<冒頭クイズ>
Q:サングラスをかけ始めたきっかけは?
知り合いの人が持ってきてくれて
「これをかけて歌えばかっこいいよ」って言われたのでかけてみました
Q:スキンヘッドにしたきっかけは?
賞金の高いコンテストで優勝しようということになり
バンドのミーティングによりビジュアル許可ということになりました
Q:現在58歳 若さを保つためにやっていることは?
ベジタリアン生活 木の枕を首に当てて寝たりしています
Q:朝起きて必ずすることは?
トイレ掃除などしております
Q:座右の銘は?
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 僕の頭に髪の毛はない 以上です
<ニュース>
アナ:
現在も精力的にライブ活動を行い
デビューから35年経った今も迫力ある歌声は健在です
パッパラー河合さんはいるけど、他のメンバーはどうしたんだろう?
爆風スランプは解散したのか?
ライブハウスでこの近さで聴けるって、ちょっと行ってみたい気もする
●♪RUNNER に隠された誕生秘話とは?
先週木曜日のゲストでいらっしゃった奈良岡朋子さんから質問
Q:なぜ芸名に“くん”をつけたのですか?
今から12年ほど前、知り合いが急に改名に目覚めて、改名士になった
私の名前も調べてくれて
「今のサンプラザ中野っていうのはよくない これからいいこと起きないよ」
「どうしたらいいんですか?」って聞いたら
「多分、あと2画足すとよくなる」
それで一週間後に考えられて送られてきたのがひらがなで“くん”
2画か3画かわかりませんけれどもw
あまりにも面白かったので、びっくりして、これでいいやっていうことになりました
そしたらマネージャーもいいんじゃないかって言って
何の反対もなくそのまま改名されました
改名士さんから言われたのは、“さん”づけにされると運勢が上がらないと言われているので
今日も“くん”でお願いします
<今日のトークテーマ>
世代を超えて歌い継がれる応援歌♪RUNNER
発売されたのは31年前の1988年
昭和、平成、令和と歌い継がれている
「どんなイメージを持っているのか町の人に聞いてみた」
20代:辛いけど頑張らなきゃいけない時に流れているイメージ
20代:24時間テレビのマラソンを思い出す 青春的な
30代:運動会
30代:男が熱いなって感じ
30代:人を元気にする 声にパワーがある
40代:自分に頑張る気持ちを与えてくれる
40代:走ってる時は余計なことをあまり考えないので、自然に出てくるの
40代:超いい歌 これで前向きになれる パワーがわく
サ:すごい前向きに捉えてくれていますね!
先ほど演奏して下さいましたパッパラー河合さんにもお話を伺いたいと思います
(河合さんも面白くて大好きv
か:
NHK をご覧のみなさまこんにちは
皆さんのお友達 パッパラー河合です
アクセントはどうでもいいんです
今♪RUNNER の話が出たじゃないですか
これ元々はランニングの歌じゃなかったんです
アナ:それは後ほど伺うことにして…
か:そうですか
サ:走りすぎ
Q:20代、30代の方も皆さんご存知ですよね?
サ:
これには秘密がありまして
なんでこんなにいろんな世代で歌ってくれるんだろう
テレビ、ラジオで流してもらっているというのももちろんあるんですけれども
実は小学校で…
アナ:それも後ほど伺いことにしまして いろいろ制約がありましてw
●♪RUNNER は脱退するメンバーに捧げた曲
(そうなんだ/驚
アナ:
元々はグループで、現在活動休止中のロックバンド爆風スランプ(休止中なのか
元々はどういう経緯で作られたバンドなんですか?
サ:
二つのバンドがあって、二つともアマチュアコンテストでなかなか優秀な賞をいただきまして
お互い一緒にやったり、別々にやったりしてたんですけれども
どうもらちがあかない デビューできない
なのでその二つのバンドを解体して、二人ずつ来て
新しいバンドを作りましょうって出来たのが爆風スランプです
この四人がオリジナルメンバーで1982年に結成されました
Q:お二人は高校からの同級生?
河合:15歳で、千葉県の高校で出会って、それからもう44年です!
Q:曲作りはどういう役割分担なんですか?
サ:僕が歌詞を書いて、河合さんが曲を作る
河合:メンバーが曲を作る
サ:
曲先なんです
曲が出来上がってから僕が詩を作る
Q:脱退がきっかけというのはどういうことなんですか?
サ:
1988年の頭にベーシストの江川ほーじんさんが辞めると言い出した
なぜかと言うと、僕らは面白い歌ばっかり作ってやってたんです
直球で「お前のことを愛してる」とか、「世の中こうなったほうがいい」とか
そういうことを言うタイプではなくて
ついつい変化球ばかり投げていまして
人気は出てたんですけど
「日本中の人の心に響く大ヒット曲が必要だ
それがないと、どうしてもお前達は先行きないぞ」と言われまして
それからどんどん売れる方向へと傾いていったんです
バンド全体の方針が
江川さんは元々ミュージシャン志向で、「そんな芸能っぽい仕事はしたくない」
それで折り合いがつかなくなって、辞めると言い出して
一人いなくなってしまったらガタガタじゃないですか
ここまで築いてきたのがガタガタになってしまう
そしたら「半年だけ一緒にやる」っていう事になって
その半年の間になんとかいい歌を作って
土台がしっかりしているうちに
世の中の人々に訴えかける曲を作ろうよということになりまして
それでみんな必死に曲を作ってくれて
選ばれた曲が僕のところに来て
「今回だけは直球の、まっすぐな、心に響くいい歌を作ってくれよ」って言われて
一生懸命書いたんです
書いてみたら、やめていく江川君に贈る曲になっちゃったんです
陸上部をテーマに歌ってるんですけれども
辞めていく江川君も走り続ける
僕らも走り続ける
だからいつかお互いゴールできたら、話し合おうね
アナ:だから「走れ 走れ」じゃなくて、「走る 走る」なんですね
Q:河合さんが最初にお聴きになった時はどうでした?
河合:
リハーサルのスタジオで「できたよ」って
最初に聴いて、これは江川ほーじんの歌だなって俺は分かった
ギター弾きながら涙が出て大変でした
それまで中野って、テレビに出るとスタジオを走り回ったりとか
物壊したりとかして歌ってたんです
でも♪RUNNER はちゃんと聴かせたいから、直立不動で歌うんです
「あれは意表をつかれましたね ロックを直立不動で歌うってなかったですからね」
中野:東海林太郎かサンプラザ中野かみたいな
Q:
改めて「いつかたどり着いたら 君に打ち明けられるだろ」
ここにはどんな気持ちを込められたんですか?
