メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

令和元年8月6日 広島平和記念式典

2019-08-07 14:00:05 | テレビ・動画配信
「広島市平和公園」




原爆の投下から 74年目を迎えました

先ほどから雨が降ってきました
雨の中、式典が行われるのは2014年以来

今年はおよそ5万人が参列

平和公園の北にある相生橋




この橋を目標にして 人類史上初めて、市民の頭上に原子爆弾が投下されました
数千度の「熱線」と「爆風」「放射線」が街を襲い 命と営みを奪いました

その年のうちに14万人が亡くなったと言われています




広島市の松井一実市長と遺族の代表が原爆死没者の名前が記された名簿を慰霊碑に収めます




この一年に亡くなったことが分かった被爆者の数は合わせて5068人
これまでに名前が納められた方は31万 9186人となりました

式典には 過去2番目に多い 92の国と代表が 参列しています

今年被爆者は初めて 15万人を切りました
平均年齢は 82歳を超えています

あの日のことを語れる人が少なくなる中で 原爆の記憶をどのように伝えていくか


「広島平和記念資料館」




今年、原爆資料館では、戦後最大規模となるリニューアルが行われました

新たな展示で大切にしたのは あの日、きのこ雲の下にいた
一人一人に思いを馳せてもらうことです

持ち主のエピソードを一つ一つ調査し
かけがえのない日常や 大切な家族を奪われた悲しみを記し展示することにしました
遺品に宿る物語を 自分のこととして感じてもらおうとしたのです














原爆資料館 前館長 志賀賢治さん




志賀賢治さん:
皮膚感覚のレベルで被爆の実相を感じ取っていただける
そういう生々しさと言うか

その遺品を持っていた人たちの苦しさや
あるいは生前の夢や 人間の生きざまを見通していただきたい







わずか2歳で被爆した ひろおくんの履いていたパンツです
どれだけ洗っても落ちなかった 人間の脂とみられるシミ
ひろお君が負った傷の深さを物語っています




明るく元気な子だったひろお君の姉 長谷部松子さんは
その姿を今もはっきりと覚えています






長谷部松子さん:
元気な頃 部屋でかけっこして、追いかけて
笑顔の可愛らしい弟だったので

ひろお君は 爆心地から1.9 km で母親に背負われている時に被曝し
「あつい、あつい」と水をねだりました

水を飲むと死んでしまうと聞いていた母親は
最後まで水を飲ませることができませんでした

最近見つかった母の遺品
このコップで毎日お水を仏壇にあげていました
飲ませなかったことが やっぱり悔いが残ったのではないですかね




姉の松子さんは、毎年8月
ひろおくんの遺品に会うために、自宅のある京都から広島を訪れています


広島が核兵器の恐ろしさを訴え続ける一方で
世界では、核を巡った厳しい状況が続いています

アメリカとロシアの「INF 中距離核ミサイルの撤廃条約」が失効
さらにアメリカが 核爆発を伴わない「臨界前核実験」を行なっていたことも分かりました

核兵器を法的に禁じる「核兵器禁止条約」
おととし国連で採択されましたが
唯一の戦争被爆国である日本は参加していません


広島市長は、今年の平和宣言で、核兵器禁止条約への署名・批准を望む
被爆者の思いを尊重するよう政府に訴える予定です

政府は、核兵器禁止条約に参加しない考えを変えていません

安倍総理大臣は条約についてこう述べています
「核廃絶と言うゴールは共有しているが、我が国の考え方とアプローチを異にしている」


8月6日の今日 平和を願う祈りは、県内各地で捧げられています

広島市の隣り町には 今年 新たな気持ちで原爆の火と向き合う人たちがいます
広島市の中心部から 車で30分ほどの場所にある坂町 小屋浦地区です
74年前ここに広島市内で被爆した人々が治療のために運び込まれました




小屋浦では 朝から雨が降ったり止んだりしています
そんな中、亡くなった被爆者たちを弔うために
朝から住民達50人以上が集まっています




ここ小坂町は去年7月の西日本豪雨で大きな被害を受けました

(あちこち被災地だらけだ この番組中も九州の台風情報がずっと流れていた






坂町では、住宅街に大量の土砂が流れ込む被害が出ました
災害関連死を含む18人が犠牲となり、今も一人が 行方不明となっています

住民たちが長年守ってきた原爆慰霊碑も土砂に埋まってしまいました




今年6月
原爆の被害を埋もれさせてはならない
地元では災害からの復旧と同時に慰霊碑の移設を行いました




こちらがその慰霊碑です 高台に移設されました
慰霊碑には93人の名前が刻まれています




移設を中心となって進めてきた西谷さん73歳です
西谷さんも母親のお腹の中で被爆しました




去年は西日本豪雨の被害がありました
そんな中で迎えた今年のこの会をどんな思いで迎えていらっしゃいますか?

