メランコリア

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NHKアーカイブス「浅田真央 飽くなき挑戦~シニアデビューから10年~」

2016-01-24 13:25:29 | フィギュアスケート
NHKアーカイブス「浅田真央 飽くなき挑戦~シニアデビューから10年~」

たくさんたまってる予録を見ていきます。
これまで観た映像は割愛。

NHKの膨大な資料の中から、真央ちゃんの記録を集めた特番。
ソチオリンピックを最後と決めてたんだなぁ。



「完璧な演技をしたいことです」

2010年 バンクーバーオリンピックでの悔しさから、自分のスケートを1から見直した。

「まだまだ上にいけるんじゃないかと思っています」



あ、以前「アートシーン」の司会をしていた森田美由紀アナだ。
ゲストは伊藤みどりさんと、フィギュアスケートの解説員。

 

真央ちゃんが憧れたスケーターがみどりさん。彼女も一度引退して、4年後に復帰した。

み「浅田選手が復帰の道を選んだ時は、ホッとした気持ちになりました。
  ハーフ&ハーフと言ってた時期に一緒にお仕事をして、
 “みどりさんはどう引退を決めたのか”“なぜ復帰したんですか”“復帰するためにはどう乗り越えましたか?”
  ていう質問が多い中で、ヤル気なのかな?と思った。
  やってみたい、挑戦したいと思った時が大きなチャンスだと思うので、継続は力なりという言葉を言いました」


[真央ちゃんの思い出]

み「2005年の世界ジュニア選手権で優勝できてワクワクしたのを覚えています」
アナ「みどりさんの衣装を着てたんですよね」
み「私が大事に着ていた衣装を、真央ちゃんも大事に着てくれてたのが嬉しかった」



刈屋「品があって欧米のジャッジが思わず点を入れたくなる雰囲気を持ちつつ、
   みどりさん以来のジャンプを引き継いでいる、すごい選手が出てきたと思った」

アナ「シニアの10年は?」

刈屋:
浅田選手は3つの時代に分けられる。ジャンプが好きで、トリプルアクセルに憧れていた時がバンクーバー。
それを1から見直した時期は、アスリートとしての集大成。
今回は第3章、これからはアーティストとしての浅田真央として向かっていくのではないか。完成期に入った。



[これまでの歩み]

トリノオリンピックには年齢制限で出られなかった。
その4年後のバンクーバーオリンピックを目指していた16歳の真央ちゃんを追ったドキュメンタリー番組。



練習している場所は標高が高く空気が薄いため、スタミナづくりに適している。
ここは世界でも数少ない選手専用のリンク。世界各国から選手が集まってくる。

 

新しいアルトゥニアンコーチは、何人ものオリンピック選手を育て、
真央ちゃんに「より高く、軽やかに跳ぶこと」、女子での最高レベルの指導をした。





[プロフィール]

平成2年 名古屋市生まれ。初めてスケート靴を履いたのは5歳。


3×3×3は女子初の快挙だった。
トリプルアクセルも跳び「日本にはジャンプの天才がいる」と世界で噂になった。
トリプルアクセルは世界で数人しか成功していない大技。

 

 

2005年、GPファイナル初出場で優勝。


2007年、取り組んだプログラムはかつてない高難度のFP。


 
最初のトリプルアクセルの前に難しいステップを入れた。



[スケートアメリカ]
 
「今は別に緊張とかはしてないです」


[GPシリーズ]
GPシリーズに2つ出場し、総合成績の上位6人はGPファイナルに行ける。
真央ちゃんは、スケートアメリカとNHK杯に出場。



その前の「日米対抗戦」(10月15日)ではトリプルアクセルに失敗。


運動生理学を研究する教授の分析で、ジャンプに入る前の助走のスピードの違いがあることが分かった。
(今はなんでもパソで細かく分析できるのも、昔と比較すると、スポーツを革新的に進歩させてるよね

 

湯浅「一般人にとっては小さくても、1/10秒でコントロールしている選手にとっては極めて大きい時間」

1つの失敗から演技全体が崩れてしまい、精神的な弱さが見えた。

「自信はあったけれども、トリプルアクセル・・・自分でもよく分からない」


真央ちゃんは3位

休みもとらずに練習を再開。

「あー超だるい。死にます」


コーチ「すべてにトライするんだ!」
真央ちゃんは弱気な自身と闘った(鏡を見ながら確認するんだね

育ち盛りの体もジャンプを難しくしていた。身長162cm、体重45kg。
この1年で身長4cm、体重2kg増えた。体重管理に気をつけて、好きな食べ物も食べられない。

NHK杯まであと2週間。真央ちゃんはFPの変更を申し出、毎日、夜まで練習した。


コーチ「もう一度! もっと力強く」



[NHK杯]


この試合に合わせて作った衣装で公式練習。トリプルアクセルは失敗が続き、不安が残った。
メディアの質問はトリプルアクセルに集中し、自らを鼓舞するようなコメントを繰り返した。

