メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『ナショナルジオグラフィック世界の国 韓国』(ほるぷ出版)

2016-01-28 14:58:45 | 
『ナショナルジオグラフィック世界の国 韓国』(ほるぷ出版)
トム・ジャクソン/著 レオニド・A・ペトロフ、キム・ヤンミュン/監修

トム・ジャクソン:児童書を専門とするイギリスの作家。野生生物保護プロジェクトに取り組み、旅行ライターとなる。
レオニド・A・ペトロフ:パリ政治学院教授。専門は朝鮮。
キム・ヤンミュン:韓国の中央研究院名誉教授。

【ブログ内関連記事】
『ナショナルジオグラフィック世界の国 ロシア』(ほるぷ出版)

一番近いのに、意外と内情は知らない国。
イメージとしては、女性が美容や美食、海外ブランド品を安めに買いに行く国。
そして、北朝鮮と隣接している国。

本書を読んで、この2つの国がかつては1つで、今も1つになることを切に望んでいる人たちがたくさんいることが分かった。
家族が国で分断された状態とは、どんな気持ちがするだろうか?
分断したのは、第二次世界戦争のとき。
その影にはまた2つの大国が絡んでいて、日本も植民地としていたことがあった。


【内容抜粋メモ】(記述に誤りがあったらすみません/謝

[はじめに]

かつては満州や中国にまで及ぶ広い地域を支配していた。

今日、朝鮮は「大韓民国」と「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」に分かれているが、
人々は、朝鮮はけっして分けることのできない1つの国で、いつか必ず統一されると信じている。

高い教育を受けた子どもたちが労働力となり、急速な近代化を支え、奇跡的な経済発展を遂げ、
世界有数の「先進工業国」、世界で11番目の「経済大国」となった。




[国旗]
「太極旗」と呼ばれ、陰陽思想を図案化している。太極円をとりまく4つの模様も「易経」に基づき、天地水火を表す。
これが採用されたのは、独立した1949年。

[国歌]
日本の国立音楽大学でも学んだ安益泰が作曲したが、朝鮮を統治していた日本は認めなかった。
愛国歌は「暫定的」で「恒久的」ではない。2つの国は、祖国が1つになるまで制定しないと決めている。

[時差]日本との間に時差はなく、同じ標準時で生活できる。

[気候]日本と似ている。冬の寒さは厳しく、夏は暑く、湿気が多い。

[祭り]
5月には釈迦の誕生日を祝って、蓮の花の形をした提灯を持ってソウルを練り歩く行列ができ、世界中から仏教徒がやってくる。


[政治]民主共和制。国家元首は大統領で、政府と軍隊をつかさどる。

[行政]
9つの道(ド)と呼ばれる行政区に分かれる。6つの大都市(釜山、大邱、仁川、光州、大田、蔚山)は議会で独自に治められている。

[貿易]
韓国に富をもたらしているのは製造業、銀行などのサービス業。主な貿易相手国は日本、中国、アメリカ。

[食べ物]
伝統的なのは「キムチ」。新鮮な野菜が手に入らない冬に食べる漬物。
「プルコギ」香辛料のきいた肉を焼きながら食べる。
飲み物では、高麗人参茶、生姜湯、緑茶など。