サ:
やっぱりお互いに違う道だけれども、走り続けていて
ある程度年齢を重ねた時に、昔の仲間なわけですから
腹を割って話せる日が来るだろうなって
そういう気持ちで書きました
河合:若い時は尖ってますからね ぶつかるんですよ、必ず
ミホ:これは今じゃないですか?
中野:そうなんですよね
河合:3年か4年くらい前に一緒にレコーディングしました
Q:オリジナルメンバーでやる日も来るかもしれない?
中野:そうなってほしいですね
ミホ:PV 撮りましょう!
中野:あなたが撮ってくれる!? 美保純監督←二人は長い付き合い
Q:中野くんご自身への応援歌である部分もありますか?
河合:
中野は陸上部でしたけどね
そういうんじゃないんでしょうね、多分
中野:
3歳の時に右半身麻痺を患いまして、体が不自由な時期があった
走ることや運動がすごく苦手なんです
なのに高校に入ってなぜかランニングしようと思って陸上部に入ったんです
一週間で諦めたんですけど、走るのは
でも陸上部の記憶があって
♪RUNNER を書くときに陸上部をテーマにして書こうと思った
だから思い返してみると、俺は高校に入った時
なんで陸上部に入ったんだろう?
♪RUNNER を書くためなんじゃないか?! みたいな
河合:
言い過ぎじゃないですか?
高校の時はすごい長髪だったんですよ
「小学校の時のお写真 もうサングラス!?」
サ:この日は眩しかったんです
Q:応援歌ではなかったんですよね?
サ:それが応援歌として伝わったので、最初は違和感がありました
「大ヒットしたその年の紅白歌合戦に出場」
31年前の映像をご覧いただきましょう
Q:パワフルな歌声ですよね 当時と今とでは何か違う?
サ:
なるべく変わらないようにと思ってやってるんですけど、どうかな
ちょっと冷や汗出ますね、これw
この時相当緊張してた!
ここで歌詞を間違えたりしたら
皆さんに申し訳ないじゃないですか
応援してくださってるファンにも申し訳ないし
レコード会社の皆さんとかにも生活かかってるだろうし
何より自分の生活がかかってますからね
河合:
この時ものすごい緊張してて
セットか横からばーっと出てくるんですよ
生演奏で ギターの音が出ない!と思って
もう終わった・・・と思ったんです
ボリューム上げてなかった(爆
もう全てが終わるとこだなと思って
ステージの前に出ることなんて考えられなかった
中野:僕もよく歌詞を間違えずに歌えましたよね
Q:でもこの紅白出場を経て、さらに♪RUNNER は大ブレイクしていくわけですよね?
中野:
そうなんですよね
この後「元気が出るテレビ」(毎週見てた!)って言うバラエティ番組の中で
スポーツコーナーの応援歌として使っていただきまして
それが多分「応援歌」としてのイメージがついたと思うんです
そのおかげです
だからたけしさんには足を向けて寝られませんw
Q:当時みんなカラオケで歌ってましたよね?
中野:この頃カラオケが出たばっかりで
河合:ベストテン番組各局にすごいよく出てたんで、みんな覚えてくれたんですよね
Q:売れたなって実感した瞬間ってありますか?
中野:
学園祭かなんかの仕事に行こうとして、河合の車に二人で乗ってたんです
とある交差点で止まった時に、その日、多分日曜日だったと思うんですけど
ベストテンの番組がラジオで流れてたんです
しばらく聴いてて、2位までになっても♪RUNNER が出てこなかったから
もうベスト10外に落ちちゃったんだね
ちょっと寂しいなって感じていたら
「今週の1位は♪RUNNER!」って言われて
その瞬間、二人で手をつないで、やってて良かったなーって泣きそうになりました
河合:俺は内堀通りだったと記憶してるんですけど、中野は違うんです
中野:俺は246と環八の交差点だと思ってます
河合:人の記憶って曖昧だなーってw
「なぜ多くの世代に受け継がれているのか?」
(二人の喋りが上手いから、他の質問に行く前に番組が終わってしまうんじゃないかな?w
小学生:♪走る 転ぶ 血が出る 肉が裂けて骨が見えるっていう感じの替え歌が流行っています
(すごいホラー/驚
中野:
そうなんですよね
僕もこれを友人の子どもから聞きまして、ほんとかよ!?と思って
「本当ですか?」って言ったら
「すごい流行ってるので、是非色紙にサインしてください」っていうぐらい
それは多分10年くらい前
全国色々聞いてみると、大阪では♪走る こける なんです
ほんと嬉しいです
替え歌になるって事は、それだけ本歌が
メロディも歌詞も認知されてるって事じゃないですか
そこまで親しまれているって
私は日本で一番売れてはいないですけど
日本で一番有名なロックナンバーなのではないかと思うわけですよ
どうですか河合さん?
河合:うまい言い回しですよね 角が立たない!(ww
アナ:河合さんにはもう一曲演奏していただくので準備に入っていただきます
か:わかりました
<噂の真相コーナー>
内山信二:僕もずっと内山くんでやってきたので、“くん”の先輩ですよ
中野:俺のほうが後輩ですよ
内山:芸名を内山くんにしようかなと思うくらい
中野:今すぐ変えたほうがいい!
内山:ごごナマでもおなじみの元オリンピック選手とただならぬ関係
「サンプラザ中野くんのお陰で増田明美さんは結婚できた」
こちらが旦那さんでマネージャーも務めている木脇さん
元々、中野さんは増田さんと「走る塾」と言う本を出す時に知り合ったんですよね?
中野:
そうなんです
それまでは同じ千葉県の出身として尊敬してましたし、可愛い声の方だなと思っていました
旦那さんは爆風スランプの熱烈なファン
木脇さんはどんな方ですか?