SPはトップ。スケートアメリカと同じ展開。
気持ちを落ち着かせようと会場を覗く。

 

「どれぐらいお客さんが入ってるかちゃんと見ておかないと、出てワァ~て思わないように。動揺しちゃうんで」
(初めて聞く繊細な本音だなあ

お客さんは約5000人。

本番30分前。重圧に1人で耐える。
 
(今みたいに音楽聴いたり、端末で確認したりしなかった頃だもんね


トリプルアクセルの着氷は乱れたが動揺せず次につなげる。3×3も跳んで勢いにのる。
自己ベストを上回る歴代最高得点で優勝。GPファイナル進出を果たした。

 

 

 



「優勝しないといけないというのは初めてだったので、いつもより緊張したし、いつもより嬉しかった。
 自分が追い込んだ中で上手にできたってことはこれからもプラスになると思う」
(この時はウェイビーな髪型だったのね



GPファイナルでのトリプルアクセルは失敗した。



[トリプルアクセルへのこだわり]


み「モチベーションにもなるし、出来た時の満足感、充実感は、頑張ってよかったと思う瞬間。
  まだ誰もやっていないことに挑み続けているのはスゴイことだなと思っています」

アナ「浅田選手がトリプルアクセルに挑戦していることは女子スケートへの影響も・・・」

刈屋:
大きいと思います。フィギュアスケートは技術と芸術で競う。芸術だけだと基準がどんどん曖昧になる。
みどりさんがトリプルアクセルを跳ぶことによって、見てる人の心が揺さぶられる。
同じように跳ぼうとする人も出てくるし、それに負けないジャンプをやろうとする人も出てくるし、
スピン、ステップで得点をしのごうとする人も出てくる、ほかの選手にどんどん波及していく。

浅田選手をプルシェンコ選手らが一番高く評価していることは、
最高難度の技に常に挑戦し続けたプログラムを作ってきたこと。
みどりさんや、浅田選手は、フィギュアスケートをスポーツとして前進させてきた。


アナ「体の変化とともに感じる難しさはありましたか?」

み「私の場合は、高校生時代に食べたいのをコントロールしなきゃいけなかった。
  同じトリプルアクセルでも、私が跳んだ時とは、年齢も、その時のプレッシャーも違うし、
  体調、タイミング、すべてがマッチしないと、理想とするトリプルアクセルは出来ない」

刈屋:
大体、世界でも10代の選手がトップに躍り出てくる。ジュニアからシニアにうつる14~15歳。
その後、2シーズン後、3シーズン後に消えているケースのほうが多かったり、どうしたの?てくらい跳べなくなってたり。
だから、10年間トップにい続ける浅田選手がいかに努力しているかが伺える。




バンクーバー後、スケートを見直して、ソチを目指した2014年の番組から。



NYで迷う姉妹。舞ちゃんはいつも妹を見守り、支えていたんだな。
 

演技の曲を決めに、バンクーバーでもコンビを組んだ振付師タチアナ・タラソワさんを訪れた(どっかり寝て迎えるって貫禄・・・

 

曲選び。1曲目はワルツ。「花が咲くイメージ」、2つめはピアノ協奏曲。
真央ちゃんが選んだのはラフマニノフ。
ココロの病に苦しんでいたラフマニノフが病気を克服して数年がかりで作った大作に強く惹かれた。

 
「今年は特にプレッシャーとかも感じると思うけれども、少しでも曲が後押ししてくれたらいいという思いもあった」

バンクーバーのSPもかなり大好きだったなあ!


SPもFPもトリプルアクセルを成功させた。3回のトリプルアクセルはオリンピック史上初。
しかし、その後のジャンプでミスが続く。



[なぜここまで得点に大差がついたのか?]
 

 


トリプルアクセルを3回決めたにも関わらず、得点差が大きいことが分かる(これにはあらゆる論議があるよね

1回目のトリプルアクセルは力んだため沈み込んだ


2回目はスピードが落ち、見栄えが悪いとみなされた(技術より見栄えってことか? あまりに主観的



バンクーバー後、佐藤信夫コーチに指導を受ける。


ジャンプの前に、基礎からやり直すことを求められた。土台となるスケーティングが乱れていると指摘された。
佐藤コーチが求めたのは、スピード感あふれる力強い滑り。スピードに乗れれば流れるようなジャンプが跳べると考えた。



「スピードを出す感覚が全然分からなくて、ただ押すだけじゃスピードは出なくて、もっと氷を捉えて、
 これって違うのかなって思いながらやってた」



[NHK杯]
 

これまで経験したことのないスランプに陥った。試合でトリプルアクセルが跳べない(ほんと辛い時期だったね・・・
シーズンで一度も優勝できないのはシニアになって初めてのことだった。


佐藤コーチと話し合い、トリプルアクセルを試合で跳ぶのを止めた



[新たな筋トレをはじめた。鍛えたのは体幹]
 
おお、ここでもストレッチポール登場!