西谷さん:
豪雨災害で町全体がどん底に沈みました
そんな中で一歩一歩進めて、今日の日を迎えたということで感慨深いものがあります

苦労が多かったぶん、また後世に伝えていかねばならないという使命感が一段と強くなりました
今回の移設でおそらく町全体の復興の一里塚になってくれるというふうに思います



そして、今日の慰霊会には、家族を原爆で失った遺族も参列しています
被爆した父を小屋浦で看取った阿部愛子さん89歳です






阿部さんの父山根さんは、広島市内の自宅で被爆
この小屋浦の救護所に運び込まれました
阿部さんは父をつきっきりで看病しましたが、作一さんは息を引き取りました

あの日看取った父に思いを馳せ、小屋浦後で祈りを捧げます

災害から立ち上がり、再び被爆の記憶をつなごうとする小屋浦地区
慰霊碑に刻まれた一人一人の命と向き合う祈りが続きます


まもなく原爆が投下された8時15分です 鐘が鳴る
鐘を合図に原爆死没者の霊を慰め、世界恒久平和の実現を祈念し
1分間の黙祷を捧げます


黙祷






広島市長による「平和宣言」




平和宣言
いま世界では「自国第一主義」が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め
核兵器廃絶への動きも停滞しています
このような世界情勢を皆さんはどう受け止めますか

2度の世界大戦を経験した私たちの先輩が
決して戦争を起こさない理想の世界を目指して
国際的な協調体制の構築を誓ったことを
私たちは今一度思い出し、人類の存続に向けて
理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか

特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこの事を訴えたい
そしてそのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聞いてほしいのです

当時5歳だった女性はこんな歌を読んでいます

「おかっぱの 頭から流るる血しぶきに 妹抱きて 母は阿修羅に」

また、男女の区別さえできない人々が 衣類は焼け爛れて裸同然
髪の毛もなく、目玉は飛び出て 唇も耳も引きちぎられたような人

顔面の皮膚も垂れ下がり、全身血まみれの人、人
という惨状を18歳で体験した男性は

絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない
私たちのこの苦痛は、もう私達だけでよいと訴えています

生き延びた者の心身に深刻な傷を負い続ける被爆者の
こうした訴えが皆さんに届いていますか

一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで
戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています

という当時15才だった女性の信条を単なる願いに終わらせて良いのでしょうか

世界に目を向けると、一人の力は小さくても
多くの人の力が結集すれば 願いが実現するという事例がたくさんあります

インドの独立はその事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは
辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています

「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」

平和で、持続可能な世界を実現していくためには
私たち一人一人の立場や人の違いを 互いに乗り越え
理想を目指し、共に努力するという寛容の心を持たなければなりません

そのためには、未来を担う若い人たちが原爆や戦争を
単なる過去の出来事と捉えず

また被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして
たゆむことなく前進していくことが重要となります

そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて
共に前進しなければなりません

そのためにも、被爆地を訪れ、被爆者の声を聞き
平和記念資料館、追悼平和祈念館
犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい

また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に
米ソの両核大国の間で理性の発露と対話によって
核軍縮に舵を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい

今、広島市は 約7800の平和市長会議の加盟都市と一緒に
広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより
核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています

世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに
核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを
しっかりと受け止めていただきたい

その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも
核兵器のない世界の実現にさらに一歩踏み込んで
リーダーシップを発揮していただきたい

また平均年齢が82歳を越えた被爆者をはじめ
心身に悪影響を及ぼす放射線により
生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い
その支援策を充実するとともに
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます

本日、被爆74周年の平和記念式典にあたり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに
核兵器廃絶と、その先にある 世界恒久平和の実現に向け
被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います


鳩が放たれる




「平和への誓い」こども代表
毎年子ども達の言葉には泣いてしまう

今年は、小学6年生の金田秋佳さんと石橋忠大さんです

金田さんは、今も世界で子どもたちが苦しんでいることを忘れずに
平和への思いを誓いたいと話していました

被爆者の祖父を持つ石橋さんは、74年が経った今も
苦しんでいる人がいることを伝えたいと言います




平和への誓い
私たちは広島の街が大好きです
ゆったりと流れる川 美しい自然 「おかえり」と声をかけてくれる地域の人
どんな時でも前を向いて生きる人々 広島には私達の大切なものが溢れています

