に行き、セロのような声を聞くシーンがある。
定説では丘を下りて、カンパネルラの死を知るという順序だけれども、「セロの音」の記述は第4次稿にはない。

便利なツイッターを通じて、天沢さんとやりとりを重ね、ジョバンニが泣いたシーンはこの後にあるが、
ラストに泣くという推測もしたという。
とにかく、映画版では初期形で描いたが、ますむらさん的には「黒い帽子の男」が出てきて欲しいという思いが残った。




17時に終わる10分前に話を切り上げて、その後、聴講者による質問コーナーになり、3、4人ほど質問があった。

Q:また映像化する予定はあるか?
すでに450ページ描いている(おお! 再び映画化されたらぜっ   たい観る


Q:修羅について
『春と修羅』の中で「おれはひとりの修羅なのだ」という一文がある。
ますむらさんのお話の中にも「不吉」を暗示させる人物が出てくるという話があった。
モーツァルトも死の直前、後に自らの葬送曲となる曲を依頼する男が現れたという。
修羅というのは、一種の「メメントモリ」だと思いますか?

メメントモリ

ま:
『春と修羅』を書いていた頃は、賢治は意気揚々としていたので、むしろ、「強さ」や光を持った、
自分は人間を超えた存在のように主張しているように感じられる節もある。

賢治の人生には、いくつかの段階があって、ニヒルな時代、晩年の死と向き合った時代など1つではなかった。
原稿においても、歳をとるごとに、読者がどうにでもとれるよう、わざと消した箇所がたくさんある
そういう多角的な部分も、これだけ長年、多くの人を惹きつけ続けているのだと思う。


Q:なぜ猫で表現されるんですか?
それは、水木サンに“なぜオバケ?”(妖怪だけどw)と聞くのと同じ

私の場合、猫の反対にヒトがいる。ヒトで描くとエネルギーを感じない。
国芳といっしょ。彼はヒトを描いた時より、動物を描いた時のほうが面白い。
動物を描く人間に、なぜ?と聞いても説明不能です


こんな感じ?




数冊の新作本が並んでいて、購入した方には、サイン会があった。
出入口を入ったところには、読書室のようなスペースがあって、
周囲はカウンター席で、中央の小さな書棚には、フリペや書籍が置いてあって、
羽生くんが表紙のフィギュアスケート雑誌から、谷川俊太郎さんのフリペ、
戦争関連の大型本など、フシギな取り合わせ

そういえば、イベントチラシの中に鈴木明子さんの講演もあった/驚

サインをしているますむらさんの様子をチラ見したら、サインの横に大きくヒデヨシくんの横顔をサラサラと描いていた
イベント後に親しく話している方もいて、ライヴなどの活動もしているから、いろんなファンが集まったんだな。

会員制ということもあって、ここでも顔馴染み同士の会話があって、
ジム同様、会社や自宅以外の自分の趣味、交流の場所があるっていいことだと思った。




作家さんのトークイベントは面白いなあ。
これまで数回行ったけど、これからも機会があったら、いろいろ参加してみたい。

【ブログ内関連記事】
beco cafe mystery night vol.5 エドワード・ゴーリーの世界@西荻窪(2015.9.12)

川島小鳥+谷川俊太郎「おやすみ神たち」展@GALLERY MoMo(両国)


追。

2016年に著作権が消滅する作家まとめ
江戸川乱歩さんも!

「著作権切れ」作品が日本を救う?

【無料電子書籍】ネットで「宮沢賢治」を読んでみよう。宮沢賢治オススメベスト20+朗読動画

著作権の保護期間はどれだけ? - 著作権情報センター
“原則的保護期間は、著作者が著作物を創作した時点から著作者の死後50年までです。”


また、ますむらひろしさん×宮沢賢治のトークイベントやってほしいなあ!
今度は4階あたりで


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ますむらひろし

2016-01-31 14:50:20 | 
ますむらひろし(ウィキ参照

「作家別」カテゴリーに追加しました。


昔、雑誌『MOE』で読んでから、最近になって急にまた読みたくなって、図書館にあるだけ借りて読んだもの。

▼「アタゴオル物語(全10巻)」
1~6までなら港区に借用可能。直接行けるなら墨田区が1~9まで所蔵(コミック扱いのため相貸不可)

▼「アタゴオル玉手箱(全9巻)」
杉並区から借りれるかも(打診中)、その他は当館にある。

▼「アタゴオル(全2巻)」
所蔵館なし。国会図書館にもなし。

▼「アタゴオルは猫の森(全14巻)」
1巻のみ。練馬・墨田・大田区(相貸不可)にあり。国会図書館は※複写のみ可能。

▼「アタゴオル外伝(2種類)」
「Jaria」は新宿区所蔵(相貸不可)。国会図書館は複写のみ。
「ギルドマ」は杉並区で相貸できるかも?