[農業]農業に適した土地は、国土のわずか20%。お茶は重要な栽培作物。

[教育]
6~18歳まで学校に行く。大学は優秀な学生を選ぼうと、非常に難しい入試試験を行うので、
裕福な家庭では、ハグウォンと呼ばれる塾に通わせる。

[暦]旧暦と新暦の2つある。多くの人は両方で誕生日を祝う(めでたいね


************************自然、野生動物

「火山島」
「龍頭岩」は約200万年前、漢拏山が噴火した時に流れた溶岩が固まったもの。


約3000もの島があり、多くは無人だが、人の住む大きな島も多い。
独島(竹島)の領有権を巡って、日本と争っている。

韓国には多くの山があり、標高は低い。
西には黄海、東には東海(日本海)がある
仁川の満潮時と干潮時の水位の差は世界でも有数で9m。

「天然資源」
韓国には、ほとんど天然資源がないため、輸入に頼り、大きな港が発達した。




人は常にスペースを必要とし、自然、動物の生息地を狭めてきた。
韓国の低地のほとんどが田畑、建物になり、たくさんの渉禽類の生息地が失われた。

国土の2/3は深い森林だが、韓国の自然は、山岳地帯に残るのみ。地域の自然を保護する国立公園が20ある(国土の6%)。
「智異山国立公園」は有名。

「トラ
昔は、トラが山の神を象徴する神聖な動物と信じられていた。
かつては、朝鮮半島全体に生息していたが今ではまったく見られない。
トラの骨が伝統的医薬品の貴重な原料のため、大量に殺されてしまった(神なのに・・・?

野生生物が手つかずのまま生息している数少ない場所は「非武装地帯」。
ここにはほとんど誰も足を踏み入れたことがないが、両側には約200万人の兵士が監視を続けている。
(ヒトが入らきゃ自然は守られるってわけだ

 
非武装地帯/ドール(アカオオカミ)

「クマ
ツキノワグマの胆のうがよく効く薬として使われる。
クマの掌を煮て食べるとスタミナがつくと考えられている
ツキノワグマは法律で保護されているが、他の国から輸入しているので、金目当てで密猟する人は絶えないだろう。


************************人口増加

韓国の人口は、ここ50年で2倍以上増加し、約5000万人。
これまで約200万人がアメリカに移住し、
分断された時は、北から400万人以上の難民が入ってきた。

韓国は非常に人口密度が高く、5都市、とくにソウルに集中しているため、
政府は韓国の中心部に新しい首都を建設することを決定。移転は2030年の予定。

首都ソウルでさえ、岩がちな山々に囲まれた盆地にある


道路の安全地帯に残る14Cの城門「崇礼門」は、2008年放火で消失した



************************文化

「儒教」に基づく教え
韓国の人はもの静かで控えめだと思われている。人々は丁寧で礼儀正しい。
その習慣は「儒教」に基づいていて、人間関係は5種類に分けられ、適切な礼儀があるとされる。
・雇う人と雇われる人
・親子
・夫婦
・若者と年長者
・友だち

子どもは幼い頃から両親、年長の親族を敬うよう育てられる。

先祖を敬う儀式が行えるのは男性のみ。
女児しかいない家は、先祖が喜ばないとして、昔は女児を放置死させることもあった。
今は男女のバランスは同じ。

かつて、結婚は家族により決められていたが、今では恋愛結婚もふつう。
新郎新婦は占い師に助言を求め、運勢が不吉だととりやめることもある/驚

以前は、新生児の死亡率が高かったが、今では無事に成長する確率は世界でトップクラス。


●神と霊魂
死後はすべての苦しみから解放され、「涅槃」に至ると仏教徒は信じている。
17Cにキリスト教がもたらされ、弾圧を受けたが、今では1/3がキリスト教徒。

古代の朝鮮人は、自然に宿る霊、先祖の霊を崇拝していた。
伝説では、どの村にも「ソナン」という山の神がいて、川・湖は竜が治めているという。


●芸術・娯楽
「ヘグム」弦が2本のバイオリン
「操り人形」
「崔承喜」韓国最高の舞踏家として世界に知られる
「サッカー」一番の人気のあるスポーツ
「テコンドー」手技と足技の武術

1988年には「ソウルオリンピック」が開催された。

「オンドル」
かまどで火をたき、熱い煙を床下の導管に流し、石板でできた床を暖める。


************************歴史~まっぷたつに分けられた半島



過去1000年間、朝鮮は1つの国だったが、第二次世界大戦後、2つに分断された

古朝鮮
朝鮮に人が住み始めたのは、約1万年前。
石器がモンゴル、シベリアのものと似ているため、祖先はそこらへんだと考えられている。
古い伝説によると、天帝の子が地上で妻(クマが女性になった人!)をめとり、息子を産み古朝鮮の王となった。