中野:
僕らがデビューしたての頃に、九州に住んでたんです
木脇さんが学生でバンドやったり
なぜか学生なのに FM でレギュラー番組を持ってたりしてたんです
それで知り合って「ファンです」って
いい意味で図々しいんですw
九州に行って、ライブをやり終えて、疲れて帰ると、楽屋で飯食ってたりする
いい意味で変なやつだったんですけど
それが東京に来て、いい意味で変な奴らとどんどん仲良くなって、お友達だったんです
増田さんと本を書いて、その打ち上げの前に会ってたんです
「今から中野くん、どこに行くんですか?」って聞くから
「打ち上げに行くんだよ」って言ったら
「僕、増田さんのファンなんです 是非連れて行って欲しい」って言うから
大丈夫かなと思いつつも
「失礼なことしないでね」って言ったら、「絶対しません」って言うから連れてった
それで一緒にお食事している最中に連絡先の交換をしたらしいんです
内山:図々しさって大事なんですね
本人に直接お聞きしたのでご覧ください
増田:
喋ってる私のことを何か楽しそうに見ていてくれていて
中野さんが「木脇君は僕の友達の中で最高です」って言ったの
後からかなりお世辞だったんだなと思ったけどw
でもその一言で安心しちゃって
木脇:
その食事会を終える時に、中野さんが
「増田さん、連絡先を教えてやってよ」って言って促してくれた
増田:自分の連絡先を箸袋に書いた覚えがあります
増田:
結婚披露宴の時にも中野さんとパッパラー河合さんが来てくださって
お客さんの前で♪RUNNER を披露してくださった
結婚式よりも「歌を聴けて良かった」って喜んでくれた人たちが多かったですね
木脇:♪RUNNER を歌う横で振袖姿で走ってましたから
増田:中野さんがいなかったら、私達結婚していませんでした
2人:仲良くやってまーす
「ふんどしを愛用」
内山:この噂は本当でした 続いての噂は、、、一年中パンツを履かない
中野:
ノーパンというわけじゃないんですけど、パンツじゃなくて
十数年前からふんどしを着用しております 越中ふんどし
Q:きっかけがあったんですか?
サ:
そのほうが健康によろしいよと聞いて
私、健康マニアなんですよね
「健康にいいよ」って言われると、とりあえず実践してみるんですけど
非常に良い いろいろ良い
言いにくいですけど
ふんどし派手!
歌う時は赤で決めてるんです
赤が体に密着していると、活力が出るらしい
元気になるらしいです あくまで「らしい」
(美輪さんは、赤いパンツを履けばいいって言ってたな
Q:何枚ぐらい持ってるんですか?
サ:7枚ぐらいかな?
内山:1週間行けますね 今日も?
サ:見たいんですか!?w
「大賞を受賞」
ミホ:ふんどしを見せるの?驚
中野:
この時は見せなくて済みました
ふんどしの復旧などを行う「ふんどし協会」が設定して
ふんどしの素晴らしさを世の中に広めた方に送られる
中野くんはじめ、そうそうたる人が受賞していらっしゃる
古田新太さんや菅田将暉くんまでいる!
中野:
皆さん、2月14日をバレンタインデーだと思うでしょう?
ふんどし協会によると、ふんどしの日なんです 214で
チョコレートを渡す時にふんどしも一緒に渡すと 両方兼ねて良いと
内山:
今年はまだ大賞が発表されていませんが
映画でふんどしを着用した斎藤工さんが
期待の新人賞として受賞が決まってるみたいです
Q:改めてふんどしの魅力は?
サ:
やっぱりゴムがないじゃないですか
体の内側の血液の流れ、体液の流れがすごく良くなって健康になると思うんですよね
僕はふんどしは“フンがドシッと出るぞ”
そういう解釈をしたりしています
リンパのところが圧迫されない
内山:中野くんがパワフルなのはふんどしのおかげというのもあるんですかね?
中野:ありますね、多分に
<船越のクエスチョン5のコーナー>
Q1の理由
サ:
20年ほど前からですけれども、株の投資をしていて
恋愛の歌だけ書いてればいいだろうっていう考え方もあると思うんですけれども
私はやっぱり社会全体のことを知りたいなと
特に数学が苦手なので、経済がすごく苦手だなと思ってたんですけど
経済を学ぶには株だなと思いまして
ものすごい損をしてるんです、投資で
失敗が必要だなと
失敗はしているけれども、歌詞に深みが出ればいいんじゃないかと
当然人間、人生の深みの中に恋愛も必要 お金も必要 健康も必要
Q:実際歌詞は変わりましたか?
サ:特には分かりません
Q:投資の本も出してますよね?
サ:
皆さん「投資の本を書いているから勉強してるんでしょう?」って言われるんですけれども
投資の上手い人のところに聞きに行くっていう本なんです
自分ではそんなに身に付いていない
なかなか儲からないんです、私は
「あてどない旅」
サ:
例えば僕よく飛行機に乗るんですが
飛行機に乗ると、行き先で何かしようと考えるじゃないですか
ところが僕は飛行機に乗るためだけに飛行機に乗るんです
ミホ:飛行機が大好きってこと?
サ:それもあるんですけど、飛行機に乗るとポイントが貯まるんですよね
ミホ:
ポイント男なの?!
じゃあいいポイントの貯め方とかを知ってるの?
中野:
結構知ってます
ポイントを貯めて、年間10万ポイントまで行くと
来年のステータスが高い所に行くんです
そうすると自尊心が非常に満たされる
例えば一番早く荷物が出てくるとか
ポイントは非常に大事です
「健康に気を使ってる」
「受験生で賭けていた」
サ:
私が「オールナイトニッポン」っていうラジオの深夜番組をやっていまして
その中で受験生を応援する
「応援しちゃおう!」って言うと分かりやす過ぎるじゃないですか
なのでちょっと遊ばせてもらいつつ応援しようという企画がありまして
私が早稲田大学政治経済学部に入れたので
その後輩を募るということで
受験する人達を集めて、馬に見立てて
「わせダービー」という名前をつけて
番組の中で応援しつつ遊んだっていう
Q:当時すごい人気でしたよね?
サ:
ありがとうございます
つい先日も、リリースイベントに行きましたが
「僕、あの番組に出てました 51歳です」って言われました
今日はサプライズを一つ用意しています
こちらの方は覚えていらっしゃいますでしょうか?
中野:
タップダンサーの天宮良さんのところに必勝ってつけたんですよね? 馬の名前として
「天宮良と写真が似ているって言われて
当時私は予備校で必勝寮っていう所にいまして
それでアマミヤヒッショウリョウと中野くんに名付けていただきました」
中野:思い出した! 寮は潰れちゃったんだよね?