昭和20年(1945年)8月6日
あの日から血で染まった川 瓦礫の山
皮膚が剥がれた人 たくさんの亡骸

見たくなくても目に飛び込んでくる 地獄のような光景が広がったのです
大好きな街の悲惨な過去です

被爆者は語ります
戦争は忘れることのできない特別なものだと

私たちは大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め
次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい

悲惨な過去を悲惨な過去のままで終わらせないために
二度と戦争を起こさない未来にするために

国や文化や歴史の違いはたくさんあるけれど
大切なもの、大切な人を想う気持ちは同じです

みんなの「大切」を守りたい
「ありがとう」や「ごめんね」の言葉で認め合い、許し合うこと

寄り添い、助け合うこと
相手を知り、違いを理解しようと努力すること

自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです

大好きな広島に学ぶ私たちは、互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます
意志を持って学び続けます

被爆者の思いに私たちの想いを重ねて平和への想いを世界につなげます

拍手が起きた 炎に向かって一礼 とても堂々とした態度


内閣総理大臣挨拶
(これは省いてもいいんじゃないの?
 誰かに書いてもらった紙を読むだけだし
 核廃絶を遅らせている張本人だし

今から74年前の今日 原子爆弾により十数万とも言われる尊い命が失われました
町は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました
一命を取り留めた方々にも 筆舌に尽くしがたい日々をもたらしました

原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し謹んで哀悼の誠を捧げます
そして今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に心からお見舞い申し上げます

核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇をけっして繰り返してはなりません
唯一の戦争被爆国として 核兵器のない世界の実践に向けた努力を続けること
これは令和の時代においても 変わることのない 我が国の使命です

(果たして令和の時代の間にどれほどの核兵器を減らせるだろうか?

新しい時代を平和で希望に満ち溢れた時代としなければなりません

近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し
核軍縮を巡っては、各国の立場の隔たりが拡大しています

(他人ごとのように言ってるが、恐怖を煽って軍備を増やしているのは国だ

我が国は核兵器のない世界の実践に向け「非核三原則」を堅持しつつ
被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります

核兵器国と非核兵器国との橋渡しに努め、双方の協力を得ながら
対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを指導していく決意です

核兵器不拡散条約発効 50周年という節目の年を迎え
5年に1度のNPT(核兵器不拡散条約)運用検討会議が開催されます

この会議において意義ある成果を生み出すために
一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する賢人会議の提言等を
十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です

私たちには唯一の戦争被爆国として核兵器の非人道性を
世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります

被爆者の方々から伝えられた被爆体験をしっかりと
若い世代へと 語り継いでいく

そして、広島や長崎を訪れる 世界中の人々が被ばくの悲惨な実相に触れることで
平和への決意を 新たにすることができる
そうした取り組みを我が国として大切に推し進めてまいります

被爆者の方々に対して保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め
今後も被爆者の方に寄り添った援護策を総合的に推進してまいります

特に原爆症の認定について一日も早く結果をお知らせできるよう
できる限り迅速な審査を行なってまいります

むすびに、国際平和文化都市として発展を遂げたここ広島市において
核兵器のない世界 恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを お誓い申し上げます

原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と
ご遺族、被爆者の皆様 並びに参列者 広島市民の皆様の
ご平和を祈念いたしまして 私の挨拶といたします

(毎年ここに来て「核軍縮」について一体これまで何回言ってきたんだろう
 その成果が出ていないばかりか、流れてくるニュースはきな臭いものばかり


核兵器のない世界へ
74年間 声を上げ続けてきた被爆者たち

その努力を無駄にしないためには
若い世代が 広島の記憶を 受け継いでいかなければなりません

あの日、きのこ雲の下には
家族に囲まれ、夢を持った、私たちと同じ人間がいた




***

式典全部は流さずに30分ほどで番組は終わった

先日放送された映画『この世界の片隅に』を久々観て、改めて感動した
この映画が世界中に届きますように/祈

今なら「GYAO!」でも無料で観られる(2019年9月3日(火) 23:59まで


【ブログ内関連記事】

『さがしています』(童心社)

記録のえほん『ひろしまのピカ』(小峰書店)

※「読書感想メモリスト3」カテゴリー内【戦争】参照




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