仏教は4Cに伝わった。

三国時代

新羅
混乱の時代に人々は「浄土教」を信仰。今も最も信者の多い宗教。

慶州の古墳。新羅の首都として栄えた


高麗
官吏は孔子の行動規範に従い、権威と経験を重んじた「儒教」

朝鮮
これまでより多くの米、朝鮮人参などの作物をつくり、交易で金を得るようになる。

1590 豊臣秀吉の命により、日本軍が朝鮮侵攻。

1656 オランダ商船が座礁。欧米の船は19Cまで入港を禁じられた。
貿易がなくなり貧しくなり、日本に港を開いたのをきっかけに貿易再開。
輸入で多額の借金をつくり、国は増税。

1894 民衆が反乱。そこに中国、日本が入り、支配権を争った「日清戦争」(1894年~1895)
ロシアも加わった「日露戦争」。日本は中国とロシアを倒し、朝鮮を植民地とする。

日本による統治
1910 国際協定により、朝鮮は日本の植民地となる。

1919 日本統治反対デモを弾圧し、日本軍は7500人を殺した。

朝鮮人を踏みつける日本兵、あとに続く中国兵、それを見るロシア兵の風刺画


分裂
1939~1945 第二次世界大戦

1945 戦後、日本による統治が終わり、北緯38度線で、北をソ連、南を米軍が占領。
「社会主義国家」と「資本主義国家」の冷戦の最前線となってしまう。

1948 朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言

1948 李承晩が大韓民国の初代大統領になる(在任1948~1960)。絶対的権限で4度も任期を延ばしたため、国中で抗議暴動が起こり大勢が死んだ。

1949 新政府はクーデターで倒される。

「朝鮮戦争」(1950~1953)
北朝鮮の指導者・金日成は、ソ連が後押しし、朝鮮全土統治を主張。

1950 北の軍隊が韓国に侵攻。国連は各国に韓国側について参戦するよう要請(戦争を起こす権限もあるんだ/驚
最初に参戦したのはアメリカ軍。社会主義国家となった中国が北朝鮮側についた。

1953 どちらも主張したまま「停戦ライン」の「非武装地帯」を設けた。
戦後50年経った今も37000人のアメリカ軍はまだそこに駐留している。

米軍基地のそばで、外国の軍隊撤退を訴える人たち


家族が離れ離れとなった。「軍事境界線通過点」では、たくさんの書類を見せなければならない。

板門店の軍事境界線通過点は、北朝鮮に行く唯一の場所


戦後、北朝鮮に捕われた親族がどうしているのか、大勢の韓国人が北からの情報を待っている。

1963 軍人の朴正煕が政権につく。独裁的な大統領だったが、韓国が裕福になれたのは彼のおかげという人もいる。
朴は1979年に親しい友人で秘密警察長官に暗殺された。

1980 全斗煥が大統領就任。1983ミャンマーの「ラングーン事件」で安定を失う。

1988 全は盧泰愚を選び、大統領就任。歴史上初めて暴力なしで行われた政権交代だった。

「チェボル」
国の支援を受けた企業が財閥に発展。政治家に賄賂を渡していた
現在、LG、大宇、現代(ヒョンデ)、三星などチェボルの多くは、世界でも有名な国際企業。

1993 金泳三が大統領就任。汚職調査に着手し、息子、全斗煥、盧泰愚までが逮捕された。

1998 金大中が72歳で大統領就任しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%94%BF%E7%AD%96
「太陽政策」を開始し、2000年にノーベル平和賞を受賞。

2000 南北首脳会談により、国をつなぐ鉄道の再建を約束。北朝鮮の100名の国民が親族に会うことを許可された。

バスの窓越しに韓国に住む娘に別れを告げる、北朝鮮に住む父親


2006 潘基文が第8代国際連合事務総長に任命。
北朝鮮は核実験を行ったと発表し、両国関係は悪化し、家族再会は中断された。


************************現代

毎年約400万人の観光客が訪れる。

「韓流」
1960年にアメリカの若者に「ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれる音楽ブームが起きたが、
東アジアの「韓流」は、今やアジアで流行の最先端で、音楽、恋愛ドラマはファンが多い。



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ネパール(2001.9.29-10.7)