「予備校はあるんですけど、寮の経営がうまくいかなかった」
アナ:実は彼は偶然にも、今日この番組に配属されてきたプロデューサーです
サ:
頑張ったね!(拍手) 彼はここまで来ちゃいけないの? 来て来て(隣に座り、握手
サ:早稲田に入れたの?
「入れました」
サ:この写真を見てりょうくんに似てるって僕が言ったの? おかしいよね すみません
サ:なぜ今まで黙ってたの? NHK に入ってずっとやってたわけでしょ、ディレクター業
「報道のほうにいたもので、なかなか・・・」
サ:じゃあこれからは俺のために働いてくれる?
「頑張ります」(抱き合う
サ:
いつもラジオで言ってたの
「お前ら偉くなって、俺に仕事をよこせよ!」って
本名は何て言うの?
「柳沢です」
サ:
嬉しい
本当に深夜番組って全国区でやってて
どこに行っても「オールナイトニッポン聞いてました」って言ってくれて
一生懸命やってよかったなって本当に思って なんか嬉しい!
「コネは使わない?」
サ:
使ったんです
実は♪大きな玉ねぎの下で っていう歌があるんですけど
この歌を今、九段下の駅で発車メロディに使ってもらってるんです
(本当?驚×5000 私、聞いたっけ?
これを編曲してくれたのが向谷実さんて言う有名なキーボーディストなんですけれども
その方すごい鉄オタなんですね
この方と会った時に
「中野くんさぁ、なんか曲ないかな 駅メロにしたい曲ない?」って言われて
「前から思ってたんですけど♪大きな玉ねぎの下で しかないと思うんですよ」
アナ:武道館のお膝元ですからね
サ:
「あーそうか それいいね じゃあ誰か地下鉄の会社に知り合いいないかな?」って言われて
ちょっと考えたら、俺の友達のお兄さんがその会社の偉い人だって言うんですよ
「じゃあ一緒にお願いに行かない?」って向谷さんに言われて
「行きましょうか」って会いに行ったんです
それで会ってくださって、ご馳走までしてくださって
半年から1年くらいかかって発車メロディになったんです
実際そのメロディーを聴いてみましょう
行き先でメロディーがちょっと違います
千葉県の西船橋方面
短い!
九段下から東京中野方面
Q:中野方面の方がキーが高いんですね
中野:
僕は聴きに行ったんですけど
発車のドアの閉まる時間の長さによって、最後まで聴けないことがあるんです
だからなるべく閉めるのを遅くしてほしいな
「♪大きな玉ねぎの下で 令和バージョンをスタジオで披露」
1985年に発売されたアルバムに収録されたラブソングです
反響を呼びシングルカットされて
中野くん著書の小説にもなりました
武道館の擬宝珠
Q:この曲には思い入れが相当あるんですよね?
中野:
なぜこの曲を作ったかと言うと
爆風スランプがデビューしたのは84年なんですけど
85年12月13日が金曜日だったんです
「13日の金曜日で面白いから爆風スランプで武道館やらせよう」って言うことになりまして
Q:デビューした翌年に!?
中野:
「武道館、おまえらのために用意したから満員にしろよ」って
レコード会社の偉い人にすごい上から目線で言われて
「すごい嬉しいけど、満員ですか!? 無理でしょう」って言って
考えた末に、空いてる席にいい話があれば
レコード会社の人が来ても
「しょうがないな、あの席はきっとチケットが売れてるんだな」って納得してくれるんじゃないか
満員にならなかった時の言い訳の歌として作ったんです
アナ:“ペンフレンドの相手が来ない”と言う
サ:
一生懸命考えて作り話を作ったんです そしたら
「良い歌だね 泣けるねこの歌 この女の人はどうしてこなかったのかな、中野さん?」って聞くんですよ
知らないよ!
Q:
実話じゃないんですね?
そして新しいバージョンを出されましたね?
サ:
今年令和元年で、ミニアルバムの中で出しました
もともとこの曲はシングルカットされてヒットしたのが平成元年
それで令和元年でまた出せるということは幸せですね
武道館は今、来年の東京オリンピックに向けて改修工事で
擬宝珠は覆われていて、ちょっと見えない状況になっています
九段下の駅で世界中の人があのメロディーを聴くということになりますね?
サ:
嬉しいじゃないですか
♪Under the big onion って英語にしたほうがいいですかね?
じゃあ英語の学校に通いますかね
Q:今日はその新しいバージョンで歌っていただける?
サ:分かりました 喜んで歌わせていただきます
<メッセージ>
50代男性:
武道館へは大学生の頃、いろんなアーティストのライブを見に行きました
またいつか九段下の駅を降りて、あの曲のメロディーで
地下鉄が発車する光景を見届けて、爆風スランプのライブを見に行きたいです
40代女性:
1985年12月13日金曜日 武道館見に行きました
また爆風スランプを武道館で見たいです
爆風スランプ再結成する予定はどうなんでしょうか
久しぶりにサンちゃんと河合さんのライブに行こうと今予定を見たら売り切れでした
次回は見に行きたいと思います
50代:
仕事の昼休み、家に帰ってテレビをつけてびっくり
大ファンの爆風スランプ サンプラザ中野くんが出ていて♪RUNNER を一緒に熱唱しました
うれぴー! 歌詞をパーフェクトに暗記できていました
変わらない歌声 日頃からどんなトレーニングをしているんですか?
中野:
マイケル・ジャクソンもやっていたと言われるボイストレーナーについてやったりしています
アレルギー検査をしたら三つの食品が引っかかりまして
コーヒーとかカレーとか、すごい好きなものなんですけどやめました
美穂:前より若返っていますもん、確実に
中野:
本当に!? 嬉しいな
皆さん、細かいことを言いますが
中野の Twitter をフォローしていただいて、情報を得ていただけたらと思います
河合と一緒にがんばります
***
爆風はこの大ヒット曲の他にも、初期の頃の面白い曲とか
感動する曲がいっぱいあるんだよね
そしてライブがものすごい迫力でかっちょいい
♪えらいこっちゃ
♪まっくろけ
♪THE TSURAI
当時はライブに行くとかありえなかったからとても羨ましい
たまに BARBEE BOYS とかレベッカとかと一緒に
野外ライブの放送があって、それを見ていた記憶がある
Q:サングラスをかけ始めたきっかけは?