 
「大きな自分の見せ場、武器として今シーズンも挑戦したいなと思います」

タラソワさんと振り付けを決める。
 

ソチに向けて作ったのは最高難度の演技構成(もの凄い運動量!


フィギュアスケート史上、誰も成し遂げたことのない高得点を狙うプログラム。
テーマは、真央ちゃん自身のスケート人生。18年間の喜び、苦しみ、出会いと別れ、すべてを込める。

「最後のステップは、自分の想いや、スケーティング技術、力をすべて出し尽くしたいっていう、
 今ですね。最後のすべてを出し切る


曲かけの練習後、周りの人たちが来て、励ましてくれた。

 

 


練習後に穴を埋めてるの???



[NHK杯]
ソチまであと3ヶ月。

 

成功のイメージを高める。


トリプルアクセルは両足着氷だったが流れは止まらず、助走スピードも大幅にアップした。
 

踏み切りの姿勢も沈み込まなかった。後半のジャンプも成功。
 
佐藤コーチは、真央ちゃんが近づいた時「頑張れ!頑張れ!」て声をかけてたんだ。

 



「とにかく最後にやったって思えるような演技をすることが、今一番やりたいこと。
 やっぱり笑顔で終わるのがイイなと思っていて、最後のステップはすべての力を出すって思いでやってます」




アナ「1からやり直すというのは大変な挑戦なのでは?」

み「まず、すごい勇気が要ります。スケーティングからやり直すのは」

刈屋:
普通ならジャンプの矯正から入る。スケーティング、基本からっていうのは、彼女しか知らない。
それを1年か2年の間にマスターしなければいけないことと、その間に試合で負けることになる。
それに耐えて、その技術をものにするんだという信念は凄い。

み「私ならやらない。もしやったとしても、上手く出来なかった時の不安のほうが強くなってしまうと思う。
  そこを頑張る真央ちゃんの姿は、私たちをのめりこませる要素。人間的にも魅力的」

刈屋:
フィギュアスケートは点数で感動させるものではなくて、作品そのもので心を揺さぶる、
どちらかというと浅田選手はそういうスタイル。
その中で、女性が出来る最も最高難度の技を組み込んで、なおかつ観客に見せるスケーティングや
音楽表現を入れたものをソチでやろうとした。


ソチではSPでまさかの16位。FPを演りきった後の涙は、何度観ても泣ける。


 

み「これは世界中の人たちが“過去の演技でもう一度観たいのはどれか”の中の1つに必ずあげるぐらいとても感動的。
  トータル的に心を打たれる演技でした」

アナ「その後の休養を選択した時の気持ちは推し量ることができますか?」

み「これだけ張り詰めた後は、想いがいっぱいで、悩む時期だったんでしょうね」


****始まった3度目の挑戦

アナ「今シーズンの真央さん、どうご覧になっていますか?」

み「1年休養してジャパンオープンに出た時は、このプログラムで挑戦することがスゴイと思った」

刈屋:
ハーフ&ハーフと言ったのは、ちょうどいろんなことが分かってきて、
さらに自分は出来るっていうことを体で感じていたのではないか。
それが復帰する大きなエネルギーになったのでは。

み「休養という時間がなければ、その気づきが得られなかったと思う。
  自分のスケート人生を振り返って、やっぱりやりたい、試合に出たいんだって想いが強くなったんだと思う」



2015年でのGPファイナルでは6位


み「力強いトリプルアクセルも戻ってきたし、輪をかけて表現力、真央ちゃんしか出せない味が出ている。
  戦う力があるんだってことを見せたことによって、この波は私は全然心配していない」

刈屋:
表現力は明らかに増しているし、生で観るとよく分かるが、緩急がものすごくついている。
それはスケート技術を基礎から見直した成果。

み「今まで経験したことを踏まえながら、唯一無二のスケーターとして帰ってきた印象がある」


アナ「活躍する上での課題があるとしたら?」

刈屋:
やはり周りの声に惑わされないこと(とくにマスコミね)。いろんな期待の声が入ってくるし、
自分でも今までの結果と比べる気持ちとの闘いにもなる。
でも、浅田真央のアスリートとしての最高傑作が観たい(そういう期待ね
本人もそれを作って披露したい、できればオリンピックであって欲しいけれども、ぜひそこに到達して欲しい。

み「そんなに焦ることなく、真央ちゃんなりのペースでやってほしい。
  やはり若い時のように体が動かないとか、疲れとかは年齢とともにきっとくるでしょう。
  でも自分の心と体に耳を澄ませながら1日1日を過ごしていくことが大事で、それがオリンピックにつながる第一歩。
  それをやり終えた充実感は、やはり試合でしか味わえないので、それが恋しくて帰ってきたと思うので、
  それを忘れず頑張って欲しいと思います」


実際のスケーターと、解説者の意見の違いがよく分かったなぁ。


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