2016-01-28 14:57:00 | 町歩き
※notes and movies(2001.8~ part1)からの転記。

「おでかけスポットリスト」カテゴリーの「小さな旅」に追加しました。

(ずぅーーーっと、海外旅行の最後はネパールだと思ってたけれども、
 今回調べて、最後に行ったのはグアムだと知ってビックリ!
 もういろんな事がごちゃ混ぜになって、記憶違いな事もたくさんあるんだろうなあ

※写真もその後に入れたので、順番が合ってないと思われ/謝


このネパールとグアムの家族旅行には、兄は参加しなかった。
普段ほぼ馴染みのないこの国は、これまでの旅行の中で一番すったもんだした。

一応、旅行前に国の事情や文化は、本で何冊か読んで行ったんだけど、
国によってこれほど文化、習慣の違いがあるんだってカルチャーショックが一番大きくて、
その後の考え方も変わったほど。


【9.29】(前泊

掃除、洗濯して、本読んで16時に家を出た。
東京から「ひかり」に乗って、静岡とか通って、名古屋で親と落ち合った。
景色は同じだけど、車内販売は各地で違うから面白い。たこ焼きとか

京都→新大阪から乗り換え続きで空腹のまま「りんくうタウン」のコンビニで夕食を買って、
バスで迎えに来てもらって、「ガーデンパレスホテル」に着いたのは23:40くらい!

夕食とってから温泉! ゆっくりして0:30就寝。

母のキャリーケースがもの凄いゆらゆらしてたのには笑った/爆


【9.30】

朝食は和食で美味しいv

10:10 バスで空港へ行く予定。

12:30 離陸 映画、音楽もなし!!

関空は、大阪湾に浮かんでいるよう。海スレッスレから着陸する時はすごかった。中は近未来的でシンプル。
ANAのカトマンドゥ行きの飛行機は、現地スタッフだけの狭い機内、機内食はこれまででサイアク

3時間で上海で給油、休憩して(どこも寄らずに)、6時間くらいで18:45着。
外に出て、歩いて入国審査→白タクの「乗ってけ」猛攻撃の中、「FOUR SEASONS」のバスで「GUEST HOUSE」へ。
(これも父のアマチュア無線旅行の一環で、無線仲間の紹介してくれたゲストハウスだった

伊藤氏(父の無線仲間)が来て、父は12時~16時くらいまでずっとアマチュア無線!

私と母は冷たい水のシャワーに閉口←1つ目のショック
たくさんの野良犬の鳴き声、人のざわめきがハンパない中、なんとか就寝。0:30。←2つ目のショック


【10.1】[市内観光」

朝食はパスタ。佐藤さんからいろんな現地の情報を聞いて、10時出発。
ゲストハウスから熱いシャワーの出る安くていいからどこか別のホテルに替えてくれと父とケンカした

換金のため、銀行で2時間くらい待って、[市内観光」。
小柄なインド系のガイドさんと、いろんな寺巡り。







ランチは14時頃。ネパールのカレー、野菜スープ、チャーハンは美味しい、ヨーグルト、サラダは食べなかった。

戻ったらラバさん(現地スタッフ)の奥さん、娘さん、息子さんが来て、
しばし英語で会話(この時かな、奥さんが作ってくれた料理もフシギだった

インスタントラーメンの夕食。
鍋などでお湯を沸かして、母と交代にシャワーを浴びていたら、今度はガス欠

(水も屋上で雨水を貯めたタンクからおろして使うから、使い過ぎは禁物←3つ目のカルチャーショック
 一度、なにかの拍子で水が漏れ出して、石の階段から流れ落ちてきたし!