知り合いの人が持ってきてくれて
「これをかけて歌えばかっこいいよ」って言われたのでかけてみました
Q:スキンヘッドにしたきっかけは?
賞金の高いコンテストで優勝しようということになり
バンドのミーティングによりビジュアル許可ということになりました
Q:現在58歳 若さを保つためにやっていることは?
ベジタリアン生活 木の枕を首に当てて寝たりしています
Q:朝起きて必ずすることは?
トイレ掃除などしております
Q:座右の銘は?
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 僕の頭に髪の毛はない 以上です
<ニュース>
アナ:
現在も精力的にライブ活動を行い
デビューから35年経った今も迫力ある歌声は健在です
パッパラー河合さんはいるけど、他のメンバーはどうしたんだろう?
爆風スランプは解散したのか?
ライブハウスでこの近さで聴けるって、ちょっと行ってみたい気もする
●♪RUNNER に隠された誕生秘話とは?
先週木曜日のゲストでいらっしゃった奈良岡朋子さんから質問
Q:なぜ芸名に“くん”をつけたのですか?
今から12年ほど前、知り合いが急に改名に目覚めて、改名士になった
私の名前も調べてくれて
「今のサンプラザ中野っていうのはよくない これからいいこと起きないよ」
「どうしたらいいんですか?」って聞いたら
「多分、あと2画足すとよくなる」
それで一週間後に考えられて送られてきたのがひらがなで“くん”
2画か3画かわかりませんけれどもw
あまりにも面白かったので、びっくりして、これでいいやっていうことになりました
そしたらマネージャーもいいんじゃないかって言って
何の反対もなくそのまま改名されました
改名士さんから言われたのは、“さん”づけにされると運勢が上がらないと言われているので
今日も“くん”でお願いします
<今日のトークテーマ>
世代を超えて歌い継がれる応援歌♪RUNNER
発売されたのは31年前の1988年
昭和、平成、令和と歌い継がれている
「どんなイメージを持っているのか町の人に聞いてみた」
20代:辛いけど頑張らなきゃいけない時に流れているイメージ
20代:24時間テレビのマラソンを思い出す 青春的な
30代:運動会
30代:男が熱いなって感じ
30代:人を元気にする 声にパワーがある
40代:自分に頑張る気持ちを与えてくれる
40代:走ってる時は余計なことをあまり考えないので、自然に出てくるの
40代:超いい歌 これで前向きになれる パワーがわく
サ:すごい前向きに捉えてくれていますね!
先ほど演奏して下さいましたパッパラー河合さんにもお話を伺いたいと思います
(河合さんも面白くて大好きv
か:
NHK をご覧のみなさまこんにちは
皆さんのお友達 パッパラー河合です
アクセントはどうでもいいんです
今♪RUNNER の話が出たじゃないですか
これ元々はランニングの歌じゃなかったんです
アナ:それは後ほど伺うことにして…
か:そうですか
サ:走りすぎ
Q:20代、30代の方も皆さんご存知ですよね?
サ:
これには秘密がありまして
なんでこんなにいろんな世代で歌ってくれるんだろう
テレビ、ラジオで流してもらっているというのももちろんあるんですけれども
実は小学校で…
アナ:それも後ほど伺いことにしまして いろいろ制約がありましてw
●♪RUNNER は脱退するメンバーに捧げた曲
(そうなんだ/驚
アナ:
元々はグループで、現在活動休止中のロックバンド爆風スランプ(休止中なのか
元々はどういう経緯で作られたバンドなんですか?
サ:
二つのバンドがあって、二つともアマチュアコンテストでなかなか優秀な賞をいただきまして
お互い一緒にやったり、別々にやったりしてたんですけれども
どうもらちがあかない デビューできない
なのでその二つのバンドを解体して、二人ずつ来て
新しいバンドを作りましょうって出来たのが爆風スランプです
この四人がオリジナルメンバーで1982年に結成されました
Q:お二人は高校からの同級生?
河合:15歳で、千葉県の高校で出会って、それからもう44年です!
Q:曲作りはどういう役割分担なんですか?
サ:僕が歌詞を書いて、河合さんが曲を作る
河合:メンバーが曲を作る
サ:
曲先なんです
曲が出来上がってから僕が詩を作る
Q:脱退がきっかけというのはどういうことなんですか?
サ:
1988年の頭にベーシストの江川ほーじんさんが辞めると言い出した
なぜかと言うと、僕らは面白い歌ばっかり作ってやってたんです
直球で「お前のことを愛してる」とか、「世の中こうなったほうがいい」とか
そういうことを言うタイプではなくて
ついつい変化球ばかり投げていまして
人気は出てたんですけど
「日本中の人の心に響く大ヒット曲が必要だ
それがないと、どうしてもお前達は先行きないぞ」と言われまして
それからどんどん売れる方向へと傾いていったんです
バンド全体の方針が
江川さんは元々ミュージシャン志向で、「そんな芸能っぽい仕事はしたくない」
それで折り合いがつかなくなって、辞めると言い出して
一人いなくなってしまったらガタガタじゃないですか
ここまで築いてきたのがガタガタになってしまう
そしたら「半年だけ一緒にやる」っていう事になって
その半年の間になんとかいい歌を作って
土台がしっかりしているうちに
世の中の人々に訴えかける曲を作ろうよということになりまして
それでみんな必死に曲を作ってくれて
選ばれた曲が僕のところに来て
「今回だけは直球の、まっすぐな、心に響くいい歌を作ってくれよ」って言われて
一生懸命書いたんです
書いてみたら、やめていく江川君に贈る曲になっちゃったんです
陸上部をテーマに歌ってるんですけれども
辞めていく江川君も走り続ける
僕らも走り続ける
だからいつかお互いゴールできたら、話し合おうね
アナ:だから「走れ 走れ」じゃなくて、「走る 走る」なんですね
Q:河合さんが最初にお聴きになった時はどうでした?
河合:
リハーサルのスタジオで「できたよ」って
最初に聴いて、これは江川ほーじんの歌だなって俺は分かった
ギター弾きながら涙が出て大変でした
それまで中野って、テレビに出るとスタジオを走り回ったりとか
物壊したりとかして歌ってたんです
でも♪RUNNER はちゃんと聴かせたいから、直立不動で歌うんです
「あれは意表をつかれましたね ロックを直立不動で歌うってなかったですからね」
中野:東海林太郎かサンプラザ中野かみたいな
Q:
改めて「いつかたどり着いたら 君に打ち明けられるだろ」
ここにはどんな気持ちを込められたんですか?