図書館の方が丁寧に調べ直してくれた↓↓↓(感謝

▼アタゴオル物語(全10巻)
・港区(マンガ扱いのため、相互貸借不可)
・荒川区(1~6巻)
・北区(1~4巻)
・新宿区(1~4巻)
・杉並区(2~6巻)
上の4区は、相互貸借不可だが、居住制限なし。

▼アタゴオル(全2巻)
所蔵館なし。

▼アタゴオルは猫の森(全18巻、未完)
町田市に全巻あるが居住制限あり。
大田区・墨田区(オムニバス?のみ。居住制限あり。)




【アタゴオル】

『アタゴオルは猫の森 1』

『アタゴオル 1;アタゴオル物語篇』(スコラ漫画文庫シリーズ)
『アタゴオル物語 2~ボテ腹のサンバ』
『アタゴオル物語 3~ぱるぱらん』
『アタゴオル物語 4~左ききの楽園』
『アタゴオル物語 5~水晶散歩』
『アタゴオル物語 6~風を編む』

『アタゴオル玉手箱 1.星街編』(偕成社)
『アタゴオル玉手箱 』2・3(偕成社)
『アタゴオル玉手箱 4』
『アタゴオル玉手箱 5』
『アタゴオル玉手箱 6』
『アタゴオル玉手箱 7』
『アタゴオル玉手箱 8』
『アタゴオル玉手箱 9』

『アタゴオル外伝 ギルドマ』
『アタゴオル外伝 ヨネザアド物語』


【夢降るラビット・タウン】

『夢降るラビット・タウン1』
『夢降るラビット・タウン2』
『夢降るラビット・タウン3』
『夢降るラビット・タウン4』
『夢降るラビット・タウン5』


【宮沢賢治】

『賢治に一番近い虹 雪渡り+十力の金剛石』
ますむら・ひろし画文集『イーハトーヴ波』
『グスコーブドリの伝記-賢治に一番近い波-』
『猫の事務所+どんぐりと山猫-賢治に一番近い森-』
風の又三郎-賢治に一番近い風-(朝日ソノラマ)
銀河鉄道の夜〈初期形〉ブルカニロ博士篇
ますむら版宮沢賢治童話集『カイロ団長 洞熊学校を卒業した三人』


【その他】

『青猫島コスモス紀』(スコラ)
ますむら・ひろしの「ゴッホ型猫の目時計」

映画『銀河鉄道の夜』(1985)
映画『グスコーブドリの伝記』(2012)
映画『グスコーブドリの伝記』2回目
『アタゴオルは猫の森』(2006)
『イーハトーブ幻想 KENJIの春』(1996)

ますむらひろしアタゴオル原画展 「ATAGOAL×HOKUSAI 2013」@ギャラリー猫町

宮沢賢治生誕120年 ますむらひろし 宮沢賢治の世界を語る@朝日カルチャーセンター

ネコメンタリー 猫も、杓子も。 ますむらひろしとモンとハテナとコマ



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宮沢賢治記念館@花巻(1994.12.17)

2016-01-31 11:41:50 | 町歩き
※notes and movies(1994.10~ part1)からの転記。

※「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。


なんて寒い1日だったろう

6時起床。まだ夜の暗さ。カーテンをひいたまま電灯をつけて準備。
見慣れないテレビ番組。6:30からは『マンガ日本昔話』までやってる/驚

7:10 家を出る。
上野へ。不忍口に出ちゃって、歩いて20番ホームの「東北新幹線」乗り場で知人と待ち合わせ。

8:11 「やまびこ35号 盛岡行き」指定席片道12000円ちょい。

私は新潟の時と、みーちゃん(愛犬)の写真、知人は1月に花巻に行った時のスライド写真を見せ合って、
東北のガイドブックやらを見て心の準備。
途中トンネルばかりだけど、先へ行くほど雪深い田畑が広がる。

上野→大宮→宇都宮→福島→仙台→新花巻

やっぱりすごい寒さ! 早速、記念館に向かって歩く。
山の上にあって、途中、坂道の傾斜がきつい、きつい 雪道をハアハアいってのぼる。

「山猫軒」


「イーハトーブ定食」を食べる。山菜中心でなかなかgood。1400円。


「宮沢賢治記念館」


それほど広くないけど、生原稿や、絵、バタグルミの化石など、ファンには想い入れの深い展示物ばかり
お客さんは他に5人もいなかった。




スイッチを押して見るビデオでは、童話の語り、星座、宝石の説明などがある。

その下を延々下りて行くと花壇と「イーハトブ館」があったんだけど、階段が凍っていてパス。


「羅須地人協会」(賢治が教鞭をとった農業学校)



「下の畑に居りマス」の看板のある家


これも移転したもの。もとは高台にあった。
ここにはオルガンのある教室や、農業学校の生徒によって手入れされている和室、書斎、
昔ながらの障子ガラス戸の向こうに広がる雪景色はとっても風情がある。