やっと紅茶でひと休み。

[観光場所]
スワヤンブ・ナート(モンキーテンプル)


巨大ストゥーパ(仏塔)がある。けっこう上まで登れる/驚

 



 





右回りに回り、経文の入ったマニ車を回すと功徳が積めるそう。
土産もの屋が取り囲み、五体投地をする人々もいる。

ダルバール広場
パタンの旧王宮広場

中には下のチケットの美術館があり、たくさんの仏像美術品がある。


パシュパティナート

ボダナート





 

 







河で火葬している風景もカルチャーショック








【10.2】

佐藤さんの奥さんが来て、しばし歓談。
12時過ぎに出発。銀行に寄ってから「バザール」で紅茶とポストカードを数枚買った。

「ハナガーデン」
日本人の脱サラおじさんの政治談はキョーレツなアメリカ批判。
日本料理はgood。ご飯、味噌汁、大根&おくら、天ぷら、デザートはシャーベット、ホットコーヒー。

母とシャワー後、腰布を着て、よもぎとグレープフルーツの入った温泉に入った
途中からチベット僧の兄ちゃんたちが入ってきて、お互いビックリ!(混浴だなんて聞いてなかった

最初は気まずかったけど、片言英語でいろいろ喋った。
チベットの1、2、3、4は、日本語とソックリ。
高地にもhot spring(温泉)はあるとか。

中国語とチベット語しか話せないって言ってたけど、コミュニケーションは通じた。
でも見知らぬ男の子たちと混浴はさすがに恥ずかしい

佐藤さん夫婦が来て、談笑。0時のフライトで帰国していった!



【10.3】「Mountain Air」でヒマラヤ山脈を見る


朝5時起き! 6時に出て、空港に行って、「Mountain Air」でフライト。
左のほうがよく見える。1人1回ずつコックピットからの景色を見せてもらえて山の説明してもらった。
1時間で戻る。

空港は小さい。トイレはまあまあだけど、バケツの水で流すセルフサービス←4つ目のカルチャーショック




セスナより大きめの機体だけど、やっぱり狭い。
いっぱい写真を撮ったけど、父のデジカメでズームで撮ったエベレストがベストショット。



1人ずつコックピットから見せてくれた








帰りにつかまえて乗ったバンのタクシーはやっぱりボロボロ←5つ目のカルチャーショック

買い物に行きたいけど、母が疲れて、部屋で休むことに。
母が今ハマっているパステル画でお互いを描いたり、本を読んで昼寝。
この糞の臭いと、痰を吐く音、犬の鳴き声さえなければ、いい天気でゆったりした1日。
布団を干したり、昼はラーメン作ったり。


初めて描いたへたっぴなパステル画。ゲストハウスから見えた風景

カトマンズで人気のある観光名所


【10.4】私の希望がようやく通って“熱いシャワーのあるホテル”に泊まったけど・・・

10時発。1時間半かけて「ナガルゴットホテル」へ。
ランチはマッシュルームパスタ、イラムティー?→後に腹痛になった










部屋は小さいけど、眺めがいい(高地のため霧が深くて見えればの話
雲っていて、麓しか見えなかった。
(ヒマラヤが見えるってうたってるホテルなんだけどな






寒すぎて、夜は凍死するんじゃないかと不安になり、電話をかけて、なにか温めるものはないかと聞いたら、
「hot water bag(湯たんぽ的な)」+「heating machine(ヒーター的な)」を持ってきてくれた。
(事務所や食堂のあるホテルと、宿泊している部屋まではかなりの道のりがあるんだよね

夕食はナポリタンパスタと紅茶を部屋まで持ってきてもらって快適。
テレビでは歌と踊りをやっていて、母とビンゴみたいなゲームをして爆笑
22時過ぎには就寝。


【10.5】

6時に起きたけど、ヒマラヤは雲って見えない
麓は昨日より見えた。

肝心のホットシャワーがずっと出していても冷たい水しか出なくて、また電話した

けっこう待ってから、現地の愛嬌のよいおっちゃんが来て、事情を話すと、
言葉は通じないけど、どうやら、ずーーーーーーーっと水を出しっぱなしで待ってれば、そのうち温かくなるとのこと←6つ目のカルチャーショック

それでも、ホットとは言えない。というのも、水も事務所のある所からパイプで引いてるから、届く前に冷めちゃうんだろうね。
まあ、やっと温かいお風呂上がりは快適だった。