サ:
やっぱりお互いに違う道だけれども、走り続けていて
ある程度年齢を重ねた時に、昔の仲間なわけですから
腹を割って話せる日が来るだろうなって
そういう気持ちで書きました
河合:若い時は尖ってますからね ぶつかるんですよ、必ず
ミホ:これは今じゃないですか?
中野:そうなんですよね
河合:3年か4年くらい前に一緒にレコーディングしました
Q:オリジナルメンバーでやる日も来るかもしれない?
中野:そうなってほしいですね
ミホ:PV 撮りましょう!
中野:あなたが撮ってくれる!? 美保純監督←二人は長い付き合い
Q:中野くんご自身への応援歌である部分もありますか?
河合:
中野は陸上部でしたけどね
そういうんじゃないんでしょうね、多分
中野:
3歳の時に右半身麻痺を患いまして、体が不自由な時期があった
走ることや運動がすごく苦手なんです
なのに高校に入ってなぜかランニングしようと思って陸上部に入ったんです
一週間で諦めたんですけど、走るのは
でも陸上部の記憶があって
♪RUNNER を書くときに陸上部をテーマにして書こうと思った
だから思い返してみると、俺は高校に入った時
なんで陸上部に入ったんだろう?
♪RUNNER を書くためなんじゃないか?! みたいな
河合:
言い過ぎじゃないですか?
高校の時はすごい長髪だったんですよ
「小学校の時のお写真 もうサングラス!?」
サ:この日は眩しかったんです
Q:応援歌ではなかったんですよね?
サ:それが応援歌として伝わったので、最初は違和感がありました
「大ヒットしたその年の紅白歌合戦に出場」
31年前の映像をご覧いただきましょう
Q:パワフルな歌声ですよね 当時と今とでは何か違う?
サ:
なるべく変わらないようにと思ってやってるんですけど、どうかな
ちょっと冷や汗出ますね、これw
この時相当緊張してた!
ここで歌詞を間違えたりしたら
皆さんに申し訳ないじゃないですか
応援してくださってるファンにも申し訳ないし
レコード会社の皆さんとかにも生活かかってるだろうし
何より自分の生活がかかってますからね
河合:
この時ものすごい緊張してて
セットか横からばーっと出てくるんですよ
生演奏で ギターの音が出ない!と思って
もう終わった・・・と思ったんです
ボリューム上げてなかった(爆
もう全てが終わるとこだなと思って
ステージの前に出ることなんて考えられなかった
中野:僕もよく歌詞を間違えずに歌えましたよね
Q:でもこの紅白出場を経て、さらに♪RUNNER は大ブレイクしていくわけですよね?
中野:
そうなんですよね
この後「元気が出るテレビ」(毎週見てた!)って言うバラエティ番組の中で
スポーツコーナーの応援歌として使っていただきまして
それが多分「応援歌」としてのイメージがついたと思うんです
そのおかげです
だからたけしさんには足を向けて寝られませんw
Q:当時みんなカラオケで歌ってましたよね?
中野:この頃カラオケが出たばっかりで
河合:ベストテン番組各局にすごいよく出てたんで、みんな覚えてくれたんですよね
Q:売れたなって実感した瞬間ってありますか?
中野:
学園祭かなんかの仕事に行こうとして、河合の車に二人で乗ってたんです
とある交差点で止まった時に、その日、多分日曜日だったと思うんですけど
ベストテンの番組がラジオで流れてたんです
しばらく聴いてて、2位までになっても♪RUNNER が出てこなかったから
もうベスト10外に落ちちゃったんだね
ちょっと寂しいなって感じていたら
「今週の1位は♪RUNNER!」って言われて
その瞬間、二人で手をつないで、やってて良かったなーって泣きそうになりました
河合:俺は内堀通りだったと記憶してるんですけど、中野は違うんです
中野:俺は246と環八の交差点だと思ってます
河合:人の記憶って曖昧だなーってw
「なぜ多くの世代に受け継がれているのか?」
(二人の喋りが上手いから、他の質問に行く前に番組が終わってしまうんじゃないかな?w
小学生:♪走る 転ぶ 血が出る 肉が裂けて骨が見えるっていう感じの替え歌が流行っています
(すごいホラー/驚
中野:
そうなんですよね
僕もこれを友人の子どもから聞きまして、ほんとかよ!?と思って
「本当ですか?」って言ったら
「すごい流行ってるので、是非色紙にサインしてください」っていうぐらい
それは多分10年くらい前
全国色々聞いてみると、大阪では♪走る こける なんです
ほんと嬉しいです
替え歌になるって事は、それだけ本歌が
メロディも歌詞も認知されてるって事じゃないですか
そこまで親しまれているって
私は日本で一番売れてはいないですけど
日本で一番有名なロックナンバーなのではないかと思うわけですよ
どうですか河合さん?
河合:うまい言い回しですよね 角が立たない!(ww
アナ:河合さんにはもう一曲演奏していただくので準備に入っていただきます
か:わかりました
<噂の真相コーナー>
内山信二:僕もずっと内山くんでやってきたので、“くん”の先輩ですよ
中野:俺のほうが後輩ですよ
内山:芸名を内山くんにしようかなと思うくらい
中野:今すぐ変えたほうがいい!
内山:ごごナマでもおなじみの元オリンピック選手とただならぬ関係
「サンプラザ中野くんのお陰で増田明美さんは結婚できた」
こちらが旦那さんでマネージャーも務めている木脇さん
元々、中野さんは増田さんと「走る塾」と言う本を出す時に知り合ったんですよね?
中野:
そうなんです
それまでは同じ千葉県の出身として尊敬してましたし、可愛い声の方だなと思っていました
旦那さんは爆風スランプの熱烈なファン
木脇さんはどんな方ですか?