タクシーに乗り「イギリス海岸」を横目に通り過ぎて、花巻駅へ。


運転手さんは、きつい東北弁で気さくにいろいろと話してくれた。
近くの花巻空港で、昨年、飛行機墜落事故があって騒がれた話とか


「未来都市銀河地球鉄道壁画」

“宮沢賢治の作品『銀河鉄道の夜』を題材にした壁画。日が落ちると、蛍光塗料で描かれた絵が浮かび上がって見える。
 ライトアップは5~9月は19時30分~22時、10~4月は18~22時。 ”

今回のメインは壁画(新聞かどこかで見たんだよね





でも、一部しかライトが当たっていなかった。18時以降15分間隔という説が正しかったのか?
すっかり体が極限まで冷えて、駅前のお土産店でかりんとうとお漬物の袋を3つ買って、その後が大変。

(第2の目的は、話題の「MAX」に乗ることだったんだけど、
 トンネル内で屋根が吹き飛んだとかの事故でたしか乗れなかったんだよね

「釜石線」で「新花巻」へ。
1時間待合室で時間を潰して・・・周りにレストランがあったけど「closed」。

19:30 新幹線に乗る。前の自由席がないと思ったら・・・

(ここで寝落ち

寝ちゃった。今日は12月18日の14時。昨日のつづきを話すと、、、

弁当屋さんを待って、待って、もう諦めてたら来たけど、1個だけ。
でも、その1個が2段重ねで、上を私、下を知人と食べてちょうどよかった感じの量。
ウーロン茶2個と1400円。これはおごってもらった/礼

(イラストの中身の絵は、焼きおにぎり、シソ巻きおにぎり、挽き肉?、ゴマ和え、おでん、おこわ



14、15号車が自由席だと駅員に聞いて、6号車からずんずん歩いて、
途中フシギなVIP席あり。誰もいない。ジュースの販売所あり。

やっと着いた14号車はガラガラ。
「MAX」が故障で「やまびこ」(16両)に変わって、おかしな順序になったから誰も分からなかったのよね。

もう1つフシギなことに帰りは2.5時間で大宮まで着いちゃったこと。行きは3時間だったのに。
知人は「坂道なのよ」と言っていたけどw

23時 家に到着。

朝6時から深夜まで約18時間動き通しだったけど、とっても充実感があって、疲れは気にならなかった。
一方、知人さんは、風邪で鼻をかみ通しで体調最悪だった

イーハトーヴ館、イギリス海岸、賢治生家、お墓、壁の絵ももっと見たかった所がいっぱいあったのはちょっと心残りだけど、
2~3日前の雪が5~6cm積もった岩手県のフシギな体験の数々に気分転換できて満足した。

使ったお金は27000円。、いやタクシー代も入れて約3万円か。
交通費がほとんどだけど、安くて、日帰りはお手軽で、楽しく有意義な1日でした~。



***追記

記念館と羅須地人協会でノートに書いた住所、名前、ひと言の感想。
私は書かないタイプだけど、知人と一緒に書いてきた。
あれって誰か読んでるのかな?
それとも単に記録としてどこかにしまわれるのかしら?

明日はとうとうワープロ検定の発表日。
たぶん、帰りにワープロスクール会場に寄るつもり。
どうなるかは明日のお楽しみ。

(ワープロ検定って・・・時代を感じる


「釜石線」もフシギだった。妙に空いた車両に乗ったら「切り離す」と言われて、
学生いっぱいの車両に乗ると、「開ける」「閉める」ていうボタンがある。

新花巻は「似内駅」(この駅、いつ通り過ぎたのか分からなかった。)の次で、2つ目だけど、
とにかく新花巻で停まってくれて、自分でボタンを押して降りなきゃならない手動ドアなんだな。

花巻も新花巻も駅にある食事処は立ち食いそば屋だけ。
キオスクにはお弁当すら置いていない。
駅前のレストランもシーズンオフでやってない。

バスは2時間に1本、新幹線は1時間に1本。それもしょっちゅう遅れる。
きっと海外はこんな時間の流れ方なんだろう。
新幹線のホームからガラス越しに夜の雪をかぶった田んぼがどこまでもどこまでも静かに続いているのが見えた。

どこへ行っても観光客は少なく、とっても静かで冷えるのよ、岩手は。


(長野の寒さと全然違ってるのにとにかくビックリした。
 体の芯から底冷えする感じで、ずっと外にいたら死ぬんじゃないかって思うくらい。

 それから、日本でも地平線が見える場所があるんだってことも驚いた。長野は盆地だからか?
 歩いていると、あちこちに賢治由来のオブジェ、猫っぽいオブジェや看板などがあるのも楽しいv
 また行きたいなあ!

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