朝食は、イタリアンエッグ、ハンバーグみたいに見える野菜の料理、なにかのジャムがついたトースト、
ポテト、トマト、揚げパンは美味しい「チベットブレッド」。

ラジャさん(観光も案内してくれた現地スタッフ)の到着が10時予定が11時。
遅いということで私がまた電話した まったく母の心配性と悲観主義ときたら筋金入り
やんなっちゃうな、もう(なにもかも時間通りの日本のほうが珍しいんだよね

「バクタプル」




町全体が博物館で、1人10ドル。ポストカード(1ドルで8枚!)と、現地音楽のカセットテープを2本買った(4ドル)。
(海外で現地音楽のカセットテープ買うってイイ! この2本は今でも時々聞く。音の質はともかく、ガムラン系の曲。




ラジャさんの息子さんDojeくん(20歳でカッコいい)が一緒に来て、
いろいろな話、音楽の話(Bon Joviが好きだとか)をしたりして、車内で一緒に歌ったりして楽しかった。
e-mail adressを交換したけど来るかなあ?(何回かやりとりしたけど、そのうち来なくなった

町中では、女性は洗濯、子どもは水汲みをする。
焼き物工場もあって「やってみる?」と誘われたけど、断った。やればよかった。


「ナガルコット」トレッキング
途中で降りて、歩くこと30分ほど。村々と田園風景を体験。
カフェ?でティーを飲んだ。薪で沸かしてるから部屋中が煙いこと! 子羊が可愛かった








16時頃戻って、暑さと埃をシャワーで早速流した。


[観光でのエピソード]

クルマを停めたところに小学生がいて“How are you?”と学校で覚えたての英語で言うので、
“I'm fine thank you. And you?”“Fine. Thank you.”と気軽に声をかけてくる。

母が“How old are you?”と聞いたら“I'm fine thank you.”と言ってから、あ、違った!て顔して、
“○歳です”と言い直してたのが可愛い

少女“This is Friday, and next day is Saturday. Saturday is holiday.”
私“No school tomorrow?”
少女“Yes.”
私“That's good!

隣りでは、少年が赤い凧を高々と揚げていて、この旅で一番のどかでホッとする一番美しい思い出になった。
でも最後に“ボールペン?”って言ってたのがちょっと哀しい。

(日本の観光客の中には、おばちゃんが「海外に行く時は、ボールペンをたくさん買って持っていくと喜んでくれるのよ~!てゆってたけど、
 ガイドさんが「現地の子どもにモノをあげないで下さい。もらった子と、もらわなかった子でケンカになるので」とバスの中で注意しても、
 いるんだよなあ・・・

鼻に金のピアスをしているから

私“Beautiful pierce(pierced earringsの誤りだね)”と指をさしたら、
少女“Thank you.”とはにかんでいた

私“You're speaking English very well!
少女“Thank you.”

お互いつたない英語同士でコミュニケーションがとれちゃうからフシギ。

実際、母とチャンドラ君(家の世話をしてくれる住み込みのバイトの子。童顔だけど23歳!)は、もっぱらジェスチャーでほとんどの会話が出来てたし

お湯を沸かしてシャワーに使ったり、煮沸消毒したり、いろんなインスタントフードを作る様子も、
彼にはフシギに見えたろうな。

粉スープ、レトルトカレー、味噌汁も溶かすだけだし、スープパスタも茹でるだけ。
ご飯は鍋でたいて、お粥が美味しかった。

野菜を買ってきてもらって(ポテト、カリフラワー、ミニナス、キュウリ?、ミニキャベツ、大根、なにか緑色のもの)、
野菜炒めや、大根と一緒に煮たりとか、母は日ごろの“おさんどん(飯炊き)”に文句を言いつつも、
それしか活躍できないし、私たちも頼っているから、「ヒマだから」と言いつつ嬉々として料理や家事にいそしんでいた。


[今回のゲストハウス」

一番奥がバルコニー、リビング、無線の部屋、居間、チャンドラ君の部屋。
真ん中の廊下を挟んだ向かい側は、奥から母と私のベッドルーム、父のベッドルーム、キッチン、
出入り口付近にトイレとシャワールーム、顔洗い場がある。