中野:
僕らがデビューしたての頃に、九州に住んでたんです
木脇さんが学生でバンドやったり
なぜか学生なのに FM でレギュラー番組を持ってたりしてたんです
それで知り合って「ファンです」って
いい意味で図々しいんですw
九州に行って、ライブをやり終えて、疲れて帰ると、楽屋で飯食ってたりする
いい意味で変なやつだったんですけど
それが東京に来て、いい意味で変な奴らとどんどん仲良くなって、お友達だったんです
増田さんと本を書いて、その打ち上げの前に会ってたんです
「今から中野くん、どこに行くんですか?」って聞くから
「打ち上げに行くんだよ」って言ったら
「僕、増田さんのファンなんです 是非連れて行って欲しい」って言うから
大丈夫かなと思いつつも
「失礼なことしないでね」って言ったら、「絶対しません」って言うから連れてった
それで一緒にお食事している最中に連絡先の交換をしたらしいんです
内山:図々しさって大事なんですね
本人に直接お聞きしたのでご覧ください
増田:
喋ってる私のことを何か楽しそうに見ていてくれていて
中野さんが「木脇君は僕の友達の中で最高です」って言ったの
後からかなりお世辞だったんだなと思ったけどw
でもその一言で安心しちゃって
木脇:
その食事会を終える時に、中野さんが
「増田さん、連絡先を教えてやってよ」って言って促してくれた
増田:自分の連絡先を箸袋に書いた覚えがあります
増田:
結婚披露宴の時にも中野さんとパッパラー河合さんが来てくださって
お客さんの前で♪RUNNER を披露してくださった
結婚式よりも「歌を聴けて良かった」って喜んでくれた人たちが多かったですね
木脇:♪RUNNER を歌う横で振袖姿で走ってましたから
増田:中野さんがいなかったら、私達結婚していませんでした
2人:仲良くやってまーす
「ふんどしを愛用」
内山:この噂は本当でした 続いての噂は、、、一年中パンツを履かない
中野:
ノーパンというわけじゃないんですけど、パンツじゃなくて
十数年前からふんどしを着用しております 越中ふんどし
Q:きっかけがあったんですか?
サ:
そのほうが健康によろしいよと聞いて
私、健康マニアなんですよね
「健康にいいよ」って言われると、とりあえず実践してみるんですけど
非常に良い いろいろ良い
言いにくいですけど
ふんどし派手!
歌う時は赤で決めてるんです
赤が体に密着していると、活力が出るらしい
元気になるらしいです あくまで「らしい」
(美輪さんは、赤いパンツを履けばいいって言ってたな
Q:何枚ぐらい持ってるんですか?
サ:7枚ぐらいかな?
内山:1週間行けますね 今日も?
サ:見たいんですか!?w
「大賞を受賞」
ミホ:ふんどしを見せるの?驚
中野:
この時は見せなくて済みました
ふんどしの復旧などを行う「ふんどし協会」が設定して
ふんどしの素晴らしさを世の中に広めた方に送られる
中野くんはじめ、そうそうたる人が受賞していらっしゃる
古田新太さんや菅田将暉くんまでいる!
中野:
皆さん、2月14日をバレンタインデーだと思うでしょう?
ふんどし協会によると、ふんどしの日なんです 214で
チョコレートを渡す時にふんどしも一緒に渡すと 両方兼ねて良いと
内山:
今年はまだ大賞が発表されていませんが
映画でふんどしを着用した斎藤工さんが
期待の新人賞として受賞が決まってるみたいです
Q:改めてふんどしの魅力は?
サ:
やっぱりゴムがないじゃないですか
体の内側の血液の流れ、体液の流れがすごく良くなって健康になると思うんですよね
僕はふんどしは“フンがドシッと出るぞ”
そういう解釈をしたりしています
リンパのところが圧迫されない
内山:中野くんがパワフルなのはふんどしのおかげというのもあるんですかね?
中野:ありますね、多分に
<船越のクエスチョン5のコーナー>
Q1の理由
サ:
20年ほど前からですけれども、株の投資をしていて
恋愛の歌だけ書いてればいいだろうっていう考え方もあると思うんですけれども
私はやっぱり社会全体のことを知りたいなと
特に数学が苦手なので、経済がすごく苦手だなと思ってたんですけど
経済を学ぶには株だなと思いまして
ものすごい損をしてるんです、投資で
失敗が必要だなと
失敗はしているけれども、歌詞に深みが出ればいいんじゃないかと
当然人間、人生の深みの中に恋愛も必要 お金も必要 健康も必要
Q:実際歌詞は変わりましたか?
サ:特には分かりません
Q:投資の本も出してますよね?
サ:
皆さん「投資の本を書いているから勉強してるんでしょう?」って言われるんですけれども
投資の上手い人のところに聞きに行くっていう本なんです
自分ではそんなに身に付いていない
なかなか儲からないんです、私は
「あてどない旅」
サ:
例えば僕よく飛行機に乗るんですが
飛行機に乗ると、行き先で何かしようと考えるじゃないですか
ところが僕は飛行機に乗るためだけに飛行機に乗るんです
ミホ:飛行機が大好きってこと?
サ:それもあるんですけど、飛行機に乗るとポイントが貯まるんですよね
ミホ:
ポイント男なの?!
じゃあいいポイントの貯め方とかを知ってるの?
中野:
結構知ってます
ポイントを貯めて、年間10万ポイントまで行くと
来年のステータスが高い所に行くんです
そうすると自尊心が非常に満たされる
例えば一番早く荷物が出てくるとか
ポイントは非常に大事です
「健康に気を使ってる」
「受験生で賭けていた」
サ:
私が「オールナイトニッポン」っていうラジオの深夜番組をやっていまして
その中で受験生を応援する
「応援しちゃおう!」って言うと分かりやす過ぎるじゃないですか
なのでちょっと遊ばせてもらいつつ応援しようという企画がありまして
私が早稲田大学政治経済学部に入れたので
その後輩を募るということで
受験する人達を集めて、馬に見立てて
「わせダービー」という名前をつけて
番組の中で応援しつつ遊んだっていう
Q:当時すごい人気でしたよね?
サ:
ありがとうございます
つい先日も、リリースイベントに行きましたが
「僕、あの番組に出てました 51歳です」って言われました
今日はサプライズを一つ用意しています
こちらの方は覚えていらっしゃいますでしょうか?
中野:
タップダンサーの天宮良さんのところに必勝ってつけたんですよね? 馬の名前として
「天宮良と写真が似ているって言われて
当時私は予備校で必勝寮っていう所にいまして
それでアマミヤヒッショウリョウと中野くんに名付けていただきました」
中野:思い出した! 寮は潰れちゃったんだよね?