階段を上がるとルーフトップがあって、もの干し場、水のタンクがある。
上がってみたら、現地スタッフのラバさん夫婦が手を振っているのが見えた 隣りの家に住んでいる。

チャンドラ君は、早朝から掃除をして、美味しいネパール茶を淹れてくれて、
夜は戸締りをして、お香をたいてくれて、いい香りだった。実家は遠いらしい。

(ネパールから帰って、これらを真似て作ったけど、ほんとはネパール茶はヤギの乳と粗目の砂糖で鍋で作るんだよね。
 「チャパティ」もどきも焼いたけど、粉が違う。油なしで焼くだけで、ジャムやらなんにでも合うv

1階は現地の人に貸していて、夜は戸締りしたけど、昼は洗濯を干しに度々会った。
“ナマステ”と挨拶を交わした。小さい子も遊んでいた。

周りはほんとに犬だらけで、夜昼なく吠えまくり!(発情期だかららしい。わんこ大好きだけど、騒音は勘弁!
私はそれ以上に痰を吐く音が大嫌いで、その音が轟音
隣りのオヤジが井戸のポンプから水を出してシャワーを浴びていた時なんか特に酷い!!泣

道もゴミを捨てっぱなしで、それを食べてしまう野良犬は皮膚病にかかって酷い状態だった



【10.6】

ショッピングの予定が、母のノリの悪さ(もともと出不精)で中止になり、
頭に来て、何も喋らず、丸一日本を読み尽くした

佐藤さんの奥さんからもらったカトリーヌ・アルレーのショートショートは面白かった。
「ナマステ通信」「地球の歩き方」、もらったパンフ、母の持ってきた料理の本、
なんで主婦の頭の中は、旦那の悪口と料理のことばかりなんだろう???

1週間、家族と一緒なんてケンカになるに決まってる。
もう家族で旅行はゴメンだ。少なくとも、僻地や、無線旅行にはついてくるもんか。
これなら、まだ日本で仕事してたほうがマシ。
父母のケンカを聞いているのも、もーーーーーーーウンザリ

(すごい怒ってたんだな 実際、家族でも、友だちですら、長い海外旅行は一度はウンザリして、
 もう二度と計画しないぞって思うんだけど、なにせ好奇心だけは強いものだから、誘われると行っちゃうんだよね


(なんだかメモの順番が怪しいが・・・

【10.7】

8時半に出る予定が、11時45分発。
日本には昼着。自宅に着くのは夕方になりそう。
ゆったりシャワーを浴びて、清潔なベッドでゆっくり眠りたい。

母の友だちがゆってた「降るような星空」は一度も見なかった。
曇りのせいか、公害のスモッグか?

9時過ぎにゲストハウスを出て、玄関でラバ氏と、彼の息子さん、チャンドラくんと別れた。
「あまり会話が持てなくて残念だった」とラバ氏。
3月に映画の撮影(!?)にまた日本に行くとか。

帰りも現地スタッフだけ、ラジャ氏は私のウチに泊まるとか冗談をゆって、「狭いからダメですw」「床に寝る」て
またポストカードを買った(ほとんど郵便で出してしまって、手許にあるのは数枚だけだな
父は木彫りの仏像を買ってた。

上海で休憩。今度は店がいっぱい。
でも、ハイジャック?、爆発物?の関係で1時間以上も足止めされて、何度も荷物をチェックされた。
機内食も超不味い

アミューズメントなしの飛行機。でも、時々寝て短く感じた。
関空でバッグの中まで丹念にチェックされたのは初めて/驚

「バッグの中は?」
「お茶です」
「リュックの中は?」
「お茶」
「あ、またお茶」てw


関空新大阪(40分)名古屋(20分)親と分かれて東京。
部屋に着くのは何時になるかな?
禁煙席に移れてひとまず安心。
京都とか新横浜を通った。

家に着いたのは夕方6時頃。
留守電に、待っていた派遣屋から2件、ケータイの留守電には出発前の夜、兄と派遣屋の3件、
E-mailには友だちから3件、着信が1件、これもたぶん派遣屋から。
メールの返事を出してたら、親から家に着いたと電話がきて、
ゆったりシャワー浴びて、22:30頃に眠った。


【10.8】

10時過ぎに起きて、念入りに洗濯
図書館コンビニで水道料を払ってフィルム2本分プリントに出して戻った。

メールの返事が来てた。
1日中雨。また台風みたい、まったく・・・

アメリカとイギリスがついにタリバンに攻撃を始めて、ミラノでスカンジナビア旅客機が事故で100人が亡くなった。
もっといいニュースはないものか・・・

皆にカードを書いて、買ってきたカセットを聴いて、これを書いてる。
まだボーーーーーーっとしてる。


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ジム1月10回目(2016.1.28)

2016-01-28 14:56:00 | 日記
健康体操
いつもの感じ。ここでは呼吸法で腹筋を鍛えることを目的にしているっぽい。
まず、体全体で息を吸って吐いてを繰り返して、足をほぐす。

寒くなるととくに足の指はブーツや靴下の中で縮こまって固まってしまいがちだから、
指を縦横に根元から交差したり、指の間を広げたり、手の指と握手した形で指先を回したり、

けっこう力を入れて、足の裏を内側に二つ折りにするように骨を揉んだり、
甲のほうは、指の骨に沿って指を入れて、最後は指全体をめいっぱい広げたり、閉じたり。

その後、座った状態で、膝の間にボールを挟んで、前後にお尻で歩いたり、
ボールを挟んだまま、仰向けになって、腹式呼吸。「お腹を薄く」と何度も言われる。
呼吸だけでも、ヨガのような自律神経を整えるタイプと、お腹を引き締めるのといろいろあるんだね。

今日は私の好きな♪You Gotta Be/Des'reeとか知ってる曲を使ってたな。


バレトン
さて、30分休んだら、水をたっぷり持って、激しい運動の時間です。
1、2回目よりかはグラグラ度が若干おさまってきたけど、まだまだ。

だから、インストラクターさんは、「ニュートラルポジション」を繰り返し丁寧に面白く教えてくれる。
前回書いたような体のタテ、ヨコのライン一直線を守らないと、膝や腰、首を傷めるしね
私はどうしても膝が内側に向きがちだから、グラグラするのかなあ・・・?

今日は「大腿筋膜張筋」の説明を聞きながら、30回くらいはスクワットしてた

 

「立った時触るとボコっとしているところ」て言われたけど、「これかなあ・・・?」と自信ありませんw
スクワットの時は恥骨のところに手を挟んだり、懐かしい「コマネチ」ポーズをしながら、そこから折り曲げることを確認

お尻の筋肉も広げたり、閉じたりする時に手で触りながら。

「これは“手当て”です。脚にも手にも神経があるので、自分のクセを直して、
 正しい方向はこっちなんですよ~と筋肉の動きに覚えさせる。何回も何回も繰り返すことがポイントです」

もう脚腰が痛くて仕方なくなってきてから、音楽に合わせてバランスも入ったヨガ、バレエ、エアロを組み合わせたエクササイズ/激汗

今日も乾燥していて、やたらと水を飲んだ。

来週の木曜は、同じインストラクターさんだけど、祝日のスペシャルver.で、なにか面白いプログラムをやるそう。

健康体操のインストラクターさんも「気になるので私も出るかもしれません」なんてゆってた。
インストラクターさん同士でも、他の方がどんなレッスンを教えているのか気になるのかな。


ストレッチ
バレトンの後はヘトヘトなので、汗がひくまでストレッチポール、バランスボールなどで入念にストレッチする。
今日はなぜだかストレッチスペースが満員で、奥さま方は運動よりお喋りが長いから、
ダンベルのスペースでやったけど、ここは男臭さ満載な場所だから、
ストレッチポールやマットも拭いたりしなくて汚れているのが気になった




いったん家に戻ってから、図書館に行ったら、知的障害者とボランティアの方がおからで手づくりしたお菓子などを売っていて
とても美味しそうだったので買ってきたv


私の好きな硬めの食感で、滋養のある黒糖の甘味が自然で美味しい


私の好きな「ウォーカー ショートブレッド」のヘルシー版的な。これも食感硬めで気づけばどんどん食べちゃいそう

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