「予備校はあるんですけど、寮の経営がうまくいかなかった」
アナ:実は彼は偶然にも、今日この番組に配属されてきたプロデューサーです
サ:
頑張ったね!(拍手) 彼はここまで来ちゃいけないの? 来て来て(隣に座り、握手
サ:早稲田に入れたの?
「入れました」
サ:この写真を見てりょうくんに似てるって僕が言ったの? おかしいよね すみません
サ:なぜ今まで黙ってたの? NHK に入ってずっとやってたわけでしょ、ディレクター業
「報道のほうにいたもので、なかなか・・・」
サ:じゃあこれからは俺のために働いてくれる?
「頑張ります」(抱き合う
サ:
いつもラジオで言ってたの
「お前ら偉くなって、俺に仕事をよこせよ!」って
本名は何て言うの?
「柳沢です」
サ:
嬉しい
本当に深夜番組って全国区でやってて
どこに行っても「オールナイトニッポン聞いてました」って言ってくれて
一生懸命やってよかったなって本当に思って なんか嬉しい!
「コネは使わない?」
サ:
使ったんです
実は♪大きな玉ねぎの下で っていう歌があるんですけど
この歌を今、九段下の駅で発車メロディに使ってもらってるんです
(本当?驚×5000 私、聞いたっけ?
これを編曲してくれたのが向谷実さんて言う有名なキーボーディストなんですけれども
その方すごい鉄オタなんですね
この方と会った時に
「中野くんさぁ、なんか曲ないかな 駅メロにしたい曲ない?」って言われて
「前から思ってたんですけど♪大きな玉ねぎの下で しかないと思うんですよ」
アナ:武道館のお膝元ですからね
サ:
「あーそうか それいいね じゃあ誰か地下鉄の会社に知り合いいないかな?」って言われて
ちょっと考えたら、俺の友達のお兄さんがその会社の偉い人だって言うんですよ
「じゃあ一緒にお願いに行かない?」って向谷さんに言われて
「行きましょうか」って会いに行ったんです
それで会ってくださって、ご馳走までしてくださって
半年から1年くらいかかって発車メロディになったんです
実際そのメロディーを聴いてみましょう
行き先でメロディーがちょっと違います
千葉県の西船橋方面
短い!
九段下から東京中野方面
Q:中野方面の方がキーが高いんですね
中野:
僕は聴きに行ったんですけど
発車のドアの閉まる時間の長さによって、最後まで聴けないことがあるんです
だからなるべく閉めるのを遅くしてほしいな
「♪大きな玉ねぎの下で 令和バージョンをスタジオで披露」
1985年に発売されたアルバムに収録されたラブソングです
反響を呼びシングルカットされて
中野くん著書の小説にもなりました
武道館の擬宝珠
Q:この曲には思い入れが相当あるんですよね?
中野:
なぜこの曲を作ったかと言うと
爆風スランプがデビューしたのは84年なんですけど
85年12月13日が金曜日だったんです
「13日の金曜日で面白いから爆風スランプで武道館やらせよう」って言うことになりまして
Q:デビューした翌年に!?
中野:
「武道館、おまえらのために用意したから満員にしろよ」って
レコード会社の偉い人にすごい上から目線で言われて
「すごい嬉しいけど、満員ですか!? 無理でしょう」って言って
考えた末に、空いてる席にいい話があれば
レコード会社の人が来ても
「しょうがないな、あの席はきっとチケットが売れてるんだな」って納得してくれるんじゃないか
満員にならなかった時の言い訳の歌として作ったんです
アナ:“ペンフレンドの相手が来ない”と言う
サ:
一生懸命考えて作り話を作ったんです そしたら
「良い歌だね 泣けるねこの歌 この女の人はどうしてこなかったのかな、中野さん?」って聞くんですよ
知らないよ!
Q:
実話じゃないんですね?
そして新しいバージョンを出されましたね?
サ:
今年令和元年で、ミニアルバムの中で出しました
もともとこの曲はシングルカットされてヒットしたのが平成元年
それで令和元年でまた出せるということは幸せですね
武道館は今、来年の東京オリンピックに向けて改修工事で
擬宝珠は覆われていて、ちょっと見えない状況になっています
九段下の駅で世界中の人があのメロディーを聴くということになりますね?
サ:
嬉しいじゃないですか
♪Under the big onion って英語にしたほうがいいですかね?
じゃあ英語の学校に通いますかね
Q:今日はその新しいバージョンで歌っていただける?
サ:分かりました 喜んで歌わせていただきます
<メッセージ>
50代男性:
武道館へは大学生の頃、いろんなアーティストのライブを見に行きました
またいつか九段下の駅を降りて、あの曲のメロディーで
地下鉄が発車する光景を見届けて、爆風スランプのライブを見に行きたいです
40代女性:
1985年12月13日金曜日 武道館見に行きました
また爆風スランプを武道館で見たいです
爆風スランプ再結成する予定はどうなんでしょうか
久しぶりにサンちゃんと河合さんのライブに行こうと今予定を見たら売り切れでした
次回は見に行きたいと思います
50代:
仕事の昼休み、家に帰ってテレビをつけてびっくり
大ファンの爆風スランプ サンプラザ中野くんが出ていて♪RUNNER を一緒に熱唱しました
うれぴー! 歌詞をパーフェクトに暗記できていました
変わらない歌声 日頃からどんなトレーニングをしているんですか?
中野:
マイケル・ジャクソンもやっていたと言われるボイストレーナーについてやったりしています
アレルギー検査をしたら三つの食品が引っかかりまして
コーヒーとかカレーとか、すごい好きなものなんですけどやめました
美穂:前より若返っていますもん、確実に
中野:
本当に!? 嬉しいな
皆さん、細かいことを言いますが
中野の Twitter をフォローしていただいて、情報を得ていただけたらと思います
河合と一緒にがんばります
***
爆風はこの大ヒット曲の他にも、初期の頃の面白い曲とか
感動する曲がいっぱいあるんだよね
そしてライブがものすごい迫力でかっちょいい
♪えらいこっちゃ
♪まっくろけ
♪THE TSURAI
当時はライブに行くとかありえなかったからとても羨ましい
たまに BARBEE BOYS とかレベッカとかと一緒に
野外ライブの放送があって、それを見ていた記